第6話 おあいこ

 打ちっぱなしのコンクリートの建物1階。中庭を臨む、ガラス張りの控え室。机を挟んで1対1。挨拶の後、上司の遅刻を伝えてポツリポツリと続いた会話も、今は外の雨音の方が大きい。向かいに長い足を組んで腰かけているのは、黒いジャケットに白いインナーをさらりと着こなす高身長のモデル体型の青年。忙しすぎて髪を切りに行く時間がないからと、伸びた前髪を横に流す仕草。頬杖つく顎のラインが美しい横顔もなんとなく様になる。うっかり芸能人みたいですよねと口走ってしまいそうになって、堪えたのはこの人が芸能人だからだ。中庭から差す光は、雨空のわりに明るい。


「雨、強くなってきましたね」


 3分おきに見てしまう窓の外の話も、すでに5回を数えた。あと15分と少し、会話がもつのだろうか。不安が増せば増すほど、外を見る回数が増えていくような気がした。


「すみません、相方とマネージャーが」


「いえ、こちらこそ」


 私の心中を察したのか、本日3度目の謝罪をするのはお笑いコンビ"コントンライダー"のツッコミである匠(たくみ)。コントンライダーはボケのタカシとツッコミの匠による大阪を拠点に活動している漫才コンビ。通称コントン。芸歴8年目の昨年、大阪の賞レースを総なめにした勢いをそのままに、昨年末行われた漫才師の日本1を決めるM-1グランプリでは敗者復活から準優勝に輝き、一気に知名度をあげた。年が明けたお正月には、深夜ラジオ番組の代名詞である『オールナイトニッポン』の枠でも大先輩『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』のピンチヒッターを経験。その春、満を持して東京進出を果たした。上半期テレビ出演本数ランキングにもランクイン確実。M-1で優勝したタイムパトロールを押さえて今、中高生に1番人気のお笑い芸人だ。東京に進出しながらも生まれ育った大阪への愛は強く、今も大阪でテレビやラジオ番組のレギュラーを持っていて、大阪と東京を往復する生活を送っている。そんな多忙を極める中、この春始まった『コントンライダーのオールナイトニッポン』のレギュラーは1度も休むことなく生放送を続けている。


「お忙しいですもんね」


「ええ、まあ…」


 会話が進まない理由は他にもあった。私が2人のラジオを聴く限り、匠さんはお笑いにストイックで、痛々しい(特に女性の)芸人ファンを嫌っていた。ここで迂闊にラジオの話をして、ファンだと思われて仕事にさしつかえたらもともことない。


「東京は慣れましたか?」


「いや、まだ全然…家と現場の往復で」


「お忙しいですもんね」


 条件反射のように言葉を返したところで、匠さんが吹き出した。キョトンとしている私に、匠さんは笑いと呼吸の間ですみません、と言った。


「それ、さっきも言いましたよね」


「え、あ!すみません!緊張して…」


「僕ごときに緊張するのはおかしいでしょう」


「緊張…するに決まってますよ。」


 少し躊躇いながら、私は全てを白状した。


「ラジオの匠さん、女のファンに厳しいじゃないですか」


 深夜ラジオが好きなこと。ラジオでコントンライダーを知ったこと。『コントンライダーのオールナイトニッポン』を聞いていて、匠さんが嫌いなイタい女のファンと勘違いされたくなくて、ラジオを聞いていることを言い出せなくなったこと。その結果、天気や仕事の同じ話を繰り返してこの30分を埋めようとしていたこと。


「…川瀬さん、めんどうくさいっすね」


 そう言って匠さんは笑った。不思議と嫌な言い方ではなかった。


「そんな気を遣わなくても…なんか逆に申し訳ないですよ。」


「いやいや、匠さんたちに不快な思いをさせたままお仕事頼めませんので。」


「そんな気ぃひとつ遣えない、独り善がりに、漫才もよう見んと、20代の男同士がじゃれてるのがやれカワイイだのなんだの、あわよくば食われないかと思ってるイタい女が僕は嫌なんですよ」


 あまりに正直すぎる匠さんに私はついに吹き出した。


「ほんまに…この前もタカシと東京タワー行ったんですけど」


「ロケですか?」


「いえ、タカシが今はまってて」


「先週のラジオでも」


 タカシさんは、東京タワーを見ると東京に来たことを実感するらしい。私はあったことはないけれど、後輩をつれて週に3日は通っていると話していた。


「ほんまに聞いてるんですね。」


 匠さんは感心しながら続けた。


「そうしたら、変なやつらに囲まれてしまって…」


「そりゃあ今、コントンがあんな観光地に来たら囲まれちゃいますよ」


「いやあ、深夜だったんで大丈夫だと思ったんですけどね」


「深夜にですか…」


「ええ」


「それって…」


 頭のなかに、あの日の夜のことが浮かんだ。


「はい」


「いえ…」


「言いかけてやめんといてくださいよ」


「これ言ったら気持ち悪いとか言われそうなんですけど…それ、6月くらいですか」


「…6月ですね、ストーカーですか?」


「ほら!」


「いや、冗談ですやん」


 屈託のない顔で笑う匠さん。長らくテレビは見ていないから、テレビの匠さんのことは正直よく知らないけれど、ラジオで他の芸人さんがコントンライダーのことを話すのを聞いていて、匠さんのことは射すような鋭い目で、どんな先輩にも畏れない気鋭の若手芸人さんを思い描いていた。


「匠さんって、もっと極悪非道な方かと思ってました」


「失礼やなあ…よう言われますけど」


 目の前でコロコロ変わる表情は、まるで少年のようにあどけなかった。思い返せばラジオでどんなに痛々しいファンの話をしても悪人に聞こえない、端々にどこか愛情のある話し方の匠さん。年下なのに時々とてつもなく大人に感じてしまう瞬間がある。そのあべこべな印象が胸の奥に小さく引っかかった。

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