六章 限りあるもの 3—2
血のあとを見つけたのは、ぐうぜんだ。
街灯の下に、ちょうど、ぽつりと赤いしみがあった。
点々と、そのあとは続いていく。
血のあとをたどっていって、ようやく、蓮は雷牙を見つけた。
追いつめられたウサギみたいに、公園の木のかげで丸くなっていた。体のあちこちにケガをしている。
「雷牙——」
蓮が抱きつくと、雷牙は、だまって蓮の背を抱きかえしてきた。大きな体が、ふるえている。
「雷牙。大丈夫? ケガ」
こくこくと、うなずく。が、泣いている。肉体のケガよりも、心に負った傷のほうが深かったようだ。
「雷牙。とりあえず、ここから逃げだそう。おれが御子のふりして、人目をひいとくから——」
言いかける蓮を、雷牙が引きとめる。
「母さんが死にそうなんだ。最後に、ひとめ、会いたい」
それでだったのか。このところ、連夜、町へおりていったのは。両親の家は、とっくに見つけてたのだ。
「そんなこと言って、この状況じゃ、おまえのほうが殺されかねないぞ。第一、家の近くに人がいたら、近づくこともできないし」
言いながら、蓮は、雷牙のカギ爪を自分の手首にひっかけた。そこから流れる血を、雷牙のケガの上に、ふりかけた。
巫子の血の力は、疫神にも効くかもしれないと思ったのだ。
が、蓮の血が傷口にかかった瞬間、雷牙は「ぎゃッ」と声をあげた。
傷口からケムリがあがる。ケガはふさがったが、周辺のウロコが、ボロボロ、はがれおちた。
「ごめん。痛かった?」
雷牙は、ふしぎそうに、ウロコのなくなった肩口をさすっている。
「これ……どうやった?」
「巫子も御子みたいに、人のケガを治す力があるんだけど……。
どうやら、疫神には反作用を起こすみたい。ヘルの変異をただそうとする力が働くんじゃないかな」
それと似た作用をする薬を薬屋のデータで、蓮は知っていた。
ミタライワクチンだ。
薬屋の開発した不完全なヘルのワクチン。
ヘルの歪みを治すが、その急激な変化の力で、人体細胞を破壊してしまう。
つまり、歪みは治すが、かわりに死ぬ。
全身、ヘルの変異のかたまりの疫神にとっては、最強の武器だ。薬屋の疫神掃討作戦は、このワクチンを武器にして、おこなわれた。
「ごめん。もうしないよ。とにかくさ。今夜は、いったん、山へ帰ろう。こんなに大勢、人が歩きまわってちゃ危ない。明日、また出直そう」
雷牙は首をふった。
「だめだ。昨日のあの感じじゃ、今夜、もたない……明日では、遅い」
「なんだよ。おまえ。人が心配してやってんのに、『母さん、母さん』。そんなに母さんがいいなら、一人で行けば。そのへんのやつらに殺されちまえよ」
蓮がすねたと解したらしく、雷牙は笑った。
「一番、大切なのは、蓮、おまえ。だから、母さんを見送ったら、帰ってくる」
「バカ。ほんとに行く気かよ。ムチャだって。殺されるぞ。銃、持ってるやつだっていたんだ。いくら、おまえが疫神だからって——」
そんなことは、雷牙だって知っていた。雷牙は、ある決意を秘めた目で、蓮を見つめる。
「おまえに、たのみがある。蓮」
雷牙の言葉を聞いて、蓮は、がくぜんとした。
「いやだ。そんなことしたら、おまえは……」
「わかってる。だけど、これだけ囲まれたら、どうせ逃げきれない。最後は人として死にたい」
人として死にたい——
友のその痛切な願いをことわることは、蓮にはできなかった。
たとえ、それが自分たち二人の幸福な時間の終わりを意味していても。
「……いいよ。食えよ。おれの腕。どうせ、ちょんぎったって、すぐ生えてくるんだから。好きなだけ、おれの血、飲めよ」
「すまない。蓮」
さしだした手に、雷牙は、かみついてきた。太い牙が皮膚を切り裂き、肉をかみきった。
激痛で、蓮は、しばらく気を失っていた。痛みが、やわらぐころには、雷牙のほうが、のたうちまわっていた。
二度めの劇的変異が始まってる。
ヘルに侵され、ゆがんでいた奇形が、もとの形に戻ろうと、すさまじい力で、雷牙をおそっている。
ウロコは、はがれおち、異様に盛りあがった筋肉が萎縮し、羽がちぢむ。かぎづめや牙は、ぬけおちた。
「雷牙! 雷牙、しっかり!」
この変異に耐えられず、ほとんどの者は、この最中に死んでしまう。
だが、蓮が声をかけると、雷牙は立ちあがった。どこかへ歩いていこうとしている。きっと、両親の家だ。
蓮は雷牙のあとを追った。
民家の物干し台から洗濯物をかっぱらった。よろめきながら歩く雷牙に着せかけてやる。
