五章 月と花、品種改良 3—4
《近未来 クレイヴ1》
エスパーたちが地球に帰還して、そろそろ五年になる。今では開拓も進み、町らしくなった。
なかには先祖の暮らした国へ行きたいと言い、各国へ散っていった者も多い。
地球の生存者たちは、快くそれらを迎えた。エスパーの力は開拓の時代には、とても便利だから。
もちろん、ただ先祖が同じだから、便利だからというだけでは、そう、うまく事は運ばなかっただろう。
統合がうまくいった最大の要因は、両者のあいだに、共通の信仰が生まれたからだ。
御子だ。
いや、地球人にとっては信仰だが、エスパーたちには初めのうち、アイドルと言ったほうがよかった。
地球人のように、瀕死のところを御子の血で救われたわけではないから。
けれど、人気は絶大だった。
エスパーたちは歓迎パーティーの夜に、すっかり御子の魅力にまいってしまった。
地球人と同じように、彼を『ミコさま』と呼んだ。ブログやホログラムを見てさわぎたてた。レアもののホログラフィックスなどは高値で取引された。
御子の不老不死については、当初は懐疑的だった。クローンを使ったトリックじゃないかと言われた。
しかし、何度か御子の訪問を受け、神秘をまのあたりにすると、しだいにエスパーのなかにも信仰が浸透していった。
瞬間的治癒力。病人の平癒。
これは、まるでキリストの再来だ。
人間は、かつて救いの子をほろぼし、原罪を負った。これは、その罪をあがなうべく神のつかわしたもうた奇跡ではないのか。
多くのキリスト教徒は、そのように感じた。御子を助け、御子の示す道に従うことこそ、贖罪ではないかと。
そして、御子が人々に提唱するのは、争いのない世界。はるか昔から人類が求めながら、一度も実現されたことのない世界だ。
それはエスパーにとって、本能的に心地よい世界でもあった。
エスパーの多くは、他人と感情を共有する感応力の持ちぬしだ。他人の痛みを自分の痛みとして感じる。基本的に争いを好まない。
御子の理念には、多くの者が賛同した。
月から持ち帰った技術や、生まれながらの超能力で、御子の国をより豊かにした。争いのない世界の実現のために。
クレイヴも、そのなかの一人だ。
クレイヴは平凡な男だ。
ESP協会の定めるAランクのエンパシストではあったが、ほかに特技はない。
月ではウェイターをしていた。
遺伝子操作を受けて生まれたので、顔立ちは整ってる。でも、クレイヴくらいに整ってるのは、月ではあたまりまえだった。
兄弟は二人。姉と弟がいる。
ふつう、なかっ子は目立ちたがりだが、クレイヴだけがエスパーだったせいか、いつも二人に遠慮していた。おとなしい内向的な性格に育った。
エスパーの子どもは、みんな繊細だ。
ときに、むきだしの感情をぶつけてくる姉や弟には恐怖すら覚えた。
家族となじめないまま大人になった。
他人が自分にいだく好悪が感じとれるので、受け答えはそつない。
そのため、交友関係は広かった。
でも、ベストパートナーに出会うことはなかった。
エンパシストにとって、心の波長は容姿の好み以上に重要なことだ。
なかなか、自分にピッタリと合う相手は見つからない。
そのうちに、月の暮らしにかげりが差した。
例のあの非人道的な実験の数々が明るみになった。エスパーたちは反乱を起こした。結束して秘密研究所をおそい、解放した。
大統領は失脚した。が、このことで一般人とエスパーのあいだに亀裂が生じた。
初めは、ゆっくり。しだいに
四億人のエスパー全員が、地球へ脱出したわけではない。
なかには自分の能力をかくして、月にとどまった者もいた。火星に逃げた者もいた。逃げだす前に暴徒に殺害された者もあった。
命からがら、逃げだしてきた、第一陣のシャトル。クレイヴもそれに乗りこんだ。身のまわりのものだけ持って、宇宙航空センターへ急いだ。
その便を念動力者が占拠するという伝令が、エンパシーでまわってきたからだ。
家族の誰にも、さよならも言わなかった。
どうせ、クレイヴがいなくなっても、なんとも思わない。あれ、いつのまにいなくなったんだろうと、ずいぶん経ってから気づくだけだ。
シャトルが地球へ降下するときには感動した。
いつも月から見ていた青い星が、みるみる眼下にせまってくる。
これほど美しいものはないと思った。
だが、その直後に見た御子は、それを上まわる感動をクレイヴに与えた。
宇宙の闇に宝石のように発光する青い星より、御子は美しかった。
この人に一生ついていこう。
そう思うと、生まれて初めての安息を得た。
だから、開拓の暮らしは楽しかった。
クレイヴの貯蓄では少し高かったが、御子の映像を映すカードを購入し、毎日、ながめた。
あたりまえだが、自分が御子と個人的に懇意にできるとは、まったく思ってなかった。ただ遠くからながめて満足していた。
