避難を…


シャンプーを終えて、歯を磨く。

泡をぺっと吐き出しうがいをする。

動作一つ一つが自分のモノじゃないみたいだ。

ここを離れるのはやっぱり寂しい、でも都会での生活が待っている。


パシャパシャと顔に水を差して完全に眠気を覚ます。

アメニティグッズのタオルにはパークのロゴが印刷されている。

むぐむぐと顔を拭い、鏡に映った自分と目が合う。


「…帰るか」


ベッドの下も確認したし、忘れ物は無いはずだ。

それでも忘れモノはあったのかもしれない。

いつかきっと忘れたことさえ忘れる。


マコさんが下まで出迎えてくれるらしい、その時間まではまだ少しあった。

そういや行きの船の中ではWi-Fiが繋がっていない、今のうちに動画でもダウンロードしておこうかとスマホに手を伸ばす。


ミシリと音がした。


僕と一樹は一瞬、緊張から動きを止めて耳を澄まして集中する。


「聞こえたか?」


僕は無言で頷く。

またミシリと壁が軋む。


「地震…?」


「火山活動か何かかもな」


ミシミシと今度は強く軋む。床も揺れた。

何か、とてつもなく重いものが落ちたみたいに…

気味が悪くなって2人とも口をつぐむ。

ミシリミシリとだんだんに音、揺れは大きくなってくる。


数秒して理解した。

この断続的な揺れは物が落ちてるからじゃない。

これは恐ろしいほど重いものが歩いている揺れだ。


全身の毛が一気に逆立つ。

一樹も凍りついた顔をして視線だけをコチラに合わせている。

息が細くなる。


ミシミシという音は暫くして遠のいてゆく。

僕たちは一歩も動かず…動けずにいたが、音が小さくなるなり窓に駆け寄った。


「なんだアレ!バッ…バケモンじゃねぇか!」


この建物は三階建てで、僕たちの部屋は丁度その3階にある。

その高さから見て、同じくらいのところにソレの頭はあった。遠近法的に同じくらいに見えているということは…そういう大きさだろう。

大きな楕円形の足跡が地面にめりこまれている。


震える声で部屋のドアホンにあるスピーカーから。


『全員すみやかに、静かに、パニックにならず外に出てください…荷物は持たないでください…分かっていると思いますが訓練ではありません』


「とりあえず出よう」


玄関を出ると、他の職員の人も外に出ていた。

皆一様に狼狽えていて、震えている女性を慰めているのもいた。

きっと窓の外を見てしまったのだろう。

階段に人が雑踏しているが、皆静かにしている。


『強力なセルリアンの発生により定時刻の船の乗船が困難であると見なされたので、水辺エリアのシェルターに全員避難とします。フレンズに配布されている端末によりシェルターへの避難が促されます…』


「端末って…?」


「え?フルルちゃんも持ってるだろ?あのスマホみたいなタブレットだよ」


…え?

