二章 海と星、金魚 3—3
村には外灯がなく、夜道は暗い。
美沙は石につまずいて、よろめいた。
御子さまが抱きとめてくれた。
「ごめんね。あわてさせちゃったかな」
そう言うと、御子さまは美沙を抱きあげた。お姫さまダッコだ。
「御子さま!」
「蘭と呼んでよ。それが僕の名前だ」
「蘭……さま?」
「惜しいな。蘭でいいよ」
「蘭……」
御子さまは美沙をかかえたまま、どこかへ歩いていく。
「どこへ行くんですか?」
「僕を祀ってる神社」
「不二神社ですね」
不二神社——
御子さま御殿のとなりの山の上にある神社だ。不二の命(ふじのみこと)を祀ってる。
ご神体は、ここ。
美沙をその手で抱いて、歩いてる。
御子さまは鳥居をくぐり、神社へ続く長い石段をのぼっていった。
「ここからが一番、星がよく見えるんだ」
たしかに、そのとおりだった。
神社をかこむ森が黒いシルエットを作り、フレームで切りとられたような星空が輝いてる。
数えきれないほどの宝石をちりばめた夜のベール。
甘く匂いたつようにロマンチックなのは、御子さまの腕のなかだから……。
やがて、石段をのぼりきると、御子さまは美沙を社の縁側におろした。自身も美沙のとなりに、すわる。
「きれいだね。今の季節は空気が澄んでるから」
星はきれい。でも、星を見あげる御子さまのよこがおは、もっと綺麗。
「どうしたの?」
うっとり見とれていた美沙は、声をかけられてあわてた。
「いえ、あの……御子さまは——いえ、蘭はどうして御子さまになったんですか?」
「それが自分でもわからないんだ。水魚たちに何かされたらしいんだけど。レーザーとか、電動ドリルで、改造されちゃったのかな」
くすくす笑ってるが、なんとなく虚勢に見えた。
(もしかして、ほんとはなりたくなかったのかな。御子に)
もちろん、そんな不敬なことは言えない。
「そういえば、昼間、田んぼのとこで、何を見てたんですか?」
「あれね。金魚をさがしてたんだよ」
「金魚? 用水路に金魚なんているんですか?」
「いたよ。まだ僕が、ふつうの人間だったころ。一度だけ見かけた。誰かが、お祭りのあと、流したのかもね。金魚は色が目立つから、自然界では天敵に食べられやすいんだ。かわいそうだろ? あいつが生きのびたのか、ずっと気になってるんだけどね。やっぱり、食べられちゃったのかな。見つからないんだ」
なんで、そんなにさみしそうに金魚の話をするんだろう。
もしかして、この人は御子になりたかったわけじゃなく、もしかして、この人は不幸なのだろうか……。
「僕も食べられちゃったのかもね。ほんとは、とっくに大きな魚の肉の一部なのに。まだ僕が僕なんだと信じて、夢を見てるのかも。ときどき、そんなふうに思うよ」
「蘭……」
どうしよう。胸が苦しい。
御子さまをふつうに見ていられない。
気がついたときには、御子さまの胸にしがみついていた。
「美沙」
御子さまの手が、美沙の胸におりてくる。
美沙は息を呑んだ。
胸のドキドキが止まらない。御子さまは、そのドキドキの源をさぐりあてようとしているかのようだ。
——うち、こないドキドキしてる。
——僕もだよ。
御子さまの唇が美沙をつつんだ。いきなり大人のキスをされて、美沙はあえいだ。こんなことは学習ソフトでは習わなかった。
「御子さま……」
「僕とこうするのは、いや?」
いやじゃない。いやじゃないけど、なんだか怖い。でも、御子さまが望むのなら……。
美沙は、だまって御子さまの背に腕をまわした。御子さまは美沙の服の下に指をはわせる。経験したことのない感覚に美沙はふるえた。
——蘭くん……ええよ。うち、蘭くんとなら……。
あのときは、どうしたんだっけ。
「蘭くん……」
ふいに御子さまの手の動きが止まった。ぎこちなく、美沙を離す。御子さまは笑いだした。
「なにやってんだろうね。五十男が小娘相手にさ。笑っちゃうよね」
御子さまは、しばらく、かわいた声で笑っていた。
「帰っていいよ。美沙。悪かったね。僕のヒマつぶしにつきあわせて」
違う。ヒマつぶしなんかじゃなかった。途中まで、彼は本気だった。
ぐずぐずしてると、蘭は鋭い声をだした。
「僕は君を身代わりにして、なくした自分の青春をとりもどそうとしただけだ。でも、君は沙姫じゃない」
「御子さま……」
「早く行けよ。むりやり犯されたいのか?」
それでもいいと思った。
だけど、御子さまが苦しそうなので、美沙は縁側をおりた。
きっと、この人は一人になったら泣くつもりだ。
——まだ、よそうよ。沙姫。高校になってからでいいよね。君のこと、大切だから。
ああ、そう。あのときもそうだった。
蘭くん。うちの蘭くん。
やさしいとこも紳士なとこも、みんな好き。ほんとは、とても男らしいところも、みんな、みんな大好きだった。
石段にさしかかったところで、背後で小さく声がした。
「……さよなら。沙姫」
ほんとは、かけもどりたい。でも、ガマンした。もう、この人を解放してあげなければ。
うちが自殺した、ほんとの理由。
二人が一番、幸せなときのまま、時間を止めたかったから。
そのために彼を苦しめてしまった。
彼は沙姫の両親や世間から非難された。そして、自分のからに閉じこもった。
愛のない孤独な道を歩むことを、蘭に決意させたのは自分なのだ。
(さよなら。うちの蘭くん)
美沙は心のなかで、お別れを告げた。
石段をおりる。涙がポロポロこぼれおちた。
きっと、美沙は沙姫の生まれ変わりなのだ。
だから、こんなに愛しさがあふれて止まらない。
とぼとぼと石段をおりていると、わきの木かげから人影が現れた。怖い目をした璃々花だ。
「御子さま誘惑するなんて、ありえない。あんた、死刑」
抗うまもなかった。
つきとばされ、美沙は階段をころがりおちた。
*
目がさめると、美沙は白い壁の病室のようなところにいた。
自分の体から、いろんな管や器具が伸びている。目もかすむし、体はピクリとも動かない。
部屋のなかに誰か立ってる。
水魚さまと猛さまのようだ。
「蘭はどうしてますか?」
「放心してるよ。むりもないよな。自分の好きな子が、二度も殺されかけたんだから」
「よく調べたら、あの璃々花という子は、以前、蘭をストーキングしてた女のクローンでした。処分しておきますよ」
「ああ」
「ほかの子は記憶を消して、家に帰しましょう。この子も」
「そのほうがいい。おぼえてても、つらいだけだ」
「近ごろ、蘭が気落ちしてたから、よかれと思ってしたことだったのに。うまくいかないものだ」
猛さまがため息をつく。
「今回は早いかもな。眠りの周期」
水魚さまも、ため息を返した。
「でも、まだ、私やあなたが死ぬところまでは思いだしてない」
「つらいよ。このために生まれてきたとはいえ」
そこで、水魚さまがふりかえった。
「おや。気がつきましたか。安心なさい。ケガはすぐ治りますよ。それまで、ゆっくり眠るといい。何もかも忘れて」
いやや。忘れとうない。
やっと思いだしたのに。
うちの大切な思い出、とらんといて……。
けれど、意識は混濁した。
美沙は深い眠りにいざなわれた。
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