六章 限りあるもの 1—2
そのひとことは、蘭にショックをあたえた。
「大西さんが……?」
大西将志。不二村の最長老だ。
そうとは知らず、初めて、この村に来たとき、同年代だと思って友人になった。
あだなは、訛りアイドル。
あのパンデミック前でさえ、すでに大西は三百さいだった。
「体が弱ってるんですか?」
「ああ。おれたち元御子や巫子は、死ぬ直前まで、外見は、ほとんど変わらない。けど、体のなかでは変化が始まってるんだ。
あいつ、おれたちの前ではムリして笑ってるけどさ。
しょっちゅう貧血おこすし。風邪みたいな、ありふれた病気で寝込むことが多くなった。たぶん、もうじき……」
「僕の血か骨髄をわけあたえれば?」
龍吾は首をふった。
「あいつは望んでないと思う。あいつは自分よりさきに、子や孫が逝くのを、ずっと見送り続けてきたから。いっしょに育った友人たちは、とっくに墓の下だ。
自分と同じ時代の記憶を持つ人がいなくなるって、悲しいことだよ」
「そうですか……」
「あいつが元気なうちに、できるだけ会いに行ってやってくれ」
「わかりました。そうします」
大西の寿命が近い……それは、蘭の牙城の一角が、くずれ始めたことを告げている。
蘭は御子。永遠に死ねない。
だが、巫子は不老で長寿だが、不死ではない。ふつうの巫子なら、およそ三百さい。自身、御子を宿したことがあれば、プラス百年。
それが、寿命。
大西は巫子で御子でもあったから、三百さいから四百さい。
(水魚も巫子で御子だったから、たぶん、そのくらい。出会ったとき百さいで……あと二、三百年くらい?
猛さんは僕の骨髄で巫子になった。二百五十さいか三百さいまでは……。
僕ら、今、七十八だから、あと二百さい。
龍吾さんは百二十さい。元御子だけど、もう五、六十年しか生きない。
池野さんも元御子。僕と同世代で、あと百年……)
でも、彼らは、まだいい。
三村や赤城や安藤は、巫子でも元御子でもない。すっかり年をとった。
三村は今でも出雲村(周辺をふくめて、世界都市と呼ばれるようになった)で、暮らしている。
顔役は甥にゆずり、芸大出の特技を生かして、余生をエンジョイしている。子どもたちにオモチャを作ったり、各地に建立する蘭の銅像を作ったりなどして。
安藤は前線をしりぞいて、青年たちの教官をしていた。が、最近、それも退職した。
孫の子守りをしながら、趣味の園芸に、いそしんでる。
会うと、話がくどくなって、昔話をえんえんとしたがる。でも、蘭は、だまって聞くよう努めた。
安藤の話の最高潮は、なんといっても薬屋せんめつ作戦だ。勇ましい猛の話が聞ける。
赤城は今でも職人技で、蘭に似合うステキな服を作ってくれる。
しかし、赤城は蘭より、さらに九つ年上だ。八十七さい。半身不随なので、どうしても運動不足になり、心臓も弱かった。
いつ迎えが来ても、おかしくない。
(僕の親しい人たちが……一人ずつ、いなくなってく。たぶん、赤城さんか、大西さんを手始めに……)
二年後? 三年後? そんなの、すぐだ。
いいや、百年後や二百年後だって、寿命をなくした僕から見れば、つかのま。
そんなの、いやだ。
水魚が、猛さんが……いなくなってしまう。
そんなの、耐えられない。
ふいに、蘭の脳裏に、ある映像が鮮明に、あふれだした。
別棟のなかにある猛の寝室だ。和室に布団をしいて、猛が横向きに、よこたわってる。
背中に羽が生えてから、仰向けに寝られなくなったことだけが、猛の悩みのタネだった。
猛の髪は白くなっていた。
体のなかのエネルギーが、とつぜん切れたみたいに。数日のうちに、急激に。
顔にも少しシワがよっていたが、それはまだ、さほど大きな変化ではない。
むしろ、猛の内面で起こってる変化のほうが、激烈なようだ。あえぐ声が、とても苦しそうだ。
「猛さん。しっかりして。おねがい。死なないで。僕を一人にしないで」
