〈想肉〉

 辺りはすっかり日も暮れ暗くなっていた。住居からの薄暗い灯りが外にぽつぽつと漏れている。


 一人、軽装で歩く杏音が村の隅に目を向けると黒い人影がゆっくりと動いていた。


『……ゾンビ?』

 

「こんばんわ……」 杏音は恐る恐る挨拶をした。


目を凝らして見ると井戸で水を汲んでいる村の女だった。女は杏音に気付くと死んだ様な目でこくりと礼をした。


『なんだかゾンビの様に痩せこけてる。道案内の村人さん二人と同じ。気の毒に』 

 痩せこけた女性が、とぼとぼと住居の中へと入って行くのを確認した杏音は村の中心に向かった。

数人の男が世間話をしながら歩いている。男達は杏音に気付くと、すぐに話しかけてきた。


「見ない顔だべ。姉ちゃんまさか賊退治の? まあ頑張ってくれや」 数人の男は笑いながら去っていった。


『なんて他人事…… 自分の村の事なのに。でも、さっきの女性に比べると全然やつれてもいない……』


 中心には 【生類憐れみの令】 の見慣れた立て札……

杏音は夜の山村を引き続き調査する。



 いっぽう、トウイチに言われるがまま清吉を探る正三。


『台所にいない……』 正三は住居の裏口から外へと出た。


 清吉の家の裏側は山の岩肌むき出しの崖で行き止まりであった。微かな灯りを頼りに辺りを見渡すと、明らかに温度差の違う冷気がビュ~っと流れている。正三はその方向を目を凝らし良く見た。すると、山の崖に、ぽっかりと口を開ける洞窟があった。


『怖っ! 寒っ! ……でもそれに混じって、なんだか変なが』 正三は一歩一歩、慎重に洞窟へと歩き始めた。


――ザザザ


すると突如、洞窟の中から足音が聞こえた。正三は慌てて裏口付近まで戻った。


――「あれ? 正三さん? でしたけ。どうしました?」 清吉が正三に気付き話しかけた。


「あっ! ああ、あの〈かわや〉は何処かなって。ははは」


「ああ、申し訳ありません。それでしたら――」


「――清吉さん、それって肉? ですか?」 正三は清吉が手に抱え込んだ肉の塊に目を合わせた。


「この山村の特産物、【想肉そうにく】 と言う幻の羊肉ですね。明日は力を付けてもらわないと」


「凄い! このご時世に。賊に見つからないように洞窟に隠してたんですね」


「はい。この中は温度も低いので丁度良いんですよ。さあ入りましょう。調理しますので」 そう言うと清吉は家の中へ入り、正三も用を足す振りをしてサッと家の中へと入った。



――囲炉裏を囲んでトウイチ、助さん格さん、ご隠居、銀子の五人の元へと戻ってきた正三は洞窟の件を小声で話した。


 台所からは想肉の焼ける匂いがして来た。


「うむ……。 お~い! すまんが酒を頼む!」 トウイチが大きな声で言った。


しばらくすると清吉が笑顔を見せながら酒と茶を持って来た。


「すみません。ついうっかり忘れていました。今から食事を持ってまいりますね」


トウイチは酒を飲み始めた。


――「戻りました」 杏音が浮かない表情で戻ってきた。


清吉が台所から次々と夕食を持ってくる。

囲炉裏の周りには香ばしい匂いのする油の乗った想肉と山菜が並べられた。


「どうぞ、召し上がって下さい」


「おほっ! 肉なのだ! 余の大好物なのだ!」


「……折角ですが私は頂けません。私の分を村の方に差し上げて下さい」 杏音は想肉を清吉へと戻した。


「僕の分も…… ここまで道案内してくれた二人へ。例のの件もあるし。まあ、ここなら大丈夫だとは思うけど」 正三が言う。


「御触れとは何なのだ!」


「ご隠居。 【生類憐れみの令】 の事でござる」


「私達はいつでも食べられるでありんす。ここは他の方々に」 銀子がご隠居をあやす。


「そうですか…… 残念ですね。では山菜だけでも召し上がって下さいませ。私はこの肉を村の者に配ってまいりますので」 清吉は目を細めながら家を出た。


――「ぬおお! 食べたかったっス~」 助さんは残念そうに山菜をがっつき酒で胃へと流す。


「で、村の様子はどうだ?」 トウイチは酒を飲みながら杏音に言った。


「不思議なんです。貧富の差があるのか、やつれて元気の無い方々と、そうでは無い方達がいました」 


「何はともあれ、明日、オヤジと姐さん、正三はこの村に残れ。俺ら四人で賊を片付けるからよ」 トウイチが言う。


「僕も行きますよ!」 正三が言う。


「もし村で何かあったら、お前がオヤジと姐さんを守るんだよ。賊の何十人なんて大丈夫だろ?」 トウイチは助さん格さんを見ながら言う。


「もちろんでござる!」


「余裕余裕。すぐ戻って来るっスから」


「こちらから奇襲を仕掛ける訳ですし」


――「分かりました」 正三はご隠居、銀子を見ながら頷いた。


「明日は山村観光でもしながら胃袋を満たすのだ。よろしく頼むのだ。正三よ」 ご隠居は酒を飲みながら言う。



 結局その夜、自宅に清吉が帰る事は無く、七人は早めに眠りについた。

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