一章 パンデミック襲来 2—3


 いや、まるで、ではない。

 この世界において、蘭は神だ。


 猛に言わせれば、蘭がストーキングされなくなったのは、『みんなの神様』になったからだ。

 蘭が特定の誰かのものになることなく、みんなのアイドルでいるうちは、嫉妬を生むことはない。

 純粋に蘭をあがめ、その姿をながめ、声を聞くだけで、幸福になれる。ストーカー的妄執は、信仰にすりかえることができるのだと。


 パンデミックから二十年。

 村を襲撃してくる者たちは、めっきり減った。


 初めのうち、蘭は研究所の地下から一歩も出してもらえなかった。そこが一番、安全だからだ。

 でも、このごろは、猛の護衛つきなら、村のなかを散歩できるようになった。


 村では、稲の収穫が始まっている。農家にとって、一年でもっとも忙しい時期だ。村人たちも日が暮れるまで働いている。

 かれらは散歩中の蘭を見ると、忙しい手をとめて、西日に輝く稲穂のようなキラキラした目で、蘭を見つめる。


「ばんじまして(出雲地方の夕方のあいさつ)。御子さま」

「もう、お帰りですか? 朝晩は冷えるようになりましたがね」


 声をかけてくる人たちに、かるく手をあげる。ときには言葉も返す。


「そうだね。みんなも遅くならないうちに帰るといいよ」


 蘭が言うと、村人たちは息をつまらせて顔を赤くした。

 少女たちなんか、まるっきりアイドルあつかいだ。きゃあきゃあ言いながら、サインや握手をもとめてくる。


「御子さま。新作、読みました。すごく、おもしろかったです」

「そう? 今回のは僕的にはイマイチだったかなって思うんだけど。前にも使ったようなトリックだったし」

「そんなことないです。サインしてもらってもいいですか?」


 白いハンカチとマジックをさしだしてくる。まだ物資は不足していないらしい。

 こころよく、蘭はサインしてやった。すると、まわりで見ていた少女が、わらわらと集まってくる。


「御子さま。サインして」

「握手してください」

「御子さま」

「御子さま」


 こうなると、オオカミの群れのなかの羊だ。生きながら臓腑を食い荒らされるような恐怖を味わった。やっぱり、今でも過剰な愛情表現を押しつけられるのは苦手だ。


 こういうときこそ、猛の出番。


「はいはい。そこまで。さがって。さがって」


 猛が言えば、一発で効果をあらわす。

 ホルスターに銃をさげ、ベルトにナイフと日本刀をさしこみ、背中には悪魔のような羽をはやした猛が言えば。

 すごすごと、少女たちは引きさがった。


 笑いながら、蘭は猛とならんで、八頭家へ向かう。

 今は研究所ではなく、地下シェルターにつながった八頭家の別棟が二人の住まいだ。水魚も同居している。


「戦闘班第一隊長ですもんね。たよりになるなあ」

「そこ、笑うとこか?」

「笑ったのは、なんだか売れっ子アイドルとマネージャーみたいって思ったから」

「なんだ」


 茜色の空をカラスが群れになって飛んでいく。裏山のねぐらに帰るのだ。カラスだって、帰る場所がある。待っている家族がいる。


「ここに、かーくんがいたら、言うことないのにね」

「それは言わない約束だろ」

「ごめんなさい」


 埋められない不在。まだ、ひきずってる。猛も、蘭も。


 蘭が、うつむいたから、猛が力づけるように背中をたたいた。


「かーくんなら、元気だよ」

「念写したんですか?」


 念写は猛の特殊技能だ。ヘルの変異でESPを得ることは、まれにある。が、猛のは生まれつきの能力だ。

 これは蘭の推測だが、そのへんが猛の家系の呪いに関係しているんだと思う。


「専用フィルムが残り少ないから、あんまりできないんだけどな」

「かーくん、今だと五十さいか。ずいぶん、変わっちゃったかな?」


 蘭は不老不死だし、猛は蘭の骨髄移植を受けたときから不老長寿になった。二十年前の三十代のころから、見ためは変わってない。


「まあ、以前とまったく同じってわけじゃないが、ほら」


 猛がジャンバー(羽があるので、脱ぎ着しやすい背中びらきのオートクチュール)のポケットから、ポラロイドカメラで写した念写写真をとりだした。


 たしかに、ちょっと老けた。白髪はあるが、やっぱり昔どおりのかーくんだ。


 月基地のなかだろう。ジェラルミンみたいな、にぶい銀色の壁と、ガラスのドーム状天窓の一室に立っている。

