一章 パンデミック襲来 2—1
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《夢 近未来2》
思いあたるふしがないではない。
以前、村に来たとき、蘭は数日間、水魚に拉致監禁された。
暴力を受けたわけじゃない。
が、そのことが水魚の計画の一部——それも、もっとも重要な部分であるらしいことには気づいていた。
あのとき、蘭の体に御子が宿ったらしい。
藤村の伝説に、こんな話がある。
御子は、あまりにも長い時を一人で生きあぐね、しだいに幼児化していった。
子どもになり、赤子になり、そして消えていった。
その後、村人のなかに宿るようになったのだとか。
御子を宿した宿主は、御子と同じ体質になる。驚異の再生力と、老いない体を持つ。
つまり、不老不死だ。
御子が去れば、不死でなくなる。が、不老は続き、寿命も百年ぐらいは長くなる。
蘭は自分でも知らぬまに、水魚たちによって、そういう体にされてしまったらしい。
いや、自覚が、まったくないわけではなかった。
出雲から帰ったあと、妙に傷の治りが早くなった。
あれから十年たつというのに、蘭の姿は二十六さいだった当時と、少しも変わらない。
かーくんは、もともと童顔だから、あまり変わらない。
が、猛は三十代の顔になった。以前より、ちょっぴり渋みが増して、ますます、かっこよくなった。
とても、蘭と同い年には見えない。蘭だけが、出会ったころのまま。
「蘭は変わんないなあ。このまま、おれだけ老けてったら、どうしよう」
なんて、猛は軽口たたいていたが、あれは今や現実のことだ。
(僕が御子。人類の最後の希望)
しかし、まだ、その事実は水魚と側近数名のほかには伏せられている。
このあと、しばらく危険な時代が続くからだ。
蘭の血を、ワクチン代わりに欲しがる人間は五万といる。ヘル・ウイルスに完全な耐性を持つ、蘭の血を。
だから、政府高官が村にやってきたときも、蘭は八頭家の奥深くに隠れていた。
研究所のバックにあったのは日本政府だ。いや、あるいは、その一部の関係者かもしれない。今となっては、真偽は、たしかめようがない。
彼らは研究所がヘルに侵されたことを知り、すでに地球を見限っていた。
種子島宇宙センターから有人ロケットが次々、月へ飛ばされ、脱出を開始していた。
ヘルが地球に、まんえんする前に、国民を見殺しにして、自分たちだけ逃げだしている。
月にはもう、基地が建設されているらしい。
彼らは、この研究が、あるいは甚大な被害をもたらす結果になることを、あらかじめ想定していたのだ。
もうじき、月基地行きの最終便が出る。
こんなときに彼らが、わざわざ藤村に立ちよったのには、もちろん、わけがある。
「予言の巫子を返してもらいたい」
予言の巫子ーー
彼女は生まれながらに、予知能力を持っている。的中率は九十九パーセント以上。
その力のせいで、彼らに誘拐され、幽閉されていた。
御子の存在が彼らに知られたのも、彼女の予言のせいだ。
しかし、彼女は利用されただけ。それに、水魚に未来のことを教えてくれたのも彼女である。
百合花という。
猛とは、ある深い因縁があるのだが、ここでは、まあ、いいだろう。
とにかく、研究所を占拠したときに、百合花も、こちらの手中となっていた。その百合花を返してほしいというのだ。
交渉の場面に、蘭はいなかった。
じっさいに、どんな取り引きがあったのか知らない。
高官たちが去り、帰ってきたのは、猛一人だった。
「……猛さん。かーくんは?」
「薫は月へ行ったよ。おれが、たのんだ」
もしかして、そうかな、と思っていた。薫は蘭の血清を受けられないことが、わかったから。
研究所を制圧してすぐのことだ。
東堂兄弟には、蘭の骨髄を移植することになった。
輸血でもヘルへの耐性はつく。が、骨髄移植なら、そのうえに巫子と同じ再生能力を持つことができる。
移植の前に、アレルギー反応の有無を少量の血でパッチテストした。なかには御子の血を受けつけない体質の人もいるからだ。
猛は陰性。問題ない。
だが、薫は……移植できないことがわかった。
蘭の骨髄を移植すれば、深刻なアナフィラキシーショックを起こす危険性がある。もちろん、輸血も同様だ。
薫には、もはや地球上のどこにも、安全に生きられる場所がなくなってしまった。
それを知っても、薫自身は、あんがい平気な顔をしていたが。
「まあ、そうじゃないかと思ってたよ。僕も三十すぎたからね。そろそろ、運命のお迎えが来るころじゃないかなって」
「かーくん……」
「僕は後悔してない。いつ、そのときが来てもいいように、せいいっぱい、毎日を生きてきたから。蘭さん。猛。毎日、楽しかったね。僕、二人といられて、すごく幸せだった」
その夜は三人で満天の星空をながめたものだ。
一晩中、思い出を語りあった。涙をかくしながら笑って、いつのまにか原っぱで寝てしまった。
「そう……月へ。そうですね。そのほうがいい」
それなら、薫は死ななくてすむ。ただ、蘭たちが二度と会えないというだけだ。
「それにしても、よく、かーくんが一人で月へ行くことを承知しましたね。猛といっしょでないとイヤだって、ごねなかったですか?」
「だまして、ロケットに置き去りにしたんだよ。あとで、おれと蘭も乗るからって。きっと今ごろ、宇宙を飛びながら、めそめそ泣いてる」
「でしょうね。かーくんなら」
蘭は猛を見つめた。
「どうして、あなたは行かなかったの? 猛さん」
「ロケットの定員がなかったし、それにーー」
ぽん、と猛の大きな手が、蘭の頭に、のっかる。
「おまえ、さみしがりやだろ。一人で置いてったら、すねるじゃないか」
「猛さん……」
猛の胸に、すがって泣いた。
兄弟の絆が、どれほど強いか知っていたからこそ、うれしくて、悲しかった。
猛は薫だけが泣いてたように言ったが、ほんとは彼だって泣いたはずだ。きっと、蘭に見えないところで号泣したろう。
悲しい別れは続く。
その数日後のことだ。
かろうじて、そのころまだ電波は通じていた。
テレビの番組は朝から晩まで、緊急特番が敷かれていた。
疲労しきった局アナが不確かなニュースを告げていた。
どこの国と連絡がつかなくなった。どこの国では暴動が起こったらしい。日本国内での感染が報告された。その勢いは刻々と増している……と。
くりかえしばかりで、新しい情報が入ってこないのは、取材陣もバタバタ倒れているからだ。
そして、ついに、スタジオのなかまで、それが来た。
悲鳴が起こり、感染が始まる。
残酷にも、そのようすはリアルタイムで全国放送された。
スタッフやアナウンサーが、テレビカメラの前で、次々に倒れていく。悶絶して、ゆかをころげまわる。
そのまま一人、また一人と息をひきとる。
やがて、動く者の誰もいなくなったスタジオが、無機質に画面に流された。
テレビ放送も死んだ。ネットでは、とっくに見なれた光景だ。インターネットじたい、いつまで使えるかわからない。
蘭のケータイに父から電話が入ってきたのは、そんなときだ。
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