二章 海と星、金魚 3—1

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《夢 近未来5》



 海辺の事件のせいで、しばらく、蘭はふさいでいた。


 国中たちが死んだことも、もちろん悲しい。だが、それ以上に、猛と顔をあわせることがつらかった。


 猛は、もう普通にふるまってる。いつものように笑い、いつものように、ふざけ、いつものように自分の役目をこなしてる。


 でも、わかってしまった。

 猛にはやっぱり、薫の言葉が一番、響くんだなということが。

 兄弟のあいだに結ばれた固い絆には、誰も割りこむことができない。蘭にも。


(それでも、僕のために、ここに残ってくれた。体を二つに裂かれるようにつらかったろうに)


 僕が猛さんを引きとめた。

 大切な兄弟と引きはなした。

 姿を悪魔のように変え、何十年たっても年をとらない化け物にした。

 蘭に対して、そこまで負わねばならない責など、猛にはなかったはずだ。

 猛がいないと、蘭がさびしい——ただ、それだけの理由で。


 心苦しさから、蘭は屋敷をぬけだし、村のなかを散策した。農作業中の村人に声をかけて歩いていると、少しは気がまぎれる。

 用水路を泳ぐメダカをながめるのも好きだ。季節は冬だが、まだ氷は張ってない。


 ほんとは、以前、一度だけ、そこで見た金魚をさがしてる。

 だが、あれはもう二十年以上も前のことだ。パンデミックの前。蘭が、まだ御子ではなかったころ。

 いくらなんでも、あのときの金魚が生きてるはずがない。用水路は金魚にふさわしい住処ではないし。


 あぜ道のわきにしゃがみこんで、用水路をのぞきこんでいた。

 うしろのほうで、小声でささやきあう少女たちの声が聞こえる。


「ちょ、ちょっとォ、御子さまだよ」

「かわいいッ。あんなとこで、なにしてるのかな」

「でも、なんか……さびしそうだよ」


 おっと、村民の前で威厳を欠いてたかな。


 蘭は立ちあがり、少女たちをふりかえる。完ぺきな魅力をもたらす営業スマイルで。


 十四、五さいの女の子が四、五人かたまってる。

 不二村では、十二さいまでが義務教育。そのあとは徒弟制だ。何人かの師匠のもとで訓練したのち、最終的に職業を決める。

 十五なら、少女たちはちょうど将来の仕事を決定する大事な時期だ。

 こんなところで何をしてるのだろうか。背中にカゴを背負ってるから、農作業の手伝いか?


「やあ、君たち。畑仕事?」


 なにげなくたずねて、蘭はハッとした。

 少女たちの一番うしろにいる子。似てる。いや、そっくりだ。

 蘭が中学二年のとき、初めて交際した彼女に。そのせいでクラスメートにイジメられて、自殺した沙姫さきに。


「——沙姫?」


 思わず、口走っていた。

 そんなわけないことは、わかりきってるのに。

 沙姫は四十年も前に死んでる。今はがれきの山か、草原と化した墓地で眠ってる。とっくに土に還ってるだろう。


「あの、わたしですか? わたし、紗希さきです」


 ほかの子が目を輝かせる。

 だけど、蘭は、ほかの子なんて、もう目に入ってなかった。


「いや、その奥の子。名前は? 白いリボンの君だよ」


 その子はビーズを刺しゅうしたリボンで、ツインテールにしている。

 沙姫も学校にはいつもツインテールで来ていた。


「わたし……? 美沙です。桜井美沙」

「桜井」


 沙姫と同じ名字だ。


「もしかして、君のお父さん、京都の人?」


 沙姫には兄がいた。もし、その娘なら、沙姫に似ていても不思議はない。

 だが、沙姫は首をふった。何か言いたいが、言うことは許されないというように。


「……そう。違うのか」


 では、ぐうぜんの一致か。

 こんなに瓜二つで、姓まで同じなのに?


 なんだか、蘭は沙姫に運命的なものを感じた。


 沙姫は蘭にとって、生涯、ただ一人の恋人だ。初めてのキスをし、手をにぎり、恋の高まりを、たがいの心臓に手をあてて、たしかめあった人。


 沙姫の自殺があってからは、女を蔑視してた。だから、特定の恋人は作らなかった。ナンパした相手と一夜をともにすることはあっても、それは断じて恋ではなかった。


 沙姫だけが特別な人。

 年をかさねるにつれ、なつかしく思いだされる。蘭の数少ない青春の思い出だから。


 沙姫の生まれ変わりのような、この少女を、このまま行かせてしまうのは忍びない。


「君たち、これから、うちに来ない? いっしょにお茶を飲もう」

「ええっ、ウソぉ!」

「いいんですか?」

「そんなの夢みたい」


 にぎやかに悲鳴をあげる女の子たち。

 でも、美沙の反応は違っていた。

 なんとなく切ない眼差しで、蘭を見つめる。白いTシャツの左胸を片手でつかんだ。そこが苦しくて、しかたないというように。

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