猛の手を両手で、にぎりしめ、蘭は泣きじゃくる。
猛は薄目をあけた。蘭を見て、かすかに笑う。
「……ごめんな。蘭。おれだって、ずっと、いっしょにいてやりたい。けど……」
言いかけて、猛は、せきこんだ。
猛の口から血の筋がこぼれた。
蘭は、おびえる。
「猛さん!」
「そんな顔……するな。蘭、おまえには、笑っててほしい。おれ、そのために、がんばってきた。
今なら……だれも、おまえを傷つけない。おまえは、みんなの御子だから。
世界中、みんな、おまえを愛してる。おまえの笑顔を、みんなが守ってくれる。
やっと……安心して逝けるよ。これで……」
ようやく、蘭は気づいた。
猛が争いのない世界をーー蘭の王国を造ろうとした、真の意味に。
猛は世界を救いたかったわけじゃない。
瀕死の人々を見かねたわけですらない。
そんなのは、大義名分だ。
猛の真の目的は、ただ、蘭を守ること。
蘭がストーカーにおびえたり、他人をさけて孤独におちいることなく、安心して暮らしていけるように、世界を造りかえた。
ただ一人、蘭のためだけに。
「猛さん……」
どの戦いも、作戦も、それにともなう痛みも、苦しみも、すべては蘭に捧げられたものだった。
猛は全身全霊をかけて、蘭を愛してくれた。生命の最後の一滴まで、しぼりだすようにして。
涙があふれて、蘭は前が見えなくなった。
しっかり見てなくちゃいけないのに。
この人の命は、蘭のために燃やされた。
その尽きる最期の瞬間まで、蘭には見届ける義務がある。
「猛……さん。ありがとう。今まで、僕、あなたにムチャばかりさせた……」
猛は、あえぎながら笑う。
「最期だから……言うよ。ほんとは、おれのほうが、さみしがりや……なんだ。
おれ、誰かのためにしか、強くなれない……から、おまえがいてくれて……うれしかっ…た」
猛の手が、蘭のほうに伸びてくる。
燃えつきたように冷たい猛の手が、ふるえながら、蘭のほおをなでた。
「蘭……ずっと、見守って……おまえを、永遠に…………」
ぱたりと、猛の手が落ちた。そのまま、昏睡状態になり、猛は逝った。
半狂乱になって、蘭は泣いた。
むりやり引き離されるまで、遺体から離れなかった。
引き離されても、猛の姿を求めて、村をさまよった。来る日も、来る日も。
山や野や、田のなかや、思い出の倉庫……でも、どこにもいない。
人は死んだら帰らないのだと、その不在が痛いほど、突き刺さる。
「いらないよ……世界なんていらない! あなたがいないなら、猛さんーー世界なんていらないッ!」
大粒の涙が、とめどなく大地に吸われる。
声が、かれるほど泣いた。
心配して探しにきた人々に、つれもどされ、鎮静剤を打たれた。
「蘭、そんなに泣いたら、猛が、かわいそうだ。あいつは自分にできる根かぎりのことをやりきったんだから。おまえが笑ってやらないと」
言われて、蘭は彼に、すがりついた。
その背に竜の羽をもつ、猛にーー
そこで、蘭は夢から覚めたように、ふいに我に返った。
八頭家の別棟へ向かう玉砂利の庭。
そばに、龍吾が立っている。
「蘭さん、大丈夫か? 一人で立てる?」
おろおろしてる龍吾を見ながら、蘭は自分の現状が、よく理解できなかった。
(何……? 今の)
猛の死。
そのリアルな感触にも、おどろいた。
まるで、とつぜん、別の時間につれて行かれ、そしてまた戻されたように。
今の今まで、蘭はあの時間、あの瞬間に存在していた。
あれは未来。
たしかに、これから起こる未来。
でも、それなら、なぜ猛の死を見送った直後、かたわらに猛が?
わけが、わからない。
心の奥で、赤いランプが点滅する。
危険を警告するように。
(やめろ。それ以上、考えるな。これは考えちゃいけないことだ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます