六章 限りあるもの 1—3
蘭は、うずくまった。
龍吾が抱えて、別棟へ運んでいった。
「猛! 水魚! 大変だ。蘭さんが——」
バタバタと周囲に人が集まってくる。
「蘭! どうした? 苦しいのか?」
「発作ですね。早く寝かせないと」
「蘭に何したんだ。龍吾」
「将志が、そろそろだって……」
「なんで、そんなこと話したんですか。龍吾さん」
「だって、おれの日記では、今日、話すことになって……」
「そこまで忠実にしなくたっていいんですよ。あなたは昔から、生真面目すぎて、融通のきかないところが……」
「いいから、早く寝かせよう。幼化が始まる前に」
発作? ようか? なんのこと?
まわりで、猛と水魚と龍吾の声が、かわるがわるする。蘭はどこかへ運ばれていった。
その日は、そのまま眠ったらしかった。
目がさめると、翌日の朝になっていた。枕もとに、猛や水魚がすわってたから、ビックリだ。
「よかった。気がついたか」
「気分は、どう?」
蘭はおどろいて、二人の顔を順番に見た。
「なんですか? 気分って、ふつうですけど」
「ならいいんだ」
猛が安堵の吐息をつく。
蘭は、前日、自分が奇怪な体験をしたことを思いだした。
「……猛さんが死ぬ夢を見ました」
猛と水魚は困ったように顔を見あわせる。
「ただの夢だよ。蘭」
「そう……ですよね。すごく変な気がしたけど……」
蘭は、そっと、猛と水魚の顔をうかがった。
「発作とか、ようかとか、なんのことです?」
ちんぷんかんぷんというように、猛が両手をひろげて肩をすくめる。
「おまえ、疲れてるんだよ。今日は採血はやめよう。なんなら一週間ばかし、公用も、ひかえるか?」
「それがいいですよ、蘭」と、水魚。
「僕は別に平気だけど。二人が、そう言うなら、そうします。大西さんのうちに遊びに行きましょう。
それに、ひさしぶりに昼子にも会いにいってやらないと。あの子、僕のことだけは見えてるみたいだから」
「おれも行く」
蘭は周囲を見まわした。
「春蘭は?」
「呼ぼうか?」
「いえ、いいけど。ストーカーに狙われてるんですよね。春蘭」
「ああ、龍吾から聞いた。あいつも一人にしないように、しとかないと」
猛は、ため息をついた。
「うーん……まだストーカーなんて出てきやがるか。しかも、研究員」
「僕じゃなく、春蘭を狙うのは、なぜだろう」
猛は渋いような、困ったような、変な顔をする。
「ああ……ずっと研究所で暮らしてたから、きっと手近だったんだろ。それより、メシ食おう。おまえも腹へったろ?」
なんだか、ごまかすように猛は言った。
しかし、蘭も空腹ではある。
雪絵の用意してくれた朝食を食べた。
「雪絵さん。またタマゴに砂糖、入れましたね? 僕が食べるのは、ダシ巻きオンリーなんですけど」
水魚の実妹の雪絵。水魚によく似た和風の面差しで、ひかえめな美女だ。長年、猛に片思いしてる。
だから、蘭は雪絵の動向には、つねに気をくばっていた。二人の仲が発展すると、蘭は面白くない。
言ってみれば、極度のファザコンの娘が、父親の再婚を嫌う心境だろうか。
悲しみよ、こんにちは、である。
猛本人は、まだ月へ行った予言の巫子のことを想ってるようだ。たぶん、一生、心のなかにあり続けるのだろう。
なので、雪絵の恋が成就する可能性は低い。が、万一ということもある。雪絵はタイプ的に、予言の巫子に似てる。油断は禁物だ。
雪絵は蘭にタマゴの味をダメ出しされて、はずかしそうに、うつむいた。
「申しわけありません。御子さまのぶんだけは、ぬいたつもりだったんですけど」
あッと、春蘭がタマゴをくわえたまま声をだす。
「これ、そうかも」
「顔が同じだから、まちがえたんだな。しょうがないよ。蘭」
猛が蘭の皿からタマゴをとって食べながら、フォローした。かばってもらって、雪絵は嬉しそう。
まったく、この人はナチュラルウーマンキラーなんだから。
「いいですよ。今度から気をつけてください」
これ以上言うと、自分が意地悪みたいな気がしてくるので、蘭はタマゴをあきらめた。
「お兄さん。僕が口つけちゃったけど、食べますか?」
「いや。いいよ。でも、これからは、僕たち、見わけるための目印つけたほうがいいかも。白須って男も、僕と春蘭をまちがえたし」
