荷物詰め


散々だった彼女との別れは、カズキが楽しそうに今日の出来事を教えてくれてからでいい。

もう別にやり残したこともないし、明日マコさんとお別れするだけだ。

何を思うでもなく、呆然とするわけでもなく、ただ明日の天気予報を見ながらラーメンをすする。

味はしない。


そう、明後日からただの味気ない日々に戻るだけ。

そこにはマコさんの作ってくれた料理もないし、カズキといつも一緒にいれるわけでもないし、勿論のこと彼女もいない。

きっと何もなかったんだ。ただの学習会。

なのに…


「はぁーっ…っ」


額を机に擦り付けてため息をもらす。

なんだか自己嫌悪に陥りそうだ。


もう、忘れてしまえばいい。


忘れてしまえばいいんだ。


ノブが勢いよく回る。


「たっだ今ぁー!あーかったりぃかったりい!カップ残ってるかタクミ!」


「んん…何だよねぇよ…」


「ちぇっ、食っちまったのかよ、こちとらフラれてきてんだってのによぉ!」


「はっ、フラれてやんの」


「…るせーな!…まーでも心残りはないしいいや」


カズキはリュックをどかっと投げると、大の字になって布団に倒れた。

こっちの方がサッパリ男らしくていいかもな。


「何て言われたんだ?」


「いや、優しーくフラれたよ」


「そっか」


冷蔵庫から冷えた2リットルコーラを取り出してグラスに注いで渡そうとする。

カズキは僕の手からボトルの方をもぎ取ってラッパ飲みし始めた。


「そっちかよ…行儀悪いな」


「ゲプ…うまいうまい」


ヤケ酒かなんかかっつーの。


「ちょっと寄越せよ」


「ほい」


部活動の時みたいに回し飲みして腹を満たす。


「ゲフ…じゃ、荷物をまとめないとな」


「はーめんどくさ!」


もう使わないであろうかさばる作業着も、下着も靴下もTシャツも、明日の分以外は全部トランクに詰め直す。

来た時よりも少し重い。

お土産はちょっと前に買っておいたので、ライオンクッキーやらなんやらある。


何とか二人掛かりでトランクを閉め、一息つく。

小物はリュックにまとめて行けばいいだろう。

そうだ、あの羽根は何処にやったっけ?

綺麗だし、帰って話も弾みそうだと思いながら物の散乱した机に手を突っ込んだ-












柔らかな光に包まれている。

体は宙に浮いていた。

様々な光が幾何学模様を描いて虹色に乱反射し、僕の周りを取り巻いている。


そしてそこは水の中だった。


「ごはっ!ううっ!」


まずい!溺れる!

と思ったが呼吸が出来た。

そのまま浮上するでもなく、沈むでもなく、ただクラゲのように揺蕩う。


「これは…夢…なのか…?」


自分の置かれた状況が理解できない。

それでも見入ってしまうほどに綺麗な眺めを今までに見たことは無かった。

ただその世界に魅了されていた。


「…かないで」


「えっ?」


声の方向に体を移動させようとする。

しかし上手く周りの水をかくことができない。

これはそもそも水なのだろうか?


突然、猛烈な流れが巻き起こる。

それに抵抗することもできず、物凄い速さで僕の体は飛ばされる。

身体中に抵抗を感じる。


『どんな人かな』


「っ…」


声が聞こえる。

間違いない。

毎日聴き続けた声。

彼女の声が映画館のサラウンドスピーカーの様に響いてくる。

恐る恐る僕は激しい流れの中で目を開けた。


『もしかしたら、こわい人かな』


あそこだ。

初めて彼女に会った場所。

確か…


『それとも、優しい人なのかな』


『ちょっとだけ…なら見てもいいよね…?』


遠く遠く離れていてそれで近い場所がスクリーン。

彼女の目線だろうか、あの見慣れた手が映る。

優しくドアノブを握って、少し覚悟したような表情をしてから、目を瞑ってグッとドアを開いた。


『イテッ!』


目を開けると、見っともない姿で尻餅をつく僕。

それを見て、彼女の顔が緩む。


『大丈夫ー?』


スクリーンがぼやけて、更に流れは勢いを増す。

ゴオゴオと流れる液体の中で彼女の想い出も流れていく。


そしてその水流から弾かれた。


「うわっ!」


体のバランスが取れず、僕は回転する。

再び、スクリーンが現れる。

赤い空電が走る。


『オイ、あそこの飼育員がサンドスターに打たれたぞ!?』


これも聞いたことのある声…イワトビペンギンの声だろう。


『タクミ…タクミっ!!』


彼女はステージを飛び降り、走って僕が倒れている元へと走ってくる。


『タクミ!タクミ!ねぇどうしたのタクミ!』


周りの水がほんの少し冷たくなる。


『タクミ!』『タクミ君!』


カズキとマコさんの声だ。


『返事してよぉ…タクミ…』


涙が溢れ落ちる。

スクリーンの中で僕がゆっくり目をあける。


『タクミ!よかった、起きた…!』


途端にボロボロと感情のダムが崩れる。

スクリーンが涙で歪む。


彼女が僕の胸に抱きつく。

彼女の涙が、胸ポケットに入っていた羽根に触れ…


「あっ!」


周りの水が光を増す。

またしても瞬間的な流れが起き、グンと飛ばされる。


『で?どうなの?タクミってヒト!』


ロイヤルペンギンの声だ。


『いい人だよー』


『いい人って…違くて、どう思ってるのよ?』


彼女の頬が自然と赤くなる。


『別になにも…』


『フルルちゃんって、こういうのになると嘘が下手なんですね!』


これは…ジェンツーペンギンの声だったっけ?


『照れることはないんだぞ?』


コウテイペンギンの声…だと思う。

何か女子会のような所を盗聴している気分だ。


『…タクミは…ぅぅ…ん…』


『『『『タクミは?』』』』


『うぅ…す…す…』


す…?

また赤い空電が走る。

周りの水が消え去る。


「うわぁぁぁぁぁっ!!」


身体が真っ直ぐ下に向かって落ちていく。

スクリーンが僕を追う。


『名付けて!フルルのれんあ2*÷「|」6÷79|6

『ホラ!これで誘ってデートなんてどうでしょう?』

あの水族館のペアチケットだ。

身体が引きちぎれそうだ。

『タクミ…』『タクミ』『タクミぃっ!』




「タクミ?」


「うわぁっ!はっ、はっ、はっ、はっ」


寝汗をグッショリとかいていた。

横には心配そうに見つめる一樹。


「ったくビックリさせんなよ…ホラ、5時だぜおっきおっき!」


「あのさ、俺…寝てた…?」


「あ?寝ぼけて寝たことすら忘れてんのかよ…」


クスクスと馬鹿にしたように一樹が笑って何かムッとする。


「だってお前、昨日机に向かったままバッタリ寝ちまったじゃねーか。ホラ、小物はしまっといたぜ」


「あぁー…そうだったな、サンキュ」


「ジュースおごりな!」


僕の手の中にはクシャクシャになった羽根が握られていた。

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