四章 変容の月
四章 変容の月 1—1
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《現在3》
「そんなふうに、僕は神として崇拝されるようになっていきました。なんといっても、目の前で奇跡をおこしたわけだし。むじゃきな子どもが『御子さまのおかげで治ったよ』と言って、かけまわる。これ以上の舞台効果がありますか?
このときの僕の言葉は無線で、各地に流されました。録画映像もコピーして映写された。また、このあと何度か、遠方へちょくせつ出向きました。病人やケガ人を治す奇跡を起こすために。
僕は、この世に降臨した最後の神になった。もともと出雲の王として尊崇されてたから、それを神域まで高めるのは難しいことじゃなかった」
五条のマンションのリビング。
夢の内容を語る蘭を、薫は食い入るように見つめている。
猛は最初、カーアクション映画に見入っていた。が、途中であきらめて、テレビを消した。
ミャーコはキャットタワーの上で丸くなってる。
「うーん、夢だとわかってても、自分の名前、出てくると、迫力だなあ」
「猛はいいよ。蘭さんと二人で楽しそう。僕なんか、ひとりぼっちで月にポイ!——だよ。さみしいッ」
兄弟は笑いあい、子犬みたいにじゃれあう。
蘭は愛しさで胸がちぎれそうな気がした。
あの夢が本当に未来で起こることなら、この光景は数年後には見られなくなるのだ。
「二人とも笑いごとじゃないですよ。水魚の手紙、読んだでしょ?」
「あ、悪い。べつにふざけてたわけじゃないんだぞ。ちょっと、これは、その、兄弟のコミュニケーションだ」
「兄ちゃん。コミュニケーションでコブラツイストはやめてくれる?」
「いやぁ、かーくんが可愛いからさ」
やっぱり、話にならない。
猛は水魚を古い宗教にしばられた、誇大妄想狂とでも思ってるのかもしれない。
こんなこともあろうかと、蘭は用意してある。二人の前にカミソリを出した。
「おい、蘭。なにする気だ?」
「じつはね、猛さん。二人には黙ってたけど、僕には自覚がないわけじゃなかったんです。この前、出雲から帰ったあと、自分の体がなんか変だな……って。このごろ、ひげが生えなくなったんですよね」
「わあッ、やめて! 蘭さんにヒゲとか、考えたくない」
「かーくん。僕だって成人男子ですよ。二十六にもなってヒゲも生えないとか、ありえないじゃないですか。そりゃ、もともと、濃くはないですけど。前はちゃんと毎朝、そってました。それが出雲から帰ったあと、ぴたりと生えてこなくなったんです。ちょっとリアルな話で恐縮ですけど、ヒゲだけじゃないんです。全身のいわゆるムダ毛ですよね。腕とか、スネとか……見ますか? 今もう、第二次成長期前の小学生ですよ」
猛と薫は顔を見あわせてる。
「ええと、つまり、アレか? 脇とか、陰——」
「そこは聞かないで!」
蘭は両手で顔をおおった。
「蘭さん。あぶないよ。カミソリ持ってるんだからね。顔に傷でもついたらどうするの? そのビューティフルな顔に!」
吐息をついて、蘭は両手をおろす。
「心配ありません、かーくん。僕、何度も試してみたんです。ヒゲが生えなくなって、かわりに髪や爪はやたらに早く伸びるし。なんか変だなって……それで、見てください」
蘭はカミソリで自分の手のひらをほんの少し切った。スッと走る痛み。じわじわと血がにじんでくる。
「なにしてんだ! 蘭」
「心配ないって言ったでしょ?」
蘭は手のひらを猛の前にひろげてみせる。猛は蘭の手を見つめた。あッと声をだす。そして、自分の手で、蘭の手のひらをこすった。血は散らされる。が、傷はどこにもない。
蘭が何度も確認してきたことだ。
「おまえ……」
「……僕、いつのまにか、御子にされちゃったらしいんです」
しばらく、兄弟は黙りこんだ。
やがて、猛が言いだす。
「蘭。おまえ、監禁されてたあいだ、水魚に何かされなかったか?」
「それがねえ……心当たりって言ったら、あれかな? 水魚は御宿り場って言ってたけど。僕がケガして、もうろうとしてるとき、その場所に入れられてたらしい。それで、全身、金色に輝く人が僕のほうに近づいてきて……あとはおぼえてないんですけど」
猛はため息をつく。
「まあ、それだろうな。御子って、退化して、人から人へ取り憑くんだろ?」
「やめてくださいよ。物の怪に憑依されてるみたい」
「それ、なんとか出すことできないのか?」
「どうやって? 病院なんか行ったら、僕、一生、モルモットですよ」
「それはそうだよねえ」と、薫。
「なら、出ていってくださいって、御子に頼むとか」
蘭はもうろうとしてたときの記憶をふりしぼった。
