六章 限りあるもの
六章 限りあるもの 1—1
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《夢 近未来11》
月との交信は、ボートの件で、いったん、とだえた。
だが、月からロボット兵団が攻めてくることはなかった。
ちょうど、そのころ、月では新たな宇宙航行技術が開発されていた。火星への移住が可能になったのだ。
月の連中にしてみれば、病魔に侵された地球など、苦労して、うばいとる必要はなくなった。火星への移民が優先された。
だから、こののち月からエスパーたちが帰ってくるまでの約八十年、公的には、とても平穏だった。
すでに国内は統一されていた。
ボートを使って世界中に救助の手をひろげはしたが、国内統一にくらべたら、ずっと楽に攻略できた。
なんといっても、パンデミックから時が経ちすぎていた。生存者の数が、きょくたんに少なかった。無法者たちは、たがいの抗争で消えていた。
多くの都市や町で人は死に絶えていた。
生きのびた人々は、蘭たちの助けを無条件に歓迎した。それはもう、すがりつくように。
蘭の血がヘルの猛威から人々を解放した。遺髪などから再生されたクローンは、遺族に泣いて喜ばれた。
こうして少しずつ、地球の暮らしは、以前の姿をとりもどしていった。
ひとつだけ異なるのは、すべての人が一つの信仰を持ったこと。御子の唱える『争いのない世界』の実現のために心をくだいた。
蘭のプライベートに関しては、よくも悪くも大きな変化が、いくつもあった。
まず、春蘭が双子の弟として、いっしょに暮らすようになった。
「ねえ、お兄さん。僕に将棋を教えてください」
「僕はチェスしかしないんだ」
「じゃあ、チェスを教えてください」
「いいけど、勝負には手をぬかないよ」と、蘭が言うと、なぜか嬉しそうにする。
「あ、やっぱり……」
「やっぱりって、なんだよ?」
「いいえ。なんでも」
バカみたいに笑ってたが、これが教えると、すぐに上達した。今では三回に一回は、蘭が負ける。くやしいけど、楽しくもあった。
こんなこともあった。
「ハル。これ、やるよ。僕はもう着ないから」
いらなくなった古着をおさがりで与えた。が、春蘭が着てるとこを見ると、意外と似合ってて、やっぱり惜しくなったり……。
「それ、返して。こっちのと交換しよう」
「ふうん。僕は、どっちでもいいですよ。お兄さんがくれるものなら」
わざわざ、とりもどしたのに、新しい服を着てる春蘭を見ると、今度は、そっちが欲しくなる。
キリがないので、途中で、あきらめたが。
なんとなく、ほんとに双子の弟が来たようだ。
春蘭は甘え上手だし、それに、蘭の性格をよく見抜いてた。蘭の前で、猛や水魚に甘えることは、いっさいなかった。
まあ、だから、蘭にも受け入れやすかったのだろう。
そして、菊子が、カトレアの子どもを生んだ。カトレアのーーということは、遺伝的には、蘭の子どもだ。
この報告を菊子から受けたとき、「あいつ、何が避妊はバッチリだ。大ウソつきだな」と、猛は、ぼやいた。
しかし、「生んでいいですか? 生みたいんです。生みます」と、菊子に押しきられ、まあ、ゆるした。
蘭は、このさき、自分が誰かに恋して結ばれることは、まずないと確信してる。
だから、一人くらい子どもがいてもいいかなと思った。
カトレアが勝手に種をまいてくれたので、労力が省かれたし、母親が菊子なら妥当な線だ。赤ん坊は、父母の両方から巫子の血をひくことになる。
それに、育児は菊子がしてくれる。
生まれる前から、とんでもない育児放棄な父親だが、菊子も、そこは初めから期待してなかった。
