四章 変容の月 1—3
「いいえ。残念ながら。私と血縁になれば、いくらか私に近づくことはできます。でも、誰も不死にはなれない。こっちにも研究所はあるんです。あなたがたが思ってるより、ずっと近代的なのが。そこで、私の体はすみずみまで調べつくしました。
私の体はES細胞を無限に生産することができる。多くの酵素や伝達物質で、その働きをたくみにコントロールしている。必要な場所で必要な細胞が作られるように。だが、この生産と制御をおこなう器官を、人工的に造りだすことができない。私のクローンを造っても、ただの常命のホモサピエンスができあがるだけです。それが我々の研究結果です」
蘭だって、自分だけ不老不死だなんてイヤだ。できることなら、猛や水魚を自分と同じ不老不死にしてしまいたい。
けれど、蘭の内にある『御子』をクローン化することは、どうやってもできなかった。
蘭の体内で生産されるES細胞は、蘭の遺伝子だ。つまり、御子が蘭の体にそれを作らせている。だから、蘭のES細胞を使っても、御子のクローンはできない。
御子の遺伝子を採取し、卵子に植えつけると、その卵子は死滅する。
それに、不老不死をコントロールするプロセスは複雑すぎる。人工機器で人為的に模倣することも不可能だ。
また、巫子が不老ではあるが不死でない理由もわかった。
蘭の骨髄や血をわけあたえた巫子たち。今の猛や水魚たち。
蘭の血液には、とうぜん、ES細胞がふくまれている。そのES細胞が体内で生きているあいだだけ、不老の恩恵にあずかっているにすぎないのだと。
御子の血が消えれば、寿命も尽きる。
悲しいことだが、それが現実だ。
「私の体を研究したデータを、あなたがたに開示してもいいですよ。いずれね。たがいをもっと信頼しあえるようになってからですが」
「見返りに何を要求するんだ? 月への移住かね?」
蘭は笑った。
「月? この美しい青い地球をすてて? 愚の骨頂ですね」
「私を怒らせたいのかね?」
「失礼。ずっと年をとらないと、どうも精神年齢も止まってしまうみたいでね。若造のざれごとです。私はただ、ヘルのまんえんしたこの地球で生きていけるのは、私たちだけだと言いたかったんです。月のみなさんが、そっちはそっちでうまくやってくれるのは、いいことだと思ってますよ」
「要するに、不可侵条約を結びたいと?」
「ええ。あなたがキラー衛星を作動させて、我々を病んだ地球に、はびこるダニみたいに、焼き滅ぼそうなんて考えないでくださるとありがたいですね。そんなことしても、そっちもこっちも、なんのメリットもない。
それより、手をとりあいましょうよ。そうすれば、あなたは私の体の秘密を得る。醜く老いることはなくなるんですよ? 死の直前まで老いることなく、寿命は三百さい。うらやましくはありませんか?」
ううむと、また、うなり声。
「お返事、お待ちしておりますよ。では、それまで、テロメア修復薬で寿命をつないでください。あれは我々の村で作られた失敗作ですけどね」
コンタクトを切った二時間後には、ふたたび大統領から交信が入った。
出雲王国を地球に現存する唯一の文明国家と認め、正式に国交を求めるという内容だ。
向こうは、蘭たちの持つ研究データを求める。こっちはパンデミック後、失われた分野の知識を求めた。
ロボット工学、重力装置、気候調節装置、宇宙航行エンジンなどだ。
もちろん、蘭たちの現在の科学力では、それらを造ることはできない。
だが、そこから月の文化水準を類推し、彼らの所持する兵力を推し量ることはできた。
彼らが『御子から得られる知識はすべて得た。あとはロボット兵士を宇宙船に乗せて地球に送りこむだけだ。御子と巫子を捕らえ、実験材料にしよう』と、考えられるレベルにあるかどうかを。
こっちは、なるべく情報を小出しにし、月の連中に『まだヤツらを殺せない』と思わせておかなければならない。
「月の大統領は貪欲なエゴイストのような気がしますね。どうも信用できない」
何度か言葉をかわした蘭は、大統領の印象をそのように受けた。猛や水魚も同じ意見だ。
「そりゃまあ、自国民を見すてて、自分たちだけ、さっさと月へ逃げだした連中だ。紳士なわけがない」
「ですよね」
「気づいたか? 蘭。ちょっと前まで人類が滅ぶかどうかって
「やつらも、すぐに攻めてくるゆとりはないはずだ。向こうがそれをできるようになる前に、こっちも国力を強化しないといけませんね」
「対空、対ロボット用兵器だな。宇宙船がどこに現れてもいいように、レーダーを各地にそなえたい」
「だいぶ、文明らしくなってきましたね」
「まだまだ、やることは、いっぱいだ。日本統一。それに、海外にも手を伸ばさないとな」
猛は楽しそうだ。
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