一章 パンデミック襲来 1—2


「信じてくれないかもしれないけど、あと数日で日本は……世界は滅ぶんだ。


さっきのニュース見た? 新種のウイルス。あれに感染すると、女は百パーセント、男でも六十パーセント死亡する。


そのあと文明は崩壊して、世紀末のころ、はやったマンガみたいな、殺しあいの世界が来るんだ」


「蘭……」


声をつまらせたあと、父は言った。


「わかった。すぐ行く。いや、来るんか。じゃあ、待っとるから、来なさい」


よかった。父は信じてくれた。かわいそうだけど、なじみのない兄の子や嫁、蘭を嫌う兄のことは、このさい、あきらめがつく。


でも、子どものときから、ずっと蘭を愛してくれた父だけは置いていけない。


蘭は当座の着替えや日用品を旅行カバンにつめると、東堂兄弟とともに、ワンボックスカーに乗りこんだ。この日のために買っておいた車だ。


兄弟に頼んで、蘭の実家に、よってもらった。


だが、そこで待っていた父は旅行のしたくをしてなかった。それどころか、蘭の知らない男を家に招いていた。


「こちらは父さんの友人の吹石さんだよ」と、男を紹介して、長々と話そうとする。


蘭はピンときた。


男の蘭をかんさつするような目つき。父は蘭の精神をあやぶんで、知りあいのカウンセラーを呼んだのだ。


「……僕の言ったこと、信じてないんだね」


「蘭。そうやない。けど、話ぐらいしても、ええやろ?」


どうしたらいいんだろう。父を説得するには、どうしたらいい?


けれど、すでに猛は決断した顔つきだ。


「蘭。時間がない。このまま、なぐってでも、九重さんをつれてくか?」


「そうしましょう」


父は蘭の狂気が、東堂兄弟にも飛び火していると見て、あわてた。吹石とともに、逆に蘭をとらえ、兄弟から引き離そうとする。


こんなこともあろうかと、父は予測していたのだろう。別の間に、吹石の助手が何人も待機していた。


とてもじゃないが、父をさらっていける状況ではなくなった。つかまらないよう、蘭たちが逃げだすので、やっとだ。


「蘭——行こう」

「でも、父が……」

「しょうがないよ。あの人は、おまえより『今』をえらんだ」


猛に抱きかかえられるようにして、車に乗りこんだ。発進した車のなかで、蘭は泣いた。


わかっているのに、助けられなかった。つれていかなければ確実に死ぬと、わかっていたのに……。


「パパ……パパ……」


蘭をはげましてくれたのは薫だ。


子どもをあやすように、ただずっと、蘭の背中をさすってくれた。


「かーくん……」

「僕らがついてるよ。蘭さん。ずっと、いっしょだからね」


そう言ってたのに、薫はいなくなってしまった。

しかたないことだったけど……。


高速に乗り、数時間かけて、出雲の山間部へ行った。ついたのは夜中だ。


藤村ではパニックが起こっていた。


この三十年、藤村を占拠していた研究所に、ある異変が始まっていた。


不老不死を研究するために、水魚たち巫子を実験台にしていた所員が、次々、ヘルに感染していた。


その混乱をついて、蘭たちは研究所に侵入した。村で友だちになった青年たちも、いっしょだ。


青年たちは、つい数時間前まで平凡な農夫だった。しかし、この日のために訓練を受けていた。


どこで手に入れたんだか、トカレフやスミス&ウエッソンを片手に、ためらいなく研究員を殺していった。


「安藤くん。池野くん。なんで殺すのッ? 殺さなくたっていいじゃないか」


心優しい薫は泣いた。が、かれらは厳しい顔をくずさない。


「ここを倒さんと、わやつ(私たち)の未来はないけん」


「そうに(それに)、この人やつは、どうせ死ぬけん、二十四時間以内に」


「なんで……?」


「水魚さんが命かけて、こうやつ(こいつら)病気にして、ごしなはったけん(くれたから)」


「病気って、まさか……」


答えたのは、八頭龍吾だ。青年団の団長で、不二神社の神主でもある。三十前後に見えるが、八十代だ。藤村には、こういう人間が多い。


「ヘル・ウイルスを作らせたのは、水魚なんだ」


ショックだった。


以前、村に来たとき、蘭は水魚と義兄弟のちぎりをかわした。


水魚が研究所の人体実験をうけ、ごうもんに等しい扱いをされていることは知っていた。が、それにしても、そこまで追いつめられていたとは。


「水魚は、この村を守ろうとしたんだ。水魚の計画は、いつわりの御子を研究所にさしだし、研究結果に誤差を生じさせることだった。


つまり、生まれながらに御子の血をひく巫子は、赤ん坊のころ、爆発的な量のES細胞を放出するんだ。


それによって、常人の二倍から三倍のスピードで成長する。


研究員は、それを御子の能力だと信じる。


いつわりの御子の細胞をもとに作られたのが、あのテロメア修復薬だ」


テロメア修復薬——


それは、発売された当初、奇跡の薬と、うたわれた。


人間の体が老化するのは、細胞分裂に必要なテロメアが短くなってしまうからだ。細胞分裂ができなくなり、細胞の数が減少し続ける。


そのテロメアを新品同様に修復できる薬。


それは老人を二十代まで若返らせるという驚異の効果を発揮した。


だが、発売後、わずか数年で販売を規制された。


医者の処方にもとづき、個人が生涯に二度までしか使用してはいけないという法律ができた。


蘭たちは若いので、まだ誰も、まわりで試した人間はいなかった。でも、なんとなく、うさんくさいものを感じていた。


「なるほど。巫子のあの再生能力。不老長寿。ようするにテロメア修復薬は、人工的に人を巫子の体質に近づけるものなのか」と、猛。


こんなときにも、猛は冷静だ。彼についていけば、なんの間違いもないと思わせる。


今度は、薫が言う。


「でも、あの薬、飲んだ人たちは、誰も病気にはならなかったよ」


猛は肩をすくめた。


「考えてもみろよ。老人が若者に戻るんだ。体のなかで何が起きてるんだと思う? 遺伝子じたいに変化が生じるとしたら?」


蘭も思案する。


「突然変異ですね。もともと御子自身が異常染色体の突然変異ですから。不老不死という異常を持って生まれた」


「二回ってとこがミソだよな。テロメア修復薬。きっと二回ぐらいなら、飲んでも害がないんだ。


だが、それ以上、飲むと、とたんに変異が始まる。


ちくせきされた遺伝子の異常が、急激に表面化するってことなんじゃないのか?」


龍吾が、うなずいた。


「あの薬は不完全なサンプルをもとに作られたから、効果も不完全なんだ。


それで多用すると、人体を変形させる酵素が、体内で生成される。


水魚は自分が、その酵素の実験台になって、無害をよそおった」


「そうか。この村の人たちは、長年の御子との血縁関係で、その変異酵素に生まれつき耐性があるんですね」


言いながら、蘭は、めまいをおぼえた。


ふいに、水魚の思いの深さに気づいて。


このとき、この瞬間のために、どれほど強い意志で、水魚が臨んだのか。


「じゃあ、たとえ世界中がヘルで滅んでも、この藤村の村人だけは死なないんだ」


水魚は人類を滅亡させてでも、この村を……自分の愛する人たちを守ろうとした。

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