疫神の恋人 3


 二人で手をとりあって、夜の街をかけた。

 何度か、がらの悪い男とすれちがった。

 そのたびに物かげに隠れてやりすごした。


 遠くで、急にさわがしくなった。

 あの宿のほうだ。フリーの宿。

 逃げだしたのが、バレたのだ。


「どうしよう。まだ、街はずれまでは遠いのに」

「とにかく、急ごう」


 いざとなったら、フリーだけでも逃がす決心だ。


 用心棒がたくさんいるというのは、ほんとのことだった。あるいは、あたり一帯の男が協力しあっているのか。


 しばらくして、近辺の宿を一軒ずつ、男たちが調べだした。おれとフリーは、なんとか、物かげから物かげへ移動しながら、街はずれをめざしていたが……。


「はあッ? ふざけんな! おれが男娼だって? おれは客だよ。客。見れば、わかるだろ!」


 近くの宿のなかから、さわぎ声が聞こえる。


 蓮だ……。


 そうだった。

 そこまで考えてなかった。


 蓮はフリーとそっくりだ。

 蓮がフリーと間違えられる可能性もあったのだ。


 立ちどまるおれを、フリーが見つめる。


「どうしたの?」

「いや、その……」


 このまま行ってしまう?

 そうすれば、フリーは逃げだせる。でも、かわりに蓮が捕まる。

 もちろん、人違いだっていうことは、すぐにわかるだろう。でも、蓮はフリーより、ずっと、『御子らしい御子』だ。そのまま、フリーの身代わりに商売をさせられるかも。


(おれが地球に帰って、不二村の人に、わけを話せば、蓮は救出されるだろうけど……)


 でも、すぐってわけにはいかない。

 ここは火星のへき地だから。

 地球に帰るまでに何日かかるか。

 きっと、そのあいだに、蓮は……。


(蓮が、ほかの男に……)


 そう思うと、とてもガマンなんてできない。


「ここに隠れてて。ちょっとだけ、待ってて」

「待って!」


 フリーが呼びとめるのも聞かず、走りだしていた。

 蓮がさわいでる宿にとびこんでいく。


「蓮! どこだ? 蓮!」

「なんだ? おまえ? 勝手に、どこ行くつもりだ?」


 引きとめようとする用心棒をなげとばした。何人も。

 その部屋にとびこむと、蓮は今しも、二人がかりでかかえこまれて運びだされようとしていた。


「蓮!」


 もう必死だ。

 まわりで悲鳴や叫び声が聞こえていた。

 夢中だったから、よくおぼえてない。

 とにかく、蓮をつかむ男をつきとばし、次々、おそいかかってくる男をなぐりとばす。


「蓮! 今だ。逃げよう」

「雷牙——」


 すきを見て、外の通りへ出た。

 フリーをかくしておいた場所まで、なんとか逃げた。


「フリー。ごめん」

「雷人」


 路地裏で、蓮とフリーがはちあわせ。

 おたがいに、おたがいを見て、かたくなる。


「ああ、そういうこと……」と、蓮は言う。


 声が怒ってる。


「おまえ、まさか、そいつと寝たの? 雷牙」


 おれは返事に窮した。

 ほんとのことを言えば、きっと、蓮は、おれを嫌うだろう。

 おれが、ちょっと手にさわっただけで、毛虫にふれたみたいにイヤがる蓮だ。たとえ、自分でなくても、自分にそっくりなフリーを、おれが抱いたと知れば、きっと、無気味に思うはず。


 おれは蓮を見つめた。それから、フリーを。


 フリーは、そっと、おれの手をにぎってくる。


(そうだ。フリーにはおれしかいないんだ。でも、蓮は違う)


「……そうだよ。おれはフリーと行くよ。フリーを愛してるから」


 言いながら、なぜ、こんなにも胸が痛いんだろう?

 今にも涙がこぼれそうになるのは?


 わかってる。

 ほんとに愛してるのは、蓮だ。

 これまで何千年も、何万年も、ずっと愛し続けてきた人だ。

 かんたんに心変わりなんてできるはずもない。

 フリーは身代わり。蓮に似てたから。


 でも、そんなことを言ってどうなる?