蘭は気がむいたときだけ会いにいくことにした。僕と菊子の子なら、どれほど可愛いだろうと、期待した。
が、生まれてきた子どもは、なぜか、土偶(どぐう)だった。お世辞にも容姿端麗とは言えない。
げせない。仮にも、蘭の遺伝子と菊子の遺伝子の交配だ。
蘭は自分で言うのもなんだが、比類ない美形だ。菊子だって、往年の東大卒の女性タレントに似た美人なのに……。
「なんだか、申しわけありません」
研究所の乳児室。蘭と子どもの初対面の日。そう言って、菊子は頭をさげた。
「……いや、君のせいじゃないさ。遺伝子の不思議ってやつだね。奥が深い。隔世遺伝かな」
といって、蘭の両親にも似てる気がしない。母は蘭に瓜二つの美女だった。父だって、京男らしい優男だ。
蘭は菊子の両親は知らない。そっちに似たんだろうと思っておくことにした。
「まあいいよ。あとは君に任す。煮るなり焼くなり好きにして」
子どもが男か女かも、たしかめずに、蘭は去った。
ロビーへ向かう、ろうかで、いきなり手をつかまれた。
「春蘭ーー!」
白衣を着た研究員だ。無精ヒゲだらけの研究員らしからぬ風体。蘭の知らない男だ。研究所は広いし、研究員も数多い。蘭が知らない人間は多い。
蘭は男の手をふりほどいた。
オリジナルをクローンと見間違うなんて、はなはだ失礼だ。
「僕は春蘭じゃない」
男はハッとして、蘭を見なおした。
「御子さま……」
「春蘭に何か用?」
「いえ、その……」
戸惑いながら、蘭を見つめる。そのあと、無言で去っていった。が、数メートル離れて、男はふりかえった。
その目つきに険がある。
ねっとりして、からみつくような、あの感じ。蘭には、おぼえがある。
ついぞ忘れていたが、物陰から、つきまとう、ストーカーの視線だ。
(でも、春蘭って言ってた。狙いは春蘭か)
胸のネームプレートは、たしか、白須と書いてあった。
蘭は急いで屋敷まで帰った。
母屋の前で、龍吾に会った。
染髪料がないころ、いっとき黒髪に戻ってたが、今はまた茶髪になってる。黒髪のほうが似合うのに。
龍吾は死ぬまで、この中途半端にチャラいキャラをつらぬきとおすつもりだろうか。
「ああ、蘭さん。今日もキレイだね。きみは、ちっとも変わらないね。あれから五十年も経つのに」
「そういう、あなたもね」
「おれは元御子だから」
「僕は今御子だから」
「水魚や雪絵さんだけじゃなく、おれのことも、お側で仕えさせてよ。君の背中ながしてるの、水魚なんだって? おれなら、もっと丁寧に洗っちゃうよ?」
「キモイです。それより龍吾さん。ちょうどよかった。春蘭がストーカーに狙われてます。警備を強化してください」
屋敷と村の警備は、龍吾の管轄だ。
「ストーカー? なつかしい響きだなあ。まだ、そんなのいるんだ?」
「あなただって、微妙に僕のストーカーじゃないですか」
「傷つくなあ。おれは、つきまとったりしないよ。正面から、くどくだけ。
じゃあ、しばらく、二十四時間態勢で、門に見張りつけとこう。別棟のなかは、猛がいるから問題ないだろうし。
だけど、屋敷から出るときは、かならず言ってよ? 護衛つけるから」
「そうですね。春蘭とまちがわれて、僕が被害にあうってことも考えられるしね」
じっさい、さっき、間違われた。
蘭は白須の特徴を龍吾に伝えた。目が細く、ほおにホクロなど。
蘭が立ち去ろうとすると、龍吾が手をつかんで引き止めた。
マジで、くどく気かーーと思ったが、龍吾は真顔だ。一見、チャラいが、根はイナカ育ちの、お坊ちゃんだ。そのへんの切り替えに、いつも少し戸惑う。
「蘭さん。将志が、もうダメだよ」
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