第8話 年下の男の子

〔とーまくんに連絡先教えていい?〕


 思いがけない一言が目に飛び込んできたのは、深夜、高山さんにプロジェクトの進捗状況をLINEで引き継ぎをしていた、その最後の一行だった。"とーまくん"、とはアルバイトの大学生だ。確か4年生で、来春には某大手広告代理店への内定が決まっている。とーまくんが社内でその報告をした瞬間、先輩たちが湧いていたのでなんとなく覚えている。とは言え、とーまくんはそうであっても驚かないくらい、優秀なアルバイトだと私は認識していた。…認識、なんて少し冷たく思われるかもしれないけれど、チーフクラスになるとアルバイトの勤務を管理するために連絡先を交換している人もいるかもしれないが、私のような転職組でプロデューサーと言ってもアシスタント業務が中心の社員は学生アルバイトの子達とは正直挨拶程度にしか言葉を交わしたことがなかった。


〔大丈夫ですが、今回の件、とーまくん担当なんですか?〕


 少し焦ってしまった。自分が学生なら、完全に意識していたと思う。ただ私は社会人だし、声をかけてきたのが会社の上司。感情を出した瞬間に負ける気がした。


〔ううん!イベントは五十嵐くんと小川くんが当日運営!〕


〔では…なぜ?〕


〔4年生だから、引退前に親睦深めたいらしいよ?〕


 親睦、ですか。


〔そうなんですね!わかりました!〕


 その2文字の意味が、あまりよくわからないまま、私は何事もなかったように返事をした。間もなく高山さんからグループへの招待がきた。見慣れた高山さんと私以外に初めて見るアイコンがあった。藤間亮。私は初めてとーまくんの本名を知った。


〔学生アルバイトの藤間亮(とうまりょう)です!よろしくお願いします!〕


〔高山さんの後輩の川瀬七菜(かわせなな)です。よろしくお願いします。〕


 他愛もないやり取りと、同時に新しい通知。まだ友達に追加していない人だと携帯電話が教えてくれたのは今、まさに3人のグループで会話していたその人だった。


〔ずっと高山さんにお願いしてたんですが、忘れられていたようで(笑)謎にこのタイミングになりました(笑)よろしくお願いします!〕


〔おっちょこちょい、大目に見てあげて(笑)みんなとーまくんって呼んでたの、名字だったんだね!知らなかったです(笑)〕


 高山さんに見えないように息を潜めるような格好に少しドキドキした。


〔話したことないですもんね。仕方ないですよ!この機会に、ずっと話してみたかったので、今度ご飯誘わせてください!〕


 どういうつもりでこの人は私に連絡をして来ているのだろう。返事に困った。社交辞令かもしれないけれど、それならばわざわざ連絡先も聞いてこないだろう。こちらにその気があるようにも見られたくないし、かと言って職場で会う子に無下な返事はできない。まして相手は大学生だ。例えば8つも年上の女を捕まえて暇潰しをしているのかもしれないし、食いついてきたら食いついてきたで飢えた哀れな30女だとネットや彼らのコミュニティーの中で晒されてしまうかもしれない。


〔はい、お時間合えば!もし他に話したい人がいれば声かけるので、教えて下さい。〕


 仕事柄、最悪のことを想定して動くことが多い。思いがけず、その癖はプライベートも侵食してきているらしい。自分が傷つかないように、悪かったときのことを考えて線を引く。


〔話したい人は川瀬さんなので、川瀬さんが嫌でなければ、川瀬さんと2人がいいです。〕


 ドラマみたいな台詞に正直、ときめいてしまった。大学生相手に自分が情けない。とは言え「今どき珍しい」なんて感想が正しいのかどうかわからないけれど、まっすぐ返事をするとーまくんに、申し訳ないという気持ちが沸いてきた。


〔嫌じゃないです〕


 それは本心だった。知らないけれど知らないでもない。とーまくんがアシスタントについているプロジェクトは、なんとなく安心感がある。どんな悪い想像が頭をよぎっても、仕事ができるとか、社員とのコミュニケーションがうまいとか、人として信頼できる人に違いないことくらいは、この4年間彼と同じ空間で過ごしてきたからわかっていた。


〔ありがとうございます!因みにいつ、空いてますか?〕


 ただ、不安というか、不思議で仕方なかった。ピンクや紫もさらりと着こなすおしゃれさんで、いつもにこにこしていて、ひとつひとつのパーツがはっきりしているけれど、甘すぎない顔。女の子に困りそうもない紛うことなき好青年な彼が、私に声をかけてきた理由に満足いく答えが見つからず、私の頭の中では疑問符ばかりが飛び交っていた。

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