四章 変容の月 1—2


《夢 近未来9》



「おお、ある。ある。なつかしいな。見ろよ、蘭。おまえの写真集」

「うわっッ。いま見ると、なんて恥ずかしいカッコ。なんですか、これ。裸にレザーパンツに毛皮ですよ。信じられない」

「おれ、こっちの着物のおまえのほうが好き。生足、ちら見せがいいよ。カワイイなあ」

「カワイイは、ちょっと抵抗あるな。僕」

「ほら、これなんか、祭のポスターにちょうどいい。あとで全ページ、スキャンして、デジタル化しとこう」


 三十年ぶりに、あけられた三つめのタイムカプセル。三十年前の自分たちが、必死に考えて未来へ送りこんだ数々の品。


 これまでの二つは充分に役立ってくれた。

 一つめはレトルトや缶詰め類。日用消耗品。燃料。一般人でも資格をとったり、申請すれば購入可能だった猟銃、日本刀、ナイフなどだ。

 二つめは塩、砂糖など調味料。プラスチック製品。大工道具や農具。家電。無線などの通信器具。

 そして三つめ。金属類や蘭の装身具。大量の娯楽品。猛の念写のための専用フィルム。嗜好品。


「ああ、僕のマイセンのティーカップ。これ、お気に入りなんですよね。このブルーの色が好き。こっちはコーヒーカップ。猛さん、コーヒーは大丈夫そう?」

「ああ。豆で寝かせてあるから、いけそうだ」

「うれしい。今夜はひさしぶりにコーヒーが飲める」

「二十年ぶりかな? 最後にインスタントコーヒー飲んでから」


「置いとくもんですねえ。あ、このダウン。猛さん用ですよ。僕の黒だし」

「ダウンって言ってもなあ。着れないよ。まさか背中に羽、生えると思わないもんな、赤城さんに頼んでリフォームしてもらうしかないか。背中にもジッパーいるよ」


 あれこれ見ながら笑いあった。


 しかし、大量の品物だ。倉庫から持ちだすのには、青年団のみんなが流れ作業で運んでいる。ジャマにならないよう、蘭は外へ出た。猛は指示のために残る。


 車道わきの石(もしかしたら地蔵かも)に腰かける。昔の恥ずかしい写真集をながめていた。


 そのときだ。

 蘭は林のなかを歩いていく人影を見た。

 近ごろは山のなかにも炭焼き村がある。山中だからって無人とはかぎらない。

 村人なら、こんなヘソ出しセミヌードなんか見せられない。あわてて写真集をかくす場所をさがす。

 とはいえ、そんな場所が山中にあるわけない。あきらめて背中にかくした。人影が近づいてくるのを待つ。


 そのまま、数分がすぎた。


(変だな。誰か、こっちに向かってきてる気がしたけど……)


 蘭は立ちあがって、ふりかえった。

 人影は林の奥に遠のいていくところだった。そっちには村はないし、木こりや炭焼きにしては道具を持ってない。第一、仲間が一人もいないのはおかしい。


(服もボロボロだ。もしかして、まだ人目をしのんで隠れ住んでるキャリアがいたのかな。キャリアはノンキャリに見つかると殺されると思ってるから。今でもときどき、いるんだよね)


 蘭は写真集を石(たぶん地蔵)の上に置き、そっちに歩いていった。


「君、待って! 話をしよう。もしかしてキャリアなの? 逃げなくていいよ。僕もキャリアだから」


 声をかけるが、ふらふらした足どりで、ゆっくり遠のいていく。もしかしたら耳が聞こえないのかもしれない。


 蘭は急いで、その人のもとへ走った。

 二メートルの距離まできた。


 そこで、ハッとする。

 男には顔がなかった。

 目も鼻も口も。肉ごと、そぎとられたように陥没している。その上を皮膚がおおっていた。


(顔なし——)


 もう十数年も前、海辺で国中から聞いた話を思いだした。

 全身、メッタ刺しで浜辺に打ちあげられていた男。

 そういえば、その男は南へ向かっていたと、国中は言っていた。あれから十年かけて、彼はここまで来たというのか。


 どう見ても、目は見えてない。耳は聞こえているのか? 鼻や口もふさがれてる。呼吸や食事はどうしてるのだろう。

 よく、これで生きてられる。

 それとも、これは生きた死体だろうか?


 急に、蘭は頭痛をおぼえた。

 なんだか頭の奥で変な光景がチカチカする。


 いつのことだったか。

 蘭は彼と会った。

 そして、そのとき、蘭は彼に殺された。


 まぶたの奥でグルグルまわってる。

 死ぬはずのない御子の蘭が、血を流し、大地によこたわる姿が。


「蘭——大丈夫か?」


 気がつくと、蘭は一人で林のなかにすわりこんでいた。

 猛が心配げに、蘭の顔をのぞきこんでいる。


「……猛さん」

「びっくりさせるなよ。いなくなったかと思った」

「ちょっと気分が悪くなって。でも、大丈夫です。もう治りました」

「そうか? いくら安全になったからって一人で歩きまわるなよ。熊やイノシシは、御子さまだからって容赦してくれないぞ」

「そうですね……」


 顔なしはいなくなっていた。

 あれは蘭の見た幻だったんだろうか。

 蘭の心の底にある不安が形になったような?


 このことがあったせいだろうか。

 このころ、蘭はしばしば奇妙な夢に悩まされた。自分が自分でなく、ほかの誰かだったかのような夢だ。

 それは人がまだ青銅器を使い始めたばかりのころだったり、また別の時代だったりする。

 つねに人に追われ、自分を醜いと思いこんでいる蛭子の悲しい夢だ。

 夢から目覚めたとき、涙をながしてることがよくあった。


「それは御子の夢ですね。あなたのなかで御子が遠い昔を思いだしているのです」と、水魚は言った。

「私も何度か見ましたよ。御子を宿してたころ。私の見る夢は、あなたほど鮮明ではなかったが。いつも、体中が引き裂かれる痛みと悲しみを感じた」


「蛭子はさまよってた。いつも、たった一人。人とは違うものとして生まれたばっかりに」

「だから、彼はあなたを選んだ。誰もが、ひとめで愛さずにはいられない、あなたを」


 そんなこと言われても、蘭にはどうしていいかわからない。望んで御子になったわけじゃない。


 だが、蘭の心情とは裏腹に、蘭たちの王国は新たな局面を迎えた。

 月の大統領から、ホットラインが入ってきたのだ。


 きっかけは、あの出雲村で起こした奇跡だ。すべての同盟地に向けて流した無線放送。あれを月の連中も聞いたからだった。


 地球の衛星軌道上には、月の連中が造ったスペースコロニーがたくさんある。

 そこを中継基地にして、大統領は電波を送ってきた。


「出雲の王と話したい」と、大統領は当然のように米語で話してきた。


「初めまして。大統領。私が出雲の王です」

「あなたの流した演説を聞いた」

「演説というほどのものではありません。私の民への、ちょっとした告白だ」


「その告白だが、真実だろうか?」

「もちろん」


「ヘル・ウィルスが効かない……いや、それどころか、不老不死だというのは?」

「残念。音声だけの交信なので、奇跡を見せてさしあげることができない。それとも、すでに偵察機で調査ずみかな? 確信があったから、コンタクトをとってきたんでしょう?」


 大統領はうなった。

 そのとおりだからだろう。


「単刀直入に聞こう。我々も、あなたのようになれるだろうか?」

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