第12話 裸の心
大学生と何を話したらいいのかわらないと言う私に、藤間くんは「普通ですよ」と笑った。白い歯が覗いて、食品サンプルみたいにつやつやとした濃い色のタレがよく絡んだ焼き鳥を頬張って、ビールで流し込んだ。
「うまいですよ、食べてください」
藤間くんに促されて頷き、串1本掴むも、食欲が沸かなかった。闇夜を照らす赤提灯の裏通り。ビジネス街によくある居酒屋チェーン店。インスタ映えはしない板張りの壁、小さなテレビが2台、向かい合って店の対角線を描く。ちょうどニュースが甲子園の試合結果を伝えている。地方予選から話題になっている秋田代表の農業高校が今日も勝ち上がったらしい。
「金足農業すごいですね。」
テレビを見ない私ですら知っている今年の甲子園のヒーローたちだ。ニュースを見ながら、藤間くんは殆ど空いたジョッキを掲げた。背中越しにオーダーコールが響いて、間もなくビールのおかわりがテーブルに届く。
「ありがとうございます。」
藤間くんはよく通っているというだけあって、お酒も食べ物も注文が手慣れていた。こういう店に行かないわけではないけれど、この日までの緊張感と、仕事のことを思うとなんとなく胃の奥が鈍く重みを増していくような感覚に、正直このところ食事どころではなくなっていた。それでも、藤間くんに気を遣わせまいと、焼き鳥を一口、口に運ぶ。
「おいしいね。」
藤間くんが嬉しそうに頷く。
普通ですよ、と言われてもその言葉を素直には受けいられなかった。2つ年の差があれば読んできた漫画も聞いていた音楽も、見てきた映画も違う。それが8つならどうだろう。同じ平成生まれでもきっと彼が初めて持たされた携帯電話はスマートフォンだし、中学校の卒業式で私が「世界にひとつだけの花」を歌ったとき彼は小学校にも入っていなかったし、当時小学生だった私が子供ながらに、明日には死ぬかもしれないと思いながら1999年の7月までを過ごしていたことなんて、彼は知る由もない。
とは言え、本当に年を重ねた人に比べたら、まだまだだと言われるかもしれないけれど、年を重ねてよかったと思うことはいくつかある。仕事に関してのハッタリは必要でも、私生活に於いてはカッコつけたところでたいしてそれが役に立たないことに気がついたこと。つまり、無駄な嘘をつかなくなった。無駄な嘘をつく体力がなくなったのか、無駄な嘘をつき続けるのが面倒になったのか、それは定かではないけれど、とにかくカッコつけていたという見栄っ張りな自分を見られることの方が今の私にとっては1番恥ずかしいことだった。
大学生と何を話していいかわかんなくて緊張したことも、映画は好きだけどスパイダーマンもアベンジャーズも、マーベル作品を見たことがないことも、ディズニーランドに行ったことがなければ、ディズニーシーの存在は10周年アニバーサリーの告知を目にするまで知らなかったことも、私は包み隠さず話した。
「全然おもしろくなんかないでしょう」
「そんなことないですよ!」
お互い映画好きだとわかった瞬間は嬉しかったけれど、映画の趣味は真逆だった。超人的な能力をもつスーパーヒーローたちが登場する、非日常的な作品好きな藤間くんと、静かで何も起こらなくてもいい、日常的な作品が好きな私。
「それは、どういうところが好きなの?」
むしろヒーロー系が苦手だということも私は隠さなかった。それはどんなに話題になっても意識して避けてしまうほどで、何かが起こってしまいそうな予感がすると、余計にハラハラして疲れるし、どんなに見応えのあるシーンでも目を覆いたくなってしまうくらいであることも。
「日常を忘れたくなることあるじゃないですか」
「ああそうこと…」
また重くなってしまったような気がした。これは私の胃か、心か。
「川瀬さんのおすすめの映画はなんですか」
きっとそれらがすごく好きな人たちからすると、本当はムッとしてしまうようなことだったのに、そのすべてが大好きな藤間くんはムッとするどころか、誰のことを傷つけることもなく、むしろ私のことをたててくれていた。
「何度も見ちゃうのは"Laundry"かな。窪塚洋介と小雪の、知ってる?」
「ランドリー…これですか?」
「そう、それ!」
「面白そうですね!」
「この役の窪塚が純粋で、すごく心が洗われるんだよねえ…」
私の言葉に頷きながら、もう次の瞬間には携帯電話で検索しているフットワークの軽さは、私に興味があるのではないかと錯覚させた。そんな馬鹿な。そう、そんなはずはない。そういい聞かせながら、彼の話に耳を傾ける。正直、何を話したかは殆ど覚えていない。きっと、空っぽの胃に流し込んだビールのせいだ。
割り勘以上を譲らない藤間くんに負けて、会計を終えたのは21時30分。立ち上がった瞬間、酔いが体に伝染する。
「大丈夫ですか」
不安定な足取りを察して、藤間くんが手を伸ばす。今までで1番近くで藤間くんを見た。ただただ好青年の一言しかない。私の肘を支える手のひらが熱いのはきっと夏のせいだとして、私は何で今、この人と一緒にいるのか不思議でならなかった。映画やドラマならこんなシーン、目を覆ってしまっている。
「大丈夫、カバンが椅子に引っ掛かったみたいで」
少しでも距離をとろうと、引き寄せたカバンを壁にする。よかったです、と言って藤間くんの手が離れた瞬間、ずっと頭の片隅に引っ掛かっていた言葉が私の頭をノックした。店員さんたちの「ありがとうございました」がこだまする。藤間くんの背中について店を出た。店の外の空気がじっとりまとわりつく。暑いね、の一言の次に私は藤間くんに訊ねていた。
「…藤間くんでも日常を忘れたいことあるの?」
誰からも好かれるこの人に似合わない言葉だと思えたことが、どうも気にかかっていた。不意な質問に藤間くんは目を丸くして、次の瞬間、笑いながら言った。
「そんなことばっかりですよ、僕。」
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