〈奇妙な献上品〉

 匂いと人々の声、足音を頼りに進む盲目の流者がゆっくりと歩き港に着いた頃には先の船着場で役所の番人が、あたふた冷や汗をかきながら言葉の通じない相手達と対峙していた。

 その場にいる人々は皆、目を丸くしてざわついている他ないようだった。

 そんな人込みをかき分けてぐいぐいと前進して行く盲目の流者。


青い瞳の南蛮人達の目の前まで来た盲目の流者は何の躊躇もなく突然ニヤリと笑みを浮かべ呟いた……。


「ノーフューチャー」 ドヤ顔である。


 辺りは時が止まったかの如く静まり返る。

若干の沈黙の後、手を叩きながら笑い声が聞こえてきた。


「HAHAHA!」


数人の南蛮人の裏から黒い刺繍の施されたコートを着たドクターエンゲルが現れた。

その風貌は近寄りがたい雰囲気の伯爵といった感じである。無論、英語で話しかける。

盲目の流者は、あたふた冷や汗をかいた……


――「待った待った! ウェイト! ウェイト!」 港の奥から走ってくる男。半鐘を鳴らした監視役の青年だ。


「お役人さん、ぼぼぼ、僕に通訳させてください!」 辺りが再びざわめく。

「なんだ。正三、お前話せるってか?」 役人が疑う。半鐘鳴らしの正三は目をキラキラさせ 「大丈夫です! オールライト」 自信満々で言い放った。

 辺りから百姓だろ。監視バイトだろ。等々の声が飛び交う。

「えーい! 何でも良い! 正三やってしまえ!」 役人は、やけっぱちに答えた。

正三は気合を入れドクターエンゲルの前へ行き会話を始めた。


――一刻して正三は役人へと内容を伝える。


「この方はエンゲルさんて名前で、西洋の国から来たそうです。それから江戸幕府の将軍。徳川綱吉公様へ 【どうべるまん】 ……ええと、犬を献上したい。との事です」

正三は檻に入れられた、どうべるまんを指差した。


「ほう。艶のある黒い色。大型犬かつ筋肉質で美しいライン。珍しい。立派な犬じゃ。上様も大層犬好きであられる。が、しかしこの犬、目が真っ赤で口から泡が出て苦しそうじゃ。奇病では?」

役人は疑惑の目をエンゲルに向ける。


――「長い船旅で犬も疲れているだけ。との事です。はい」


『フムフム…… これでワシの階級、役職もウナギのぼり……』


――「ヨシ! 分かった。ワシが責任を持って上様へお渡ししようぞ。が、しかし幕府は現在鎖国状態にある。ゆえ、そなた達の停泊はできぬが良いな?」


――「良いそうです。エンゲルさん達はすぐ出港されるそうです。将軍様へ、よろしくお伝え下さい。との事です。はい」

 にっこりと笑い役人と握手を交わすドクターエンゲル。


間もなくして巨大木造船は港町を後にした…… 


徐々に人だかりは消え港は海鳥の鳴く声が鮮明に聞こえる日常に戻って行った。

 潮風を嗅いでいるのか、辺りを見渡しているのか、空を見上げているのか、そのどれにも属さない仕草をする盲目の流者を眺めながら正三が近寄って来た。


「按摩さん。面白いですね。ノーフューチャーって。ウケましたよ」 正三は好意的に話しかけた。

「お兄ちゃん英語上手いね」 盲目の流者は、にこやかに答えた。

「僕、正三って言います。英語塾、死ぬほど盗み聞きしましたよ! ははは」 二人が話す遠くの方では役人達が先ほどの檻に入った、どうべるまんを慎重に運んでいる姿が見える。


「でも、犬と豪勢な献上品だけ置いて、さっさと帰っちゃうなんて。鎖国とはいえ裕福な国ですよね」 正三は腕を組みながらピンと来ない様子である。


――「按摩さん。ここじゃ何だし、うちに来なよ。裕福じゃないけど」

「おお、いいの? 正三。あまえるよ」


 盲目の流者と正三は海鳥の鳴く港を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る