 天窓から見える青い地球をながめている。


 もしも、これが、かーくん一人なら、蘭は胸がしめつけられるような痛みを感じた。


 でも、薫は一人ではなかった。十さいぐらいの男の子をつれている。地球を指さし、笑いながら話している。



 ——見てごらん。あそこに父さんのお兄さんと友だちがいるんだ。


 ——でも、地球は滅亡したって習ったよ。


 ——教科書にのってることが正しいことばかりとは、かぎらないよ。二人は生きてる。父さんは、そう信じてるんだ。



 きっと、そんなふうに話しているのだ。


「かーくんの子どもですよね。これ。結婚したんだ」

「たぶんな」

「よかった。幸せそうだ」


 でも、今でも一人で地球を見あげ、泣くこともあるだろう。

 蘭が月を見て涙をながすように。そんなときは、涙が止まらない。


「ねえ、猛さん。秋って、なんとなく物悲しいですよね」

「おまえは、さみしがりやだからな」


 蘭は猛の手をとって、恋人どうしみたいに腕をくんだ。


「おいおい。御子さまとガードマンがデキてるってウワサが流れてるんだぜ。おまえが、こんなことするからだ」


「相手が猛さんなら、まあ、僕はオッケー……かな? 僕って、もしかしたら、潜在的に、そっちの傾向があるのかもね。ルックスの整った人なら、それほどイヤな感じがしない」


「そういう思わせぶりなこと言うから、ストーカー製造しちまうんだって。ほんと、ほっとけないヤツだよ。おまえ」


 今では甘えられるのは、猛と水魚くらいだ。だから、甘えられるときに、たっぷり甘えておく。二人とも村の運営や警備で忙しいから、いつも蘭のそばにいてくれるわけではない。


「明日は猛さん、どうするんですか? いつもみたいに道場で指導?」

「そろそろ塩が足りなくなってきたって、水魚が言ってた。明日は海岸まで補給に行くよ」


 ミネラルは人体に必須の成分だ。大量に備蓄してあったにもかかわらず、二十年も経つと不足してくる。


 これまでにも何度か、村から一隊を送りだし、海水から塩を作って持ち帰った。

 薬屋や疫神と接触する可能性のある危険な仕事だ。ましてや、製塩には火を使う。敵に見つかりやすい。


 蘭は猛に行ってほしくない。だが、猛は敵と出会ったとき、自分の風体が役に立つと思っている。


 ヘルのキャリアである証しの羽。身体に極度の奇形化を起こしているのは、疫神の特徴だ。

 もし薬屋に出会っても、こっちを疫神の勢力だと思わせられる。疫神と遭遇すれば、仲間をよそおい油断させることができる。

 とても有益なのだ。


「止めても行くんですよね?」

「大丈夫さ。予言の巫子の予知によれば、今年の春には薬屋と疫神は相討ちになってるはずだ。やつらさえいなければ、このへんに恐れるほどの勢力は残ってない」


「さっき、僕にはやつらに気をつけろって……」

「おれは戦闘員だよ。きゃしゃなお姫さまとは体の作りが違うんだ」


「誰が姫ですか」

「わかった。わかった。王子さま。だからさ。そういう偵察もかねて出かけるんだ」


「薬屋と疫神がいなくなっても、疫神教団そのものや、ほかのコミューンは残ってるんですよね? 関東のほうは状況も、よくわかってないし」


「だが、たいした武力勢力はないはずだ。疫神が消えたあとの教団は、ただの農夫の集まりだ。ほかも、疫神や薬屋から隠れて、ほそぼそと暮らしてたやつらだろ。たぶん、うちが一番、兵力を持ってるだろうな。

 今後は、そういうコミューンと連絡をとりあって、ともに生きてく道を模索し始めたほうがいい。そういう時期に来てると思うんだ。

 水魚はあくまで村だけ守ればいいと思ってるみたいだが。村の人間だけじゃ、大がかりなことをするための労力が少ないし、そのうち近親婚がくりかえされるようになる。いろんな面で障害が出てくるだろ。もっと先のことを考えると、今のうちに外に同盟勢力を増やしとくべきだよ」


「でも、僕の不死の秘密が知られたら、争いの火種になりませんか?」

「そこが懸念材料だよな。おまえの血がワクチンがわりになると知れば、みんな、おまえをほしがる」

「………」


 不安だった。

 もう、これ以上、悲しい思いはしたくない。


 新たな争いなど、起きなければいいのだが……。

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