 どうにもならない。

 それなら、このまま、フリーと……。


 すると、ふいに蓮の頰を涙がすべりおちた。


「……やだよ。そんなの」

「蓮……」

「おまえが誰かと行ってしまうなんて、イヤだ! おまえは、おれのものだよ。誰にも渡さない!」


 ビックリするほど強い力で、蓮はおれに抱きついてきた。わあわあ泣きながら、子どもみたいに。


「蓮……」

「おれだって、おまえが好きだよ。なんで、そんなこと言うの? おれを捨ててくなんて言わないで」


 おれは、ほんとにバカだ。

 蓮の好きは、おれの好きとは意味が違うのに。

 泣いてすがりつかれたら、おれの決心なんて、グラグラだ。


「……わかったよ。ごめん。蓮」


 ああ、これで、あともどりだ。

 この人から自由になる、たった一度のチャンスだったのに。


 泣いてさわいでるから、とうぜん、用心棒たちに見つかった。また、なぐりあいか? それも、しかたないか。蓮とフリーを守りながらとなると、かなり厳しいけど。


 と思っていると、フリーが言った。


「ありがとう。雷人さん」

「フリー?」

「夢を見させてもらったのは、僕のほうだったね」


 フリーはみずから用心棒たちのほうへ歩いていく。


「なにしてるんだ? フリー!」

「いいの。もうわかったから。やっぱり、僕はここでしか生きていけないんだって。この街のなかでしか、僕には僕の価値がないんだ」

「なに言って……」

「わかったんだ。本物には、僕が何したって、かなわない。やっぱり僕は偽物なんだ」


 ハッとした。

 蓮はサングラスも防じんマスクも外してる。

 蓮の顔をひとめ見れば、誰にでもわかる。


 蓮は本物。

 フリーは偽物。


 圧倒的な美貌の違いが、存在の重さの違いを証明している。誰も御子の代わりにはなれない。


「フリー……でも、君を逃がしてあげたかったのは、ほんとなんだ」

「ありがとう。その気持ちだけで、うれしいよ。さよなら」


 フリーは帰っていった。偽りだらけの自分の世界へ。そこにいるあいだは、みんなが彼に優しいから。


 おれは蓮の肩を抱いて、その場を逃げだした。

 用心棒たちは、しつこく追ってきたけど、夜明けごろにはまいていた。


「やっと逃げだせた」


 街はずれで、ひろったエアタクのなか。

 ここまで来れば、もう安心だ。


 おれは、ちょっとふさいでいた。

 蓮がおれの目をのぞきこんでくる。


「なに? 後悔してるの? あいつを置いてきたこと」

「うん。まあ、ちょっと……」

「あいつは、あれで幸せなんじゃないの? あいつも御子になりたかったんだ。きっと」


「蓮は? 御子になりたくないの?」

「おれは、おれだよ。おまえが、そう言ったんだろ? おれは、おれになればいいって」

「うん。少し、おぼえてる。まだ昔のおれだったころだね。オリジナルの」


 蓮は変な顔をした。


「おぼえてる? だって、おまえ、記憶複写してないのに?」

「そうだけど。おぼえてるよ。切れ切れだけど」


 そうかと、蓮は声をあげた。


「おまえ、エンパシストなんだ! 疫神は超能力を持ってることがある。クローンでも、その力は引き継がれるから。おまえは自分で自分の過去をサイコメトリーしてたんだ」

「そうかもね。だから……わかってる。しかたない。おまえが、おれを嫌うわけ。おれは、化け物だったね」


 うつむいていると、とつぜん、蓮の手が伸びてきた。おれの頭を両手でつかんで、思いきり唇をおしつけてきた。


「蓮! なにす……」

「あの約束、おぼえてる?」

「どの約束?」

「おまえが死ぬ前に、おれ、言ったろ。今なら、おまえのものになってもいいって。まだ、約束、はたしてなかった」


 蓮は走るエアタクのなかで、おれを押し倒す。服をぬがそうとするんで、おれはあわてた。


「なにやってんの。ジョークなら、やめろよ。おまえにそんなことされたら、おれ、理性きかなくなるから」


 蓮はもどかしそうに、ちょっと、すねる。


「おれ、自分はノーマルなんだって、ずっと思ってた。でも、おまえが、あいつと寝たって知ったとき、すごく悔しくて……」

「蓮……」

「おれも、愛してるよ。おまえを」

「蓮……」


 初めて、ひとつになったのは、火星のエアタクのなか。

 ゆれる、ゆりかご。

 このまま、ずっと、つかなければいいな。

 エアポート。

 月行きロケットは、まだ夢のなか。

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