「髪形、変えるとかしたら? たまに、おれでも間違えそうなときあるもんな」
言いながら、猛は蘭のタマゴを食べ続ける。
「よかったですね。二人ぶん、食べられて」
「肉なら、もっとよかったけどな」
急に、春蘭が思い出話を始めた。
「僕たち、最初のころは、色の違うタグを手首につけられてたんですよね。僕が白。胡蝶が青。カトレアは赤だった。
カトレアがイタズラを思いついて。一回だけ、三人で、それぞれのタグをとりかえた。
僕がカトレア。胡蝶が僕。カトレアは胡蝶のふりして、すごした。
だけど、誰も僕らが、すりかわってるって、気がつかなかった。つまんなかったから、一回で、やめちゃった」
水魚と猛が、同時に、うっとタマゴのつまったような声をだす。
「じゃあ、なんですか? その日だけ、データが全部、まちがってるってことですか? 検診の結果とかも。全部」
水魚に聞かれて、春蘭は従順に、うなずいた。
「誰も気づかなかったから、いいかなって」
「いいわけないでしょう。あとで研究所に連絡しとかないと。それ、何年の何月何日でしたか?」
水魚は春蘭を問いつめる。
が、蘭は、ちょっと、おかしかった。たしかに、それは自分のやりそうなイタズラだな、と思って。
「タグってわけにはいかないけど、何かつけることにはしとこうか。アクセサリーとか」
すると、春蘭を前に子どもをしかる母親みたいだった水魚が、蘭をふりかえる。
「では、蘭。これを身につけてください」
水魚は自分の指から指輪をぬいた。
ずっと昔、蘭が水魚にあげた指輪だ。冠をかぶり、卵を抱いた蛇のデザイン。一点物だ。
「これは水魚にあげたものだよ」
「いいんです。あなたが帰ってきてくれたから。私には、それで充分。これは、あなたに、つけていてもらいたい」
水魚は蘭の手をとり、指輪をはめてくれた。
「ありがとう。水魚」
「今度はなくさないでね」
「これ、サイズが、ちょっと大きいんですよ。でも、今は、いい感じ?」
「私が直してもらいました。ワンサイズ小さくしてある」
「うん。ぴったり」
「おまえら、女か? 指、ほっそいな」と、猛。
「そりゃ、猛さんの、ごっつい手にくらべたら……」
そのような、もろもろの会話があった。
食事を終えた蘭は、猛と二人で、まず池野のうちに行った。春蘭はストーカーに狙われてるので、水魚と留守番だ。
昼子は、あいかわらず。
昼子と池野を誘って、大西の家に遊びに行った。
大西は、龍吾の言ったとおりだった。元気なようすを装っているが、内面の力は、だいぶ衰えているようだ。
しかし、それ以上に、蘭が、がくぜんとすることがあった。大西がつれてきた『彼』を見たときに。
「この前、孫やつが、こげなし(こんな人)、つれて戻ったがね。山んなか歩いちょったらしいが。かわいそうだけん、うちで面倒見ちょうますが」
それは、顔なしだった。
新しい服を着せられ、身なりは、こぎれいになってる。
でも、やはり、『顔』はなかった。顔のパーツを失ったまま、傷が、ふさいでしまってる。
猛が問う。
「こいつ、どうやって生きてるんだ? 呼吸は? 食事は?」
とうぜん、顔なしは答えられないので、大西が答える。
「なんも食べんでも平気みたいなが。息は、よう見たら、鼻んとこに切れめがああけん、できちょうみたいだわ」
「ふうん。キャリアかな。けど……なんか、こいつ……」
猛は困惑ぎみに、口ごもる。
蘭にも、猛の戸惑いの意味はわかった。
間近で見て、あらためて気づいたが。
顔なしの体格は体の細部、全体のふんいき……そういうものが、ことごとく、蘭に似てる。
たぶん、計測すれば、身長体重も同じではないだろうか。
(ついに、来た。僕を殺す者ーー)
こっちの声が聞こえてるかどうかは、わからない。が、たしかな反応を示した。
眼球のない、その目で見えているかのように、顔なしは蘭のほうへ手をのばしてきた。蘭のほおをなで、肩から指さきへ、手を流す。
まるで、かつての自分の体をなつかしむように。自分の分身をいつくしむように。
顔なしは、蘭の手から水魚の指輪をぬきとった。
なんとなく、そうなると、わかっていた。
顔なしが、それをはめる。
指輪は、彼の指に、ピタリと、はまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます