010 『涼ヶ峰夫婦のおもてなし』

 六月中旬の土曜日。

 僕は休日ということもあり、昼頃まで惰眠だみんむさぼる惰眠族に興じていた––––のだけれど、母親に叩き起こされた。


「ちょっとこれ、隣の涼ヶ峰りょうがみねさん家に持っていって」


「はあ?」


「ほら、あんたいつもせりちゃんとずすなちゃんにお世話になってるんだから、持って行きなさい」


 そう言って母親は、大量のリンゴの入った段ボールを僕に押し付けてきた。


「なんだよ、これ」


「実家から届いたの。食べきれないからおすそ分けしてらっしゃい」


 そういうことか。僕は母親に「分かった」と了承し、家を出る。

 窓から行こうにも、この時間隣の部屋の主である芹は間違いなく寝ている(芹も惰眠族だ)。

 そもそも結構重い段ボールを持って窓渡をする勇気もない。

 なので––––僕は正規ルートで涼ヶ峰りょうがみね家を訪れ、インターホンを押した。


 数秒後、スラリとした金髪の紳士が扉を開けた。


「やあ、湊くん。今日はどうしたんだい?」


「あ、これ、おすそ分けで持って来ました––––食べきれないからって」


 この人は、涼ヶ峰りょうがみね蘿蔔すずしろさん。

 芹と菘の父親であり、吸血鬼界隈でも有名な、高位の吸血鬼

 そう、らしいである。

 僕からしたら、そういった印象は全くなく、普通のカッコいいお父さんって感じだ。

 実際、その美形っぷりはしっかりと姉妹に受け継がれている。


「立ち話もなんだ、入りなさい」


「あっ、いえ、コレを持ってきただけですから」


「そういうわけにもいかん、普段から芹と菘も世話になっているしな」


「……じゃあ、お邪魔します」


「うむ、今スリッパを用意する」


 蘿蔔すずしろさんはそう言って、僕用の黒いスリッパを取り出した(このスリッパは、蘿蔔すずしろさんが選んでくれたらしい)。

 僕はお礼を言ってから、靴を脱いでから玄関へと上がり、靴を揃えた。

 そして、黒いスリッパを履いた。ふかふかだ。


「その赤の果実は、私が持とう」


「あ、いえ、僕が運びますよ」


「なに、遠慮するな、私は力持ちだからな」


 と蘿蔔すずしろさんは、段ボールを片手でひょいと持ち上げた。

 そして、そのままリビングに案内される。リビングでは、芹によく似た長い黒髪の女性が料理をしていた。


「なっちゃん、湊くんが赤の果実を持ってきてくれたぞ」


「あらあら、ありがとうございますっ」


 にこやかに僕にお礼を言ってくれたのは、涼ヶ峰りょうがみねなずなさん。

 二人の姉妹の母親であり、サキュバス。

 なのだが、見た目からは絶対にサキュバスとは思えない。

 芹のようにエチエチボディというわけでもないし、芹のように美人顔というわけでもない。

 だが愛嬌のある笑顔が素敵な女性であり、とても家庭的な人でもある。

 芹と菘が料理上手なのも、なずなさんのおかげと言っていい。

 きっとこういう人のことを、いいお嫁さんだとか、いいお母さんというのだろう。


「せっかくだ、湊くん。お昼ご飯を食べて行きたまえ」


 唐突に、蘿蔔すずしろさんは僕にそう提案してきた。

 家に上げてもらっただけでなく、お昼もご馳走になるわけにはいかないので、僕はやんわりと断ることにした。


「いや、悪いですよ。それに、家で多分作ってるはずですし」


「遠慮するな、食べていきなさい」


「あ、なら……頂きますね」


 意思が弱すぎだ。

 でもこれはいつもの光景なのである。

 蘿蔔すずしろさんは、やたらと僕のことを気に入っているようであり、こうして何かあるたびに色々してくれる。

 そして、僕はその好意を断る事が出来ない。僕がこういう押しに弱いのもあるかもだが、何故か断る事の出来ないオーラのような物を感じる。