一度も見たことないんですけど。

一抹の不安が…いやいや別に彼女ならなんとかなるだろう…どうせシェルターで鉢合わせて気まずくなるんだと思うが…

なぜか嫌な予感が残る。


スマホを開いたが電波が悪く、何故か圏外になっている。


「コレさ、ヤバくないか…?」


「とりあえず、指示に従って逃げよう。きっとマコさんもフレンズもそこに集まるよ」


コクリと一樹は頷いた。




僕たちはジャパリバスに乗り込んだ…と言ってもいつものような横が全開になっている乗り物ではなくシャッターが降りていた。

時々外で大きな音がしたり、バスが急停車する度に車内で怯えた声が起こる。

外は見えないが何がいるのかは見当がつく。


僕たち2人はギュウギュウな車内で体を寄せ合っていた。

突然、外でサイレンが鳴り出す。


『水辺エリアのフレンズに連絡です。速やかにシェルターになっているパビリオンドームに避難してください…すぐに自分の身だけを守ってください…』


無言で僕らは目を見合わせた。

一樹は相当焦っているような目をしているが、僕も同じだろう。

ジェットコースターに乗る前のように体がビリビリしている。


バスはやがて停車した。

出るとそこは大きな帽子型のドームで、入口は殆ど分厚い鉄板で閉ざされていた。

中は半分ほど職員で埋まっていて、ガヤガヤと話し合う声や、友人と抱き合っている者もいる。


床にブルーシートを敷いているうちにフレンズも集まり始め、怪我をしているものの手当も始まった。

幸い、走る途中に転んだくらいの怪我しかしていないようだ。


「…俺、マコさんとアードウルフを探してくる。なんか心配だし」


「わかった。じゃあ僕も…フルルちゃんを探してくるよ、あそこの柱で後で会おう」


「了解」


来ているだろうが確認はしておかなければならないだろう。

だが会ったらなんと声を掛ければ良いものか…




「マコさーん!アードー!」


「おーいカズキくーん!」


目を細めて背伸びをすれば、奥で胸の大きな女性がこちらに手を振っている。

ごめんなさい、すいませんと職員を半ば強引に押し除けて向こうまで進む。


「良かった…会えた」


「無事みたいね、タクミ君は?」


「フルルを探しに行きましたけど…見てませんか?」


「見てないわね…アードは?」


よく見ると後ろに怯えて縮こまっていたアードウルフがいた。

首を横に振っている。


「そうか…まぁ見つかるとは思うんですけどね…」


「…きっとメンテナンスを入れようとした理由はこれね…」


ドームの高い天井から、何かが這い回る音が聞こえ、会場から一気に悲鳴とざわめきが起こる。


「このパビリオンドームはシェルターにすることを目的に作られてるから大丈夫だけど…外にまだ居たら不味いわね」




「フルルちゃーん!いるー?!」


大声で叫んでも声は掻き消される。

白と黒のあの模様を探す。


「…いた!フルルちゃ…」


その肩を掴んだ。

しかしすぐに髪型が彼女のものではない事に気がつく。


「あれ?お前フルルの飼育員じゃねぇか?」


「君はイワトビペンギンの…」


「イワビーだぜ。フルルを探してるのか?アイツなら食べ物のあるところに居そうだけどな…」


「いや、探しても見つけられないんだ。見てないんだね?」


「…ああ、見つけたら連れて行く。オレも心配だしな…」


『あと30分後にシェルターを閉じます…急いで避難を済ませてください…』


焦らせるようにアナウンスが入る。


「あ、あのさ、フルルちゃんって何かタブレットみたいなものを持ってなかった?こんな感じの…」


僕はスマホを取り出して見せる。

彼女は首を横に振った。


「アイツ、こないだそれを持ったまま海に飛び込んで壊してるんだ。それが何か…?」


「あともう一つなんだけど、あの子の住んでるところって離れだよね?あの近くってまだ整備されて無かったよね…?」


イワトビペンギンの顔が少しサッと青くなる。

ブンブンと振り切るように首を振る。


「へ、変なこと言うんじゃねーよ!じゃあな!見つけたら教えるぜ!」


「あ…」


イワトビペンギンは走って向こうへ行ってしまった。

もし来なかったらどうしよう。

そんな嫌な想像が頭の中を飛び交う。


「あら?貴方…」


「へ?」


後ろを見るとそこにはダチョウのフレンズがいた。

あの時占ってもらったので顔は覚えている。

あの時の飼育員もいた。


「良かったわ、やっぱり私の占いは外れてたみたいね!」


「自信満々に言うなよ…」


「外れてた…ってどういうことですか?」


「実はね、貴方と、一緒にいたフレンズも死相が出てたのよ。今日が命日にならなくて良かったわね。あら?そういえばあの子はどうしま––


僕はその言葉を聞くのが恐ろしくて必死に彼女を探す。


「フルルちゃん!フルルちゃーん!いるんだろ!返事しろよ!フルルちゃーん!」


人混みをかきわけ、声が枯れそうになるまで叫び、それでもただイタズラに時間だけが過ぎていってしまう。


「フルルちゃーん!フルルちゃ」


バフっと大きな壁にぶつかった。


「あらお久しぶり」


「あなたは…サチコさん?!」


「と、マコとアードとカズキでーす」


後ろにはマコさん達がいて、本当はみんな怖いはずなのにアードを慰めようと必死に作り笑顔をしているのがバレバレである。


「フルルちゃん、見ませんでした?もう7周して入り口で待ってみたのに見つけられないんです」


「み、見てないわね…他の人にも問い合わせて…」


『間もなく、ゲートを閉鎖します。現在、職員は全員収容済み、フレンズが一名収容できていません…チェックされていないフレンズはただちに名乗り出てください…』


しかし誰も名乗り出るものはいない。

誰もフルルちゃんを見たと言ってくれない。

変な汗がドバドバと流れてくる。


「…メだ…」


「…タクミ君?」


「まだ閉じちゃダメだ…フルルちゃんはきっとまだ外にいる!!」


ゲートに走ろうとする僕の手を一樹の手が引き留める。


「まっ、待てって!あっちに行ってどうするつもりだよ」


「どうするって…どうするって…!でもとにかく行かなきゃ!せめて確かめなきゃ!」


一樹の手を擦り抜けて走り出そうとした。

しかし僕の靴紐は左足に踏まれていた…


「あっ」


ドサッ



















「はっ!」


今朝見た夢の中だ。

虹色の水の中。

もしかして、今見てたのも夢だったのか?

だとすればどこからどこまでが?

この空間の目的は何なんだよ…?


「…わいよ…」


奥から声が聞こえてくる。

そして、ハッキリ分かった。

五感でもなんでもない、ただ何かが僕の心を激しく締め付け、揺さぶっている。

––彼女と繋がっている。


「こわいよ…誰か…タクミ…タクミ…」


今、僕は彼女だった。

そして彼女は僕だった。

然して尚、彼女は彼女のままだった。


肩は小刻みに震えている。

彼女は一人、部屋の中で毛布にくるまって怯えている。

孤独に、慰める者もなく、動く力ももはや無く。

ただ叶わぬと知っている、藁よりも縋ることの難しいたった一つの希望の言葉を震える声で紡いでいる。


「タクミ…タクミ」




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