五年は、あっというまだった。
暮らしが落ちついたころ、月との国交が正常化した。月政府はエスパーの地球移民を正式にみとめた。
リーダーが変わったからだ。
月では、エスパーがいなくなって初めて、市民の生活がどれほどエスパーに支えられていたか思い知らされていた。
心のケアをするサイコセラピスト。宇宙空間での危険な作業などをする念動力者。犯罪を操作する透視能力者。
国家の重要な仕事には、おおむね、エスパーがたずさわっていたのだと、市民は気づき、後悔した。
それで国のトップに立ったのが、オシリスだ。オシリスは月に残った強力なエスパーだ。
超能力者を排斥しておいて、その結果、超能力者に支配されるという皮肉。
自分は、そんな世界から逃れてきて、ほんとによかったと、クレイヴは心から思った。
国交が正常化したことで、家族から連絡が入った。
「生きてたのね。クレイヴ。よかった。ママ、あなたは殺されてしまったんじゃないかと思ってたわ」
「どうして、何も言わずに行ってしまったの? 心配するじゃない」
「帰ってこい。クレイヴ」
「そうだよ。クレイヴ。帰ってこいよ」
両親。姉。弟。
みんなが宇宙間オンライン(ホロライン)のなかで泣いていた。
クレイヴは戸惑いつつ、胸が熱くなるのを感じた。
いつも、その感情の奔流で、クレイヴに恐怖を感じさせた家族たち。
だが、こうして、エンパシーの届かない三十万キロのかなたまで来ると、彼らに悪意はなかったことがわかる。
表情や言葉から、素直に愛情を読みとることができた。
(そうか。家族を理解しようとしなかったのは、僕のほうだった。ずっと人間は、こうして目には見えない心を理解しあおうとしてきたのに。なまじ心が読めるから、家族の送ってくるサインを見すごしてきた。最初から理解しようともしなかった。悪いのは、僕のほう)
クレイヴは嬉しかった。
そのうえで、エンパシストの自分には、これが家族とのちょうどいい距離だと思った。
カメラの映す映像でなら、わかりあえる。生身でふれあえば、きっとまた、クレイヴは家族に傷つけられるし、クレイヴも家族を傷つける。
「……ありがとう。でも、僕はこっちで幸せだから。また話そう。離れてても、ホロラインで話せる」
この日から、クレイヴのなかで何かが変わった。
仕事中に鼻歌を歌ってることが、よくあった。性格が明るくなり、人との交流が増えた。
あのウワサを聞いたのは、そのころだ。畑地でいっしょに小麦を作ってる仲間とバーへ行ったときだ。
「知ってるか? 宇宙船の最下層あたりでさ。幽霊が出るんだってさ」
半信半疑でクレイヴは反問した。
「幽霊?」
うまそうにビールをいっき飲みしながら、ジョーイはうなずく。
「そう。幽霊」
「それ、おれも聞いたよ」と言ったのは、オーランド。
「白人の男の霊なんだってさ。何年か前に秘密裏に処刑されたやつが、恨んで出るんだっていう話」
「処刑? そんなバカなこと……」
エスパーたちは、そういう手段を嫌う。
地球へ来たころ、月の管理下から離れた独自の法律を定めた。しかし、よほどの重罪でなければ、死刑は適用されない。
「いやいや、ほんとさ。処刑されたやつはほんとにいるんだ。ほら、こっち来たばっかりのころ、あったろ。御子を殺したくなる自分が抑えられないって、大勢が訴えたこと」
「ああ。あったっけ。そんなこと。あのときは僕も頭痛を感じた。マインドアタックだって、すぐ気づいたから、制御ピアスでガードしたけど」
「あの犯人が、危険思想で処刑されたらしいんだ」
なるほど。それなら本当かもしれない。
エンパシストは心を読む力があるからこそ、たがいのパーソナリティを尊重する。
自分の思想を無差別に押しつけ、たれ流すなんて、ありえない。
「ふうん。じゃあ、その亡霊。エンパシーゴーストなんだな。気をつけないと」
「エンパシーゴースト……力の強いエンパシストが死ぬとき、恨みとかの念が磁場に焼きつけられて、亡霊みたいに長いあいだ残るっていう、あれだよな? そんなもんに取り憑かれたら、毎日、そいつと頭んなかで格闘してなきゃならなくなるぜ。おっかねえ」
「ほんとにな」
酒の席でのジョークにすぎなかった。
ほろ酔いかげんで、宇宙船へ帰った。
自室の前で、クレイヴは気づいた。
廊下に男がたたずんでいる。金髪。青い目。白人の若い男。押しだしのいいハンサムだ。
だが、ひとめでわかった。
その男が、すでに生きてないことは。
その男は、クレイヴの頭のなかに、ちょくせつ見えている。
(エンパシーゴースト——)
クレイヴが心にマインドブロックをかけようとしたときには、すでに遅かった。
男の思念が強烈な強さで、クレイヴの脳を侵した。
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