二章 海と星、金魚 3—2

《未来 美沙2》



 いったい、この幸運ラッシュは、なんなんだろう?


 ご拝謁プレゼントに当選しただけでも、信じられない幸運だというのに。

 御子さまに、お声をかけてもらったばかりか、いっしょにお茶。

 水魚さまの運んできてくださった玉露と白玉ぜんざいをごちそうになってる。御子さまのとなりで。


「めずらしいですね。蘭が女の子に興味を持つなんて」

「水魚。そういう言いかた、やめてよ。僕がこの子たちを狙ってる狼みたいじゃないか。たまには、にぎやかなのもいいと思っただけ。この子たちも僕のファンみたいだし」


 璃々花は興奮してるのか、図々しい。御子さまと水魚さまの会話に割って入る。


「ファンです! 大ファンです! あの、あの……サインしてください!」

「いいよ。色紙、まだ残ってたっけ? 水魚」

「ありますよ。数は多くないけど」


 水魚さまが出ていき、色紙と筆ペンを持って帰ってくる。

 御子さまは美しい達筆な字で、一人ずつ名前入りのサインをしてくださる。ひとことずつ、みんなの好きな言葉をそえて。


「ええと……ヒメちゃんね。緋色の女で緋女か。いいね。デンジャラス。好きな言葉は? え? 僕の好きな言葉、書いていいの? じゃあ、『永遠に美しく』って書いとくよ。昔、そういう映画があったんだ。不老不死を痛烈に皮肉った話だよ。僕は、けっこう好きだった——え? なに、水魚。映画の話はやめろ? 僕の趣味をばくろするな? キビシイなあ。御子にだって人権はあるよ」


 なんだか、御子さまは饒舌じょうぜつだ。あぜ道でしゃがみこんでたときは、背中をまるめてションボリしてるように見えたのに。今はウキウキ、声もはずんでる。


 ちょっと……情緒不安定に見える。

 いやいや、そんなことあるわけない。

 神様。神様。御子さまは神様だから。

 常人に、その御心は計り知れないのだ。


「君は? 美沙。なんて書いてほしい?」


 急に声をかけられて、美沙はあわてふためいた。


「はい! 『八重咲解体のピンチ!』で、お願いします!」


 思わず、変なことを口走ってしまった。


 御子さまは一瞬、あぜんとした。そのあと、お腹をかかえて笑う。


「いいね。それ、八重咲シリーズ十二作の帯のコピーだよね。僕の本、読んでるんだ」

「もちろんです。でも、最新刊はまだですけど」

「ああ。『死後蝶』ね。トリックはイマイチ——って、この前も村の女の子に言ったっけ。じゃあ、あとで回覧用のゲラ刷り、一部あげるよ」


 そう言いながら、御子さまは、さらさらと色紙に筆を走らせる。

「はい」と、美沙に色紙が渡された。


 見ると、『美沙さんが、いつまでも健やかに過ごせますように』と書かれていた。

 あんな変なことを口走ってしまったのに、なんて、ありがたいお言葉だろう。


(御子さま……)


 これで何度め?

 御子さまの姿を見てると、胸が苦しくなる。


 それに、御子さまのお顔を間近で見たとき、美沙は確信した。


 わたし、この人を知ってる。

 目をとじると、うすぼんやりとよみがえってくる。御子さまと手をつないで歩いたような……?


 そのときの御子さまは今より、もっとお若い。美沙と同い年くらい。



 ——どうしよう。うち、ドキドキする。


 ——僕もだよ。ほら。



 彼の手が美沙の手をつかみ、自分の胸にあてる。御子さまの心臓はドキドキ脈打ってる。

 御子さまは、ためらいがちに、もう片方の手を美沙の胸に伸ばしてきた。


「さわっても、いい?」


 美沙の心臓は、恥ずかしさにますます早鐘を打った。でも、こくんと小さく、うなずく。


 彼の手が美沙の乳房の上にのる。

 たがいの鼓動を手で感じながら、二人は唇をあわせた……。


(なんだろう? 今の。妄想? わたし、どうしちゃったの? 御子さまを相手に、こんなこと考えるなんて)


 その妄想をふりはらおうとするのに、一度、思い浮かんだ映像は、決して去らなかった。


「美沙? やっぱり『八重咲解体』のほうがよかった?」


 御子さまの声が、やさしく耳元にひびく。

 美沙はモジモジしながら首をふった。

 御子さまはニッコリ微笑する。

 となりで璃々花が大声をあげる。


「御子さま、美沙ばっかりかまって、ズルイ」

「ああ。ごめん。ごめん。じゃあ、みんなでトランプしようか」


 夢のような一日だった。

 午前中はトランプ。午後からは、すごろくという古いボードゲームをした。昼食ばかりか豪華な夕食までいただいた。


 夕食のあと、水魚さまが言った。


「蘭。いくらなんでも、この子たちはもう帰してあげないと」


 御子さまは残念そうなお顔をした。しかたなさそうに承諾する。


「そうだね。じゃあ、僕が家まで送るよ」

「それは猛さんに任せればよろしい。日が暮れてから、あなたが外出するなんて、言語道断です」

「……じゃあ、猛さん。お願いします」


 美沙たちは猛さまにつれられて外に出た。

 しかし、そのときだ。

 御子さま御殿の柱のかげから、御子さまが顔をだし、ちょいちょい手招きしてる。

 美沙が自分の鼻の頭を指さすと、御子さまはうなずいた。

 璃々花たちは黄色い声をだして、猛さまをかこんでる。御子さまに気づいてるのは、美沙だけのようだ。


 美沙は、まわりを見まわし、さっと近づいていった。口早に御子さまは言う。


「美沙、君のうち、どこ?」


 御子さまはご拝謁プレゼントのことをご存じない。美沙たちが村の子じゃないことを知らない。そのことは絶対に言ってはならない決まりだ。


「わたしたち、研修所で合宿してるんです」


 もしも聞かれたら、こう答えなさいと教えられている。


「ああ。仕事、決めるためのやつね。そうか。それじゃ悪いことしちゃったな。まあ、教官には水魚から連絡がいってると思うけど。もし叱られたら、僕が誘ったんだって言うんだよ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、研修所に泊まってるのか」


 なにやら、御子さまは長いこと、美沙の顔を見つめていた。


「ねえ、美沙。今夜、僕と二人で星を見ない?」

「え?」

「ほかの子には絶対にナイショ。天の川を見ようよ。虫がいい声で鳴くしね。消灯時間になったら、こっそり、ぬけだしておいで。研修所の外で待ってるから」


 ウソのような展開に、美沙は、ぼうっとなった。御子さまは手をふって行ってしまった。


「おーい、そこの子。はぐれるな」


 猛さまに呼ばれて、美沙はみんなのとこに帰っていった。けれど、みんなの話が頭に入らない。


「ねえ、ちょっと、美沙。聞いてる? 超ラッキーだったよね。御殿に招かれて、ごいっしょに食事。トランプ……。こんなこと、わたしたちだけだよ。今までの当選者、ここまでしてもらった人、一人もいないよ」


 超ラッキー。前代未聞。

 でも、美沙は今それどころじゃない。


(信じられないよ。ほんとにこんなことってある? 二人きりで星を……)


 待つ時間は長くて、短い。

 ぼんやりと、そして、そわそわと待ちわびて、ようやく消灯時間になる。

 でも、まだ、みんなが興奮して寝てくれない。


「御子さま、キレイだったねえ。やっぱり、神様だあ。生御子さま、まぶしすぎる」

「たまに、ちょっと変なことおっしゃるのが、よけい楽しかった」


「うん。今度、『永遠に美しく』って映画、検索してみよ」


 美沙は、じっと寝たふりだ。話にくわわると、よけい長くなる。


(さっきのジュースに睡眠薬、入れとくんだったかなあ)


 なんて、考えてしまう自分がおかしい。


 壁かけ時計が十一時半を示すころ、ようやく三人は眠ってくれた。


 美沙はパジャマから昼間の服に着替えて、窓から研修所をぬけだした。

 窓の外に、御子さまが立っていた。


「来たね。行こう」


 御子さまは美沙の手をとって走りだす。

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