019『涼ヶ峰姉妹の夏休み』

 テスト休みと修業式が終わり、今日から晴れて夏休みだ(天気も晴れだ)。

 だが、せっかくの夏休みだからと言って僕はどこかに出かけたりはしない。


 暑いし。


「で、君たちどうして僕の部屋にいるのかな?」


 僕がそう尋ねると、芹はクーラーを指差した。


「湊くんの部屋クーラーの効きがいいからよ」


「去年変えたばっかだからな」


 クーラーというやつは新品に取り替えるだけでこうも日常が変わるとは思わなかった。

 設定温度は二十八度なのに、寒いくらいだ(ちなみに、両親と二人の姉妹から僕の部屋は別名『北極』と呼ばれている)。


「こう涼しいと、つい長居をしてしまいますよね」


 菘は僕の本棚から漫画を取りながら言う。


「別に居るのは構わないし、漫画も読んでくれても構わないが、菘は勉強した方がいいと思うな」


 菘は嫌そうな顔をこちらに向ける。


「私は拒絶する」


 ちなみにこれは、今読んでいる漫画のセリフだ。


「テストも赤点だったし、少し前まで補講だったんだろ? 来年は受験もあるんだし、少しはやった方がいいんじゃないのか?」


「それは大丈夫です、来年から本気出します」


 このダメ吸血鬼め。

 僕は仕方ないので、勉強だけは出来る姉に助けを求める。


「芹からもなんか言ってやってくれよ」


「勉強なんて出来なくても幸せになれるから大丈夫よ」


 なんか含蓄がんちくのある言葉言いだしたぞ、この人。


「例えば、精液には幸せになる成分がいくつか含まれていて––––」


「すまん、その話は絶対に今いらない」


 とは言っても芹は止まらない。


「コルチゾンは感情を高め、エストロンは気分を高揚させ、セロトニンには抗うつの効果があるの。精液は鬱の特効薬なのよ」


「嘘を言うな、嘘を。そんなエロ漫画みたいな設定が現実にあってたまるか」


「『精液 成分 幸せ』で検索」


 僕は眉を潜めながら、他にやることもないので芹の口車に乗ることにした。

 スマホで先程のワードを入力し、検索する。

 …………うわ、マジだ。


「ほらね、私の言った通りでしょ?」


 芹はそう言って大きな胸を張った(もちろん揺れた)。


「だから、ごっくんは健康にいいのよ」


「ごっくんって言うな、ごっくんって」


「口に出したら口にしたくなってきたわ」


「まずはその減らず口を閉じろ」


 ここで芹は何故かゴミ箱に視線を移した。


「ちょっとゴミを捨ててきてあげるわ」


「いや、まだ全然溜まってないし大丈夫だよ」


 しかし、芹は「私は溜まってるのよ」と言い残し部屋を後にした。

 なんなんだ、あいつは……。たまに芹はよく分からないことを口走るよなぁ。


 まあ、それはさておき。


 僕はなんとなく漫画を読む菘に目を向ける。

 すっごい姿勢のいい体育座りで漫画を読んでいた(膝の上に漫画を乗せる感じだ)。

 菘は僕の視線に気が付いたのか、漫画の横から顔を出し「なんですか?」と小首を傾げた。


「いや、特に用はないけど勉強した方がいいんじゃね?」


 なんかさっきも同じようなことを言った気はするが、気にはしない。僕は単純に菘の学力を心配して言っているのだ。


「では血液を飲ませてくれるのなら、勉強しても構いませんよ」


「この前やったろ」


「ちなみに血液にも精液と同様に身体にいい効果があるんですよ」


「それは飲めばってことか?」


「注射で注入しないとダメです」


 なんか、同じような気もするけど多分違うんだろうな……正直医療のことはよく分からない。


「で、どんな効果があるんだ?」


「具体的には若い人の血液を摂取することによって、老化を防止出来るという研究データが近年公開されました」


「なんか、マジもんの吸血鬼みたいだな」


「人類が血を魅力的に感じるのは、昔からの話ですよ」


 確かに『血』というワードを神聖視するのはなんとなく分かる。

 ここで芹が空になったゴミ箱と、僕の通知表を持って戻ってきた。


「おい、なんでソレ持ってるんだよ」


「リビングに置きっ放しになっていたわ」


 くそ、母さんだ。


「見てもいいかしら?」


「……まあ、別にいいけど」


 芹にはテスト勉強に付き合ってもらった借りもあるしな。


「というわけですずちゃん、湊くんの恥ずかしいものを一緒に見ちゃいましょう」


「確かに、それには少し興味があります」


 菘もそれに同意し、芹と一緒に僕の通知表を見始めた。


「あっ、すごいわ『5』があるじゃない––––って、保健体育ね」


「湊さん、運動は得意ですものね」


「まあな」


「夜の運動もね」


「勝手に得意にするな」


「あとは、『4』とか『3』ばかりでなんか普通って感じね」


「そんなもんだろ」


 僕は何となく、二人の通知表も気になってきた。


「二人はどうだったんだ?」


「オール5」


 と即答したのはもちろん芹だ。


「私はオール5よ9科目全て。つまりごっくんね」


「…………」


 ごっくんって、この場合は一体何を飲むっていうんだ。

 もうごっくんって言いたいだけだろ。


「菘はどうだったんだ?」


 菘はぷいっと、ソッポを向いた。


「おい」


「通知表? はて、私の知らないワードですね、中国語ですか?」


「誤魔化しかたが下手すぎるぞ」


 まあ補講を受けている手前、それほど良かったとは思えない。


「あっ、でも音楽と美術と家庭科と保健体育は5でしたよ」


「それは才能が偏ってる気もするな……」


「保健体育だけ満点の男がなに言ってるのよ」


 芹に痛いところを突っ込まれてしまった。

 とりあえず否定しておこう。


「いいや、僕は英語も出来るぞ」


「英語の成績は4になってるけど?」


「そりゃあ、テストの点は満点じゃなかったからな……」


「何点だったのかしら?」


「……81点」


 高いと言えば高いかもしれないが、すごくいい点というわけでもないと思う。

 正直に言うと、英語が出来ると言っても他の教科に比べたら––––って話だ。


「ふぅーん、81点……なるほど頭に0を付けて、『081(おっぱい)』ってわけね」


「お前なんでスラスラとそういうの出てくるんだよ⁉︎」


「それは私がエロいからよ」


「…………」


 頭の良さというものを、こいつほどエロに悪用しているやつはいないと思う。

 男子中学生並みの目ざとさと発想力で、あらゆる事をエロに直結してきやがる。


「そういえば、赤点になりそうだった数学はどうだったのかしら? 補講になってないから、赤点では無かったのよね?」


「……まあな」


「何点だったのかしら?」


 その質問に答えるわけにはいかない。

 これは僕の点数が低いから言いたくないわけではない(別に高いわけでもない)。

 取った点数の数字にとても問題がある。


 僕の数学の点数は69点。

 69点だ。


 芹の言いそうなことは想像がつく。

 僕にとって数学のテストは、二重の意味で問題となってしまった。

 ので、嘘をつく。


「……79点だ」


「ほんとっ? すごいじゃない!」


 芹は弾んだ声でにっこりと笑った。


「やっぱり、私の教えが良かったのかしらっ」


 芹は僕の苦手科目である数学の点数が格段に良くなったことを、まるで自分のことのようにとても喜んでいた。

 なんか、ものすごい罪悪感を感じる(流石に10点は盛り過ぎた)。

 ……次はこんな嘘をつかなくてもいいくらい勉強しなきゃな。

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