二章 海と星、金魚 2—2


「えっ?」


 おどろいてる国中に、猛が説明する。

「おれたちも全員、キャリアなんだよ。ここにいる、みんなも。おれたちの帰りを待ってるコミューンの仲間も。みんな」


 キャリアというより、生まれつきの耐性だが、似たようなものだ。


 とつぜん、国中は泣きだした。


「そんな! こんなキレイな人が、キャリア……よかった。よかったな。そのキレイな顔がくずれたりしなくて」


 国中は各地を放浪したらしい。ヘルで死んでいく人の凄惨な実情を、いやというほど見てきたのかもしれない。心からの悪人ではないようだ。


「それは、どうも」


 蘭が笑いかけると、国中は真っ赤になった。


「女神みたいだな。あんた、神さまだ」


 たしかに、神とは呼ばれている。


「僕自身が、すごいわけじゃないけどね。僕は運がよかっただけ」


 それとも、運が悪かったのか?

 いやおうなく不老不死にされ、自分の意思とは関係なく、生き続けなければならない。

 今はまだ、猛や水魚がいてくれるからいい。でも、もし、彼らが死んでしまったら……?


「そういえば、あいつもキャリアだったのかな」


 ぽつりと、国中がつぶやいた。


「ちょっと前に変なやつが浜に打ちあげられたんだ。最初、死体かと思った。全身、めった刺しにされてた。腹がえぐられ、顔なんか、なくなってた。ビックリして腰ぬかしてたら、なんと立ちあがって歩きだしたんだよ。なんだったんだろうな。あれ」


 不気味な顔なし男。パンデミック前なら、ホラーだ。


「きっと、変形期が終わった直後だったんだろうな」と、猛。


「南に向かっていったよ。ふらふらして、目も見えてないみたいだった。目玉もないもんな。とうぜんか。どうしてるかね。今ごろ。生きてりゃいいが。いや、いっそ死んでたほうがマシなのかな。命があっても、あれじゃ……」


 その話を聞いたあと、蘭は変な気持ちだった。なんとなく、現実が、夢か、うつつか、わからない感じ。


 いつか、その顔なしをどこかで見ただろうか?

 いや、見たのではない。会ってはならない不吉なものだという気がする。

 その男に会うと、蘭は大切な何かを失ってしまいそうな……。


 でも、そんなことあるわけない。

 蘭は御子だが、予言者なわけじゃない。

 未来のことなど、わかるわけないじゃないか。


(これは夢。幻。早く目をさまして。もどらなくちゃ。かーくんや猛さんが待ってる、あの部屋へ)


 でも、目ざめない。

 蘭はワンボックスカーにゆられて、山奥の村へ帰っていく。

 車中で、猛にこってり、お説教された。


「まったく。外の連中は二十年も、まともに女、見てないんだよ。おまえみたいなやつが一人でほっつき歩いてたら、そりゃ襲ってくれって言ってるも同然だ。わかったか? 今度から、ちゃんと、おれの言うことを聞く」