「湊くん、今日のお昼はカルボナーラだけどいっぱい食べるでしょっ?」


「いや、そんなには食べれないですよ」


 なずなさんのカルボナーラは絶品だが、正直寝起きなのでそこまで食べれる自信もない。


「男の子なんだからっ、沢山食べてなきゃダメだよ〜?」


 しかし、にっこり笑われそう言われると弱いのが僕である。


「じゃあ、大盛りで……」


「はーい、おかわりもあるからねっ」


 そうして、僕の目の前に大量のカルボナーラが盛られたお皿が置かれた。

 ここで、菘がリビングにやってきた。『†』を盛り盛り付けて。


「父様っ、見てください、このシルバーアクセをフル装備した姿を! 私はこの形態の事を…………み、みみみ湊さんっ⁉︎」


「……お邪魔してます」


「もうっ、来てるなら来ていると言ってくださいっ」


 そう言って菘は、逃げるようにリビングを出て言った。ジャラジャラ音を立てて。

 なんか、見ちゃいけないものを見てしまった気分になる。

 蘿蔔すずしろさんは今の菘の姿を一目見て、「む……」と唸るような声を上げた。


「湊くん、今の菘の格好……どう思う?」


「え、えーと––––」


 急に意見を求められ、僕は口ごもってしまった。とりあえず無難なことを言うしかない。


「個性的だと思います」


「ふむ、私はまだ少し地味だと思う」


 ……うん、そう言うと僕は思ってましたよ。


「もっと腕にシルバーを巻いた方がいいんじゃないだろうか?」


「そ、そうですねー」


 子は親に似るというやつだろうか。

 要するに。

 蘿蔔すずしろさんもちょっとセンスがズレているのだ。黒いスリッパもそうだし、リンゴのことを赤の果実とか言っちゃうし。

 菘は間違いなく父親の影響を受けており、似た者同士と言ってもいい。


 まあ、それはさておき。


 僕はなずなさんから手渡されたフォークを受け取り、カルボナーラを食べてみた。


「どうですかっ?」


「あ、美味しいです」


「ふふっ、おかわりもありますので沢山食べてくださいねっ」


 と言われても、目の前のカルボナーラを食べ切るだけで僕はお腹いっぱいになってしまいそうだけど。

 ただ、残してしまうのも申し訳ないので僕は気合いを入れてカルボナーラを食べ進める。


「私、湊くんみたいな沢山食べる男の子––––好きだなぁ〜」


「あ……えっと、なずなさんの料理、とても美味しいので……」


 僕は何故か自分の顔が熱くなるのを感じた。

 なずなさんはいつもこんな感じで、ナチュラルにこちらの喜ぶことを言ってくれる。

 というか、頻繁に好きと言われている。

 意味合いとしては『Love』ではなく、『like』の方の好きなのだが、こう頻繁に好き好き言われてしまうと、僕もなんだか恥ずかしくなってしまう。

 もしもこれが真のサキュバスによるアプローチだというのなら、間違いなく効果的だとは思う。

 芹のような誘惑の仕方は邪道だと言わんばかりの正統なアプローチである。


 現に蘿蔔すずしろさんは、これにやられたと––––昔キャンプに連れて行ってくれた時にポロっと話してくれた。


「そういえば、今年もキャンプに行かれるのですか?」


「そうだな、もうそろそろそういう時期だったな……」


 涼ヶ峰りょうがみね家は毎年家族でキャンプに行っており、僕も毎年誘われるので一緒に行っていたりする。


「湊くん、良かったら今年の夏も一緒に行くかね?」


 そしてさも当然と言わんばかりに、ナチュラルに誘われた。

 もちろん、僕は断る事が出来ないのは言うまでもないだろう。


 こうして、今年の夏の予定が一つ決まったのであった。



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