「……たぶん、ムリです。僕、あのとき、精神的に追いつめられてたから。『永遠に一つになろう』って、言っちゃったかも」
「なんで、そんな軽はずみなこと」
「猛さんが悪いんですよ。僕を家族じゃないとか言って、さみしくさせたじゃないですか」
「だから、あれは誤解だって……」
「わかってますよ。わかってます。家族だと死んじゃうからでしょ? 僕が友人なら、東堂家の運命に巻きこまれて死ぬことはない——だからって、ほんとに死ななくなっちゃった!」
蘭はテーブルにつっぷした。
兄弟が両側から、蘭の背中に手をかけてくる。
「蘭、おまえを一人にはしない。約束する」
ハッとして、蘭は顔をあげた。
猛が優しい目で笑ってる。
ああ、こうして僕は、なにげないひとことで、猛さんを縛ってしまったのか……。
「猛さん……」
「おまえが死なないんなら遠慮しないよ。おまえは、おれたちの家族だ。そうだろ?」
「ああ……僕は月に行っちゃうんだけどねえ。でも、離れてても、心はずっといっしょだよ——けど、さびしいッ」
三人で、しばし、抱きあった。
「だとしたら、いろいろ準備しとかなきゃな。いざってとき、こっちから運べるものは少ないだろ。いっそ、藤村の近くに別荘買って、物資、買い置きしとくのがいい。さっきの話、聞くと、必要なものってわかるじゃないか。もちろん、水魚は万全の準備してると思う。けど、そういう時代なら、物資はいくらあっても、ありすぎってことはない」
「それはいいかも。別荘っていうより、倉庫ですよね。丈夫な窓のない倉庫。塩とか香辛料、置いときましょう。電気は使えるんだから、家電は複数台、買っとくといいですね。パソコンとか、冷蔵庫とか。修理用に部品なんかも」と、蘭も意見を言う。
「家電だけじゃなく、無線機やトランシーバーもあると便利だろ。ケータイは使えなくなるんだから。あと、娯楽用品もな。テレビもネットもなくなるんだから気晴らしが必要だ。たぶん、水魚はそういうのは二の次だと思うんだ」
「家庭用カラオケとか、本、CD、ボードゲームとかね。そういう意味では、あんがい、今は価値の低いものが大切になるのかもしれませんね」
「ゴミ袋とかトイレットペーパー。油田や工場はかなり長期でストップするだろうからな」
「そうですね。プラスチック製品を買いためておきましょう。陶器類は藤村に陶工がいる。ガラスもなんとか。そうだ。僕は自分用に羽布団、何組か買っとこ。羽毛製品は藤村では手に入りにくいんです」
「農具や開拓に必要な道具もいるよな。貴金属もな。純金やプラチナ、銅。電化製品が劣化してきたときに必要だよ。レアメタルなんかは、ちょっと、おれたちには手に入れにくいなあ。宝石店やホームセンターで買えるものを集めよう。鉄は南部鉄器のナベとかで代用してもいい。つぶして使える」
「そもそも御子らしい装いのために、装身具じたいがいりますね」
「リスト作って書きだすか。何をどのくらい購入しとくか。蘭、おまえ、貯金、どれぐらいあるんだ?」
「四億です。このマンション買っちゃったし。でも、東京のマンションや他の不動産、処分すれば、もう一億。それに、パンデミックは十年後ですよね。あと十億は稼げると思います。最後の年は脱税しちゃってもいいんだし」
あははと薫が笑う。
「蘭さん、確信犯!」
「今度、写真集も出しますしね」
猛は苦笑した。
「なんか……作家じゃないよな。タレントだ」
「テレビ出演はことわってきたけど、受けたほうがいいのかな。大金、かせぐために」
「いや、それはストーカー増えるし、やめとけよ。四億あれば充分だって」
「どうせ、とっといてもムダになるなら、パッと使わないとね、ほんとは僕たち三人の老後のための貯金だったんだけど」
「杞憂なら杞憂でいいさ。そのときは買いためたもので、気楽に暮らそう」
笑って話してたのに……。
一年、二年と経つうちに、時代の流れは、まちがいなく、水魚の言ったパンデミックへ向かっていた。
まず、テロメア修復薬が発売された。
それから、その薬の販売が規制された。
また、城之内博士の確立した再生医療が、社会に深く浸透していった。
パンデミックの引き金になる変異酵素。あの酵素を持ち逃げした博士だ。
やはり、パンデミックは起こるのだ。
藤村の近くに土地を買った。爆弾の爆発にも耐えるような頑丈な倉庫を建てた。そこにリストに書きだした品物をたくわえた。
パンデミック直後に必要なもの。
数年後から十年後に必要なもの。
それ以降に、あれば便利と思えるものにわけ、三カ所で保管した。
心の底では、パンデミックなど来なければいいと願いながら……。
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