全身、血だらけだが、ウロコがなくなった今、全裸で歩かせとくわけにはいかない。
「雷牙。おれに、つかまって。どっちへ行きたいんだ?」
雷牙の血だらけの顔を自分の服のソデでふいてやったり。肩を支えてやったり。四苦八苦しながら、歩いていった。
何度か、エモノを狙う猫みたいな男たちに出会った。が、誰も二人に目もくれなかった。
酔っぱらった友人を支える二人づれ——そんなふうに思われたらしい。
「しっかり。家は、どっち? 歩けるか? 休もうか?」
ようやく、その家に、たどりついた。
計画的に造られた住宅街のなかの、わりに大きな一軒家だ。
のちに知ったが、雷牙をイケニエに出したので、家族には教団から特典をあたえられたのだ。
「ここか? ここか?」
ピンポンラッシュでドアをあけさせる。
おどろく老人や、その子ども夫婦らしいのを押しのける。
「御子さま?」
「なんと、もったいない。御子さまが、なぜまた、うちに……」
「いいから、どいて」
母親の枕元にすわったとき、雷牙自身、虫の息だった。蓮に支えられ、やっと正座しているが、息にヒュウヒュウと変な音がまざってる。
「お……母さん……僕が、わかりますか? 雷人です。あなたの息子です」
老婆が、ほんとに、雷牙を息子と認識したのかどうかは、わからない。
ただ彼女は、雷牙を見て、ほほえんだ。
老いたシワだらけの手を宙に、さまよわせる。蓮は雷牙の手をとり、二人の手をにぎらせてやった。
老婆の涙は、息子をイケニエに捧げたことへの悔恨だったのか? それとも謝罪?
老婆の口から、それを聞くことはできなかった。そのまま、満足したように、老婆は目をとじた。息をひきとったのだ。
雷牙はその気配を察し、自身も倒れた。
老婆の布団の上に、大量の血を吐いて。
「雷牙!」
まだ目は見えているのだろうか?
抱きおこす蓮に、かろうじて笑いかける。
「……行こう。蓮」
「わかった。行こう」
雷牙をひきずりおこすようにして、立ちあがらせる。
「お待ちください。御子さま。それは、ほんとに雷人なんですか? お願いです。息子をつれていかないでください」
「御子さま。せめて兄を病院へ行かせてください」
つきまとう家族に、蓮の忍耐は切れた。
「今さら、なんだよ! イケニエに捧げといて。雷牙が、ひとりぼっちで、どんだけ苦しんだと思ってんだ!」
しんと、家族が静まる。
そのすきに、雷牙を外へつれだした。
玄関を出たところで、父親が追いついてきた。
「御子さま。わしらとて、なんで好んで息子をイケニエに差しだしましょう。でも、しかたなかった。一家が生きていくためには、ほかに方法が……」
蓮の腕のなかで、雷牙が、ささやいた。
それを聞いて、蓮は切なくなった。
蓮はクローンだから、親子が、どういうものだか知らない。
彼らのあいだにある、つながりが、こんなにも深いのだと、想像することしかできない。
「……わかってるって。雷牙は、ゆるすって」
老人の目から涙が滝のように、あふれだすのを見た。
蓮は歩きだした。
もう、誰も追ってこなかった。
「雷牙。しっかりしろ。また旅をしよう。今度は海か? 山か? 北海道まで行ってみようか?」
「冬は……寒い」
「じゃあ、南だ。思いきって、ずっと南まで行こう。きっと楽しいよ。常夏の国。
澄んだ海で泳いで、魚とって。珊瑚礁なんかも見たいよね。ハイビスカスの赤い花とか。ヤシの実、さがしたりして。
きっと、夕日が、きれいなんだろうな。空も、海も、いちめん燃えるように染まるんだ——ねえ、雷牙? 聞いてる?」
あえぎ声。
蓮は街灯近くの塀に、雷牙をもたれさせた。
「雷牙。たのむよ。死ぬなよ。おれを一人にするなよ。そうだ。元気になったら、一回だけなら、寝てやるよ。おまえ、おれが欲しいんだろ? 今のおまえとなら、寝てもいい。だから……だから……」
雷牙の微笑。
人に戻った雷牙は、けっこうハンサムだった。昔みた映画の俳優に似てる。
「ありがとう。蓮……」
微笑のまま、雷牙は逝った。
こうなることは、わかっていた。土台、助かるはずのないことは。
(疫神のくせに、ピュアで、恥ずかしがりやで、おくびょうで……でも、優しかった。雷牙。おれの大切な、たった一人の友達……)
重くなった雷牙を抱きしめる。
涙が、とめどなく流れていった。
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