 池野がかばってくれる。


「猛さん。蘭さんを許してあげてください。わが最初に車から出たけん。悪いのは、わだに(私です)」


 猛は納得しない。


「こいつが銃、携行してたら、はなから危険なめにあってなかったんだ。あのとき、おれがたまたま気づかなかったら、どうしてたんだ?」

「……すいません」

「心配させないでくれよ」


 たしかに未遂じゃなかったら、今ごろ半狂乱になって、銃をぶっ放してたかもしれない。

 あんなめにあうのは二度とゴメンだが、心配してくれる猛の気持ちは嬉しい。


 村に帰ると、水魚にも泣きつかれた。


「勝手に村をぬけだすなんて。私の心臓を止める気ですか?」

「ごめんね。水魚」

「それに、この匂い。鉄サビと塩からいような……髪もベトベト……」

「それは、燻製ニシンにされたから」

「ニシン?」


 水魚ににらまれ、猛が事情を白状する。

 今度は猛が水魚に説教をくらった。


「猛さん。あなたがついてて、御子をそんな危険にあわせるなんて、何してるんですか。塩なんて後日でいいから、見つけたときに、すぐ引き返すべきだったんです」

「すまん……」


 肩を小さくして、子どもみたいに叱られてる。

 蘭は猛とこっそり笑いあった。


 こうして、村の外部との交流が開始された。


 翌日、あらためて、猛と青年団の一隊が海辺へ行った。

 塩田の基礎を作り、国中たちに当面の食料、釣り道具、衣類、炭、石けんなどを提供した。

 さらに、村の井戸を整備し復活させた。こっちには技術者がそろってるから、住環境を整えるのはたやすい。


 国中たちは、とまどう。


「なんで、ここまでしてくれるんだ。そりゃ、こっちは嬉しいが」

「蘭がさ。不潔なのは嫌いだって言うんだ」


 原始人みたいな見てくれを指摘され、国中たちは乙女のように恥じらったという話だ。


 交流は月に二度。毎月一日と十五日に決められた。魚は天日干し。イカは塩辛。貝類はバケツで生かしたまま。

 交流日近くに獲れた魚は、生きたまま渡されることもあった。そんな日は新鮮な刺身に舌つづみをうち、蘭は大喜びした。


「おいしいっ。このアジの刺身。甘鯛はムリでも、けっこう、いろいろ釣れるんですね」


 昔は庶民の食べ物だったアジも、今では、蘭とその周辺の人しか食べられない。

 国中たちの人数が少ないから、村人全員に行き渡るほどは交換できない。


「甘鯛、食いたいか?」と、猛。

「そこまでワガママ言いませんよ。サザエのツボ焼きだっておいしいし。シッポは猛さんにあげますね。タンパク質、大好きでしょ?」


 猛はサザエのシッポを口に入れ、考える。こぶしを口にあてる、いつものポーズで、水魚に耳打ちする。

 水魚は困っている。


「そうは言ってもですね……」

「たのむよ。そうすりゃ、村のやつらにもわけてやれるし」

「しかたない。これっきりですよ」


 猛が水魚に頼んだのは燃料だ。

 そのために、猛は前もって漁船の修理や網の確保をしていた。


 その日、蘭は理由を知らされないまま、海につれてこられた。

 地引網漁だ。


 もと漁師たちが漁船で沖へ出ていく。網を投げ入れ、帰ってくると、浜で待っていたみんなが、一丸となって、それを引く。

 国中たちも。不二村の青年団も。力をあわせて。

 ワッショイ、ワッショイと声がそろう。


「僕たちも手伝いましょうよ」


 蘭は護衛の安藤と池野をさそった。


「ええっ、でも、蘭さん——」

「僕だって男です。大漁旗、ふってみたいじゃないですか」


 蘭も網にとびついた。

 非力な文筆家で、生まれてこのかた資料の本より重いものを持ったことのない蘭には、かなり、きつかった。

 鉛のカベをひっぱってるみたいだ。全身、汗だくになる。手のひらの皮がむけた。またたくまに治るが。


 ようやく網が浜にあがった。

 ふらふらになって、すわりこんでしまう。

 でも、気分は味わえた。


 男たちは歓喜の声をあげた。

 猛が両手に魚を持ってかけてくる。


「蘭! 念願の甘鯛だぞ。こっちはカレイに太刀魚だ」

「好き。好き。みんな好き!」


 興奮して、蘭は叫んだ。

 まわりの男たちが何を勘違いしたのか赤くなる。


「——って、お魚のことですけど。まあいいや。今日は。みなさんのことも好き」


 手近に立っていた国中にキスをした。もちろん、頬に。


「ああっ! もう死んでもいい!」

「蘭さーん……国さんばっか、ズルイがね」


「バカ。蘭。こいつら、歯止めがきかなくなるぞ。ほら、旗だ! 大漁旗ふれ!」


 田村が、まさかの『大漁』のロゴ入りTシャツをきていた。猛は、それをむりやり、ぬがせ、木の枝にむすぶ。


 蘭はそれをふった。

 勝鬨かちどきのような声をだし、みんな、このうえなく楽しそうだ。


 漁の成功より、この瞬間の歓喜をみんなと共有できることが、なによりも嬉しい。

 嬉しいのに、涙がすべりおちる。

 この瞬間は二度と来ないのだと、ふいに思って。


「なに泣いてんだよ。蘭」

「感激しちゃって。みんなと力をあわせて、一つのことを達成するって、こんなに気持ちいいんですね。僕は、知らなかった」


 こうやって、共同体になっていくんだと考えた。不二村の青年たちは、もちろんだが、国中たちももう仲間だ。

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