一章 パンデミック襲来 3—1

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《現在2》



「——という夢なんですけどね。おかしな夢でしょ?」


 夕食の席。

 仕事部屋に入るときは、もう会えないような気がしたのに、六時前になって出てきてみれば、リビングには、ちゃんと猛と薫が待っていた。


 猛は筋トレ中。

 薫は買い物から帰ってきたばかりで、買い物袋のなかみを冷蔵庫に移していた。

 ミャーコは流し台の上で、買い物袋から出てくるものをチェックしている。白いシッポをゆらゆら、ゆらして。


(やっぱり、ここが一番、安心するな。平凡で、平穏な毎日)


 そのあと、かーくんの作ってくれた夕飯は、蘭の好きなカレイの煮付け。そのかわり、野菜物は、猛の好物のホイコーロー。それに、ご飯と白ミソの京風おみおつけだ。


(そういえば、不二村では、猛さん。好物の肉が食べられなくて、ごねてたっけ。猟師が山からエモノをしとめてくるか、村の牧場の牛や豚をバラしたときしか食べられない。お祭のときなんかに。僕も白身魚やアワビが食べられないのは残念だけど。川魚も悪くはないけど、たまには違うもの食べたいよね)


 夢だというのに、妙に細部まで、もっともらしい。


「ふうん。それは変な夢だねえ」と、薫が言う。


「でしょ?まだまだ先は長いんですけどね。このあと、塩の調達に行った猛さんたちが、平野部で暮らしてたコミュニティ——あっちの世界ではコミューンって呼んでるんですけど——と接触するんです。で、変なウワサを聞いてくる」


「変なウワサって?」


 薫は蘭の話に興味津々。顔にご飯粒がついてることに気づいてない。

 やっぱり、かーくんは可愛い。

 蘭は末っ子だが、弟がいたらこんな感じかなと思う。いや、というより妹かも。


「顔なしのウワサです」


 ぎゃあッと薫は悲鳴をあげた。


「藤村の都市伝説だよね? 顔なし女。安藤くんたちが言ってたよ。なんかさ。夜な夜な研究所の近くで、白い着物の女の人が徘徊するんだって。それで声をかけると、なんと! 顔がないんだ。はぎとられたように、目も鼻も口もないんだってさ! こっ、こわい!」


 自分で言いながら、ぞおッとしている。

 しかし、猛は冷静だ。


「それって、水魚のことだろ?」

「ですよね。水魚が話してたじゃないですか。研究所の実験台にされて、激痛のあまり我を忘れ、何度も村をさまよったって。きっと、その姿を目撃した人が、尾ひれをつけて広めたんですよ」

「なっ……そんなの、合理的すぎるよ。二人とも、ロマンがない!」


 猛が白い歯を見せて笑う。


「かーくんは怖がりなくせに、好きなんだよなあ。怪談。それで夜中にトイレ行けなくなって、『兄ちゃん、いっしょに来て』って、おれを起こすんだ」

「成人してからはないだろ!」


「成人って……けっこう最近まで、猛さんに頼ってたんですね。かーくん」

「やめてェ。はずかしい。もう、なんでバラすんだよォ。バカ。猛のバカ。ホイコーローのお肉、没収しちゃうぞ」

「あ、ごめん。ごめん。うまい。うまい」


 あわてて肉をほおばる猛を見て、蘭は笑った。


「僕のお肉、食べてもいいですよ。猛さん」

「え? ほんとか?」

「今日のタンパク質はカレイで充分。野菜は食べるから残しといてね」

「こいつ、神だ。救世主だ」

「オーバーだな」


 おかげで夢の続きを話しそびれた。

 蘭の言った『顔なし』は、藤村の怪談のことではなかったのだが。


「蘭さん、しめきり近いんでしょ? 今夜は徹夜?」

「徹夜するほど、さしせまってませんが。そうだな。今、のってるから、少し進めておこうかな」

「じゃあ、僕らもこっちに泊まろうか。ねえ、猛」


 兄弟には祖父の遺した町家がある。ふだんは、蘭もそっちに寝泊まりしている。逆に蘭が仕事で徹夜のときなどは、兄弟がマンションに泊まることもある。


「うん。今夜の金曜ロードショーは見たいしな」

「猛の好きなカーアクションね」

「こっちのテレビのほうが大画面だもんな」


 蘭の仕事部屋は完全防音なので、音漏れの心配はない。

 今日は二人がいてくれるほうが、蘭も心強い。


「じゃ、さきにシャワーあびてきますね。僕」と、蘭が立ちあがると、薫が呼びとめた。

「あ、そうそう。蘭さんに手紙、来てたよ。水魚さんから」

「えっ、水魚から?」


 ドキリとしたのは、なぜだろう。


「雪絵さん(水魚の妹)の手紙に同封されてたんだ。雪絵さん、この手紙をだすため、わざわざ手紙くれたみたいなんだ」


 水魚が蘭とつながりがあることをかくすためだ。研究所の所員に知られると、蘭に危害がおよぶから。


 蘭は嬉しいような怖いような複雑な気持ちで、その手紙を受けとった。

 流麗な筆の文字。水魚らしい。



『拝啓。すっかり秋も深まりましたね。私たちの里では稲の収穫が始まりました。お元気ですか?

 蘭。毎日、あなたのことを思いだしています。秋の夜長、虫の音を聞くたびに、あなたを帰すのではなかったと後悔しています。

 いいえ。愚痴はよしましょう。

 大切な用件があり、筆をとったしだいです。

 以前、話した内容だけでは、あなたがたに真意が伝わらなかったのではないかと考えるからです。

 ある事件の一報を聞いたら、村へ帰ってきてほしい。そう言いました。

 ある事件とは、パンデミックです。のちの世に、ヘル・パンデミックと呼ばれることになる、みぞうの病の襲来です。人類の多くは死滅します。

 今から数年後、かならず、それは起こります。最初は、ごく小さなニュースとして、あつかわれるかもしれません。

 しかし、人体が奇形化し、二十四時間以内に死亡するという症状を見聞きしたなら、迷わず、私たちの村に帰ってきてください。

 私たちには、あなたがたを守る手立てがあります。ただし、時間の猶予はありません。ニュースになってから一週間以内に、世界中に蔓延まんえんしますから。ためらわず、その日のうちに、かけつけてくださることを願います。

 なお、この手紙は読んだあと焼却処分してください。内容は、なんびとにも他言なさいませんように。

 それでは待ってますよ。蘭。私の大切な弟。いつか、あなたに会える日を楽しみにしています。敬具』



 手紙を読みすすむうち、蘭の手はふるえた。カエデをすかした和紙の便せんが、はらはらと蘭の手からこぼれおちる。


(じゃあ、ほんとのこと? あの夢は……)


 あの夢は、これから起こる未来だというのか?

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