004 『涼ヶ峰菘の朝食』

 五月の下旬の日曜日、テストが終わり少し落ち着いた頃。

 夏の到来を肌で感じながら、僕は目を覚ました。

 しかし、


「冷たい!」


 首筋にひやりとした感触を覚え、僕は飛び跳ねるように起き上がった。

 枕元を見ると、保冷剤がタオルに包まれて置かれている––––何で?


みなとさん、おはようございます。今日はとてもいい天気で、献血日和ですよ」


 声のする方に視線を向けると、すずなが保冷剤を持って立っていた。


「なんで保冷剤なんて持ってるんだよ……それにこの枕元の保冷剤は何だ?」


「本日はそれなりの暑さなので、寝ている間に熱中症にならないようにと首筋、脇の下、太ももと、太い血管のある部分に保冷剤を当てて、身体を冷やしておりました」


 ……それは熱中症の予防の為にするやつじゃなくて、熱中症になった人にすることだ。

 まあでも、確かに今日はとても暑い。

 その気遣いは素直に有難いもの––––なのかもしれない。


 休日の朝から熱中症になり、頭が痛いとなるとせっかくの休みが台無しだもんな。

 それに、熱中症というのは最悪の場合、死んでしまうこともあるらしいからな––––気を付けるに越したことはないだろう。


 それにしても、五月でこんなに暑いとなると––––七月や八月は一体どのくらいの暑さとなるのだろうか?

 正直、そのことを考えると気が滅入ってくる。


「それで、こんな朝から何のようだ?」


 僕が要件を尋ねると、菘は淡々とした口調で答える。


「先程も言いましたが、本日はとても暑いので、冷やした血液をいただこうかと……」


「僕はお前のドリンクバーじゃないんだぞ⁉︎」


 冷やした血液って何だよ!

 キリッと冷やして飲むものなのか⁉︎


「高位の吸血鬼とはいえ、やはり日差しには弱いものでして、少し夏バテ気味なんです」


「だから、血を吸わせて欲しいと?」


 菘はコクリと頷いた。

 血を飲んで夏バテ解消って何だよ……吸血鬼界隈では流行ってるのか?

 というか、血を吸われたらむしろ逆に僕が貧血になって倒れてしまいそうだ––––断ろう。


「ダメだ」


「貧血の心配をしているのですか?」


「そうだよ」


「それなら心配いりませんよ、飲むのは一滴だけですから。リットルで言うなら、0.04mlくらいですね」


「……それなら大丈夫そうかも」


「血液をくださるなら、ジュースを奢って差し上げますよ」


「本当に献血みたいなことしてきやがった!」


「最近何か病気になったりしましたか?」


「問診始まってる⁉︎」


「歯の治療などをしていた場合は、献血が出来ないので気を付けてくださいね」


「えっ、そうなの?」


「はい、歯の治療をした場合、口内にある菌が血液の中に移動し、菌血症になる場合がありますので」


「…………」


 なんで菘はこんなに献血に詳しいんだろう。

 行ったことあるのかな。いや、吸血鬼の血液ってどう考えてもダメだろう。吸血鬼の血液飲むと、吸血鬼になるって言うし。

 まあ、菘は無駄に博識な所あるからな。多分それだ。


「じゃあ、もし僕が昨日歯医者に行ったとしたら飲めないのか?」


 僕がそう尋ねると、菘は「行かれたのですか?」と首を傾げる。


「いいや、行ってない」


 下手に嘘を付いてもしょうがないので、正直に答えた。歯医者なんて、もう五年くらい行っていない気がする。


「なら問題ありませんね」


「確かにないけどさ……」


 一滴ではあるものの、首筋に噛み付かれるのは何度やられても慣れるものではない。

 菘に抱きつかれながら、優しく首筋を甘噛みされるのは、妙な感覚だ。

 特に、誰かにそんな所を見られるのはとても恥ずかしい。


「そういえば、芹は?」


「姉さんならまだ寝ていますよ」


「ああ、昨日遅かったからな」


「夜中までお楽しみでしたね」


「誤解のある言い方をするな! 一緒にゲームしてただけだよ!」


 昨日の夜、芹はいつものように夜這いに来て、いつものように一緒にゲームをして、明るくなった頃に自分の家に戻っていた。

 もう夜這いじゃなくて、遊びに来ていると行ってもいい。


「姉さん、いつも言ってますよ––––『私も新鮮な精液をごっくんしたいわ』って」


「ごっくんって言うな、ごっくんって」


「私が言ったわけではありませんよ」


 芹はちょっと表現がアレ過ぎる。そこさえちゃんとすれば、美人だし頭もいいし、あとエチエチボディだし––––って、僕は何を考えてるんだ!


 ……それはまあ、ともかくとしてだ。

 僕はここである事が気になった。二人がそれほどにまで求める僕の体液とやらは、一体どんな感じなのだろうか?

 訊いてみよう。


「あのさ、そんなに僕の血って美味しいの?」


「はい、それはもう––––舌の上に乗せた瞬間に広がる血漿けっしょうの味わいは、深みがあり、それでいてくどくもなく、香り豊かに舌を鮮やかに彩ります」


「は、はい?」


 困惑している僕なんて御構いなしに、菘は話を続ける。


「今年の十六年物の血液も美味ですが、私としては二年前の十四年物の血液が一番良かったですね––––あの年は当たり年でして、とてもいいモノが出来たと自負しております」


「人の血液をワインのように語るなよ!」


「ワインはキリストの血と言いますし、強ち間違いではないと思います」


「絶妙な共通点をあげるな!」


 キリストもびっくりしてるぞ、多分。


「血が神聖視されているのも、キリスト教の影響なんですよ」


「じゃあ、十字架に弱いのも関係あるのか?」


「正確には吸血鬼ではなく、悪魔全般が十字架に弱いとされてます。ただ、これも個体差がありますよ」


「人間でも足の速い人間と、足の遅い人間がいる感じか?」


「どちらかと言うと、アレルギーみたいな話ですね」


 なるほど、それはちょっと分かりやすい。

 アレルギーが全くない人もいれば、そうじゃない人もいる。

 そして、最悪の場合––––死に至る可能性がある。

 うん、とっても分かりやすい。


「じゃあ、菘は何か苦手な物とかあるのか?」


 何となく僕は興味本意で訊いてみた。

 菘は「そうですね……」と少し考えてから、


「太陽ですね」


 と、口にした。


「あれ? 大丈夫なんじゃなかったのか?」


「吸血鬼としては大丈夫ですが、人としては肌が弱い方なので、日焼けするととてもヒリヒリします––––なので夏場は日焼け止めが必須です」


「…………」


 そういえば、最初に少し夏バテ気味とか言ってたしな。

 吸血鬼とはいえ、日本の夏は暑いらしい。

 ……仕方ない、一滴だけとは言っていたし吸わせてやるか。

 僕は無言で自分の首筋をトントンと叩いた。

 それを見た菘は、普段はあまり見せない笑顔を浮かべる。


「では、横になってリラックスしてください」


「はいはい」


「保冷剤を当てますので」


「何でだよ⁉︎」


「先程から時間が立っているので少し温くなってしまったと思います。なので、もう一度冷やそうかと……」


「嫌に決まってるだろう」


「では、湊さんのお母様にテストの点数が悪かったのは、夜中にゲームをしていたからと告げ口しますよ」


「絶対やめろ」


 母さんは怒るととても怖い。とてもとても怖い。

 もしも母さんに告げ口なんてされたら、絶対に怒られる。

 従うしかない。

 ……これが本当のか。

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