第2話 遭難

 ハッピーエンドを見失ってしまった。


 私という駒の歩む人生は、どこをどう廻ったらハッピーエンドのマスに停まれるのだろうか。30歳を過ぎて、独身、恋人も好きな人すらいない。転職をしたときに覚悟はしていたけれど、週に1日の公休はあったり、なかったり。想像力のない年下の同僚たちとは会話が成り立たない。昔話が好きな上司は、自分の若い頃と私たちを比べてばかり。なんとか環境を変えようと、それぞれをそれとなくフォローし、それとなく思惑通りに誘導する言葉を探す。親でも、妻でも、家政婦でもないのに本当にご苦労なことだ。とは言え手応えもなく、顔には出さないまでも毎日イライラしながら仕事をして、せめて週に5日はと、終電に駆け込んで鮨詰めになることを堪えながらなんとか家に帰る。家はシャワーと眠るためだけの倉庫状態。生活できるぎりぎりのレベルで掃除をし、料理をする余裕がなく、食材をだめにしないために買い物をする量は減り、冷蔵庫の中にただあるのは週に1回まとめ買いする牛乳4本だけ。仕事のために世の中の新しいことを取り込まないといけないことは頭でわかりながら、テレビも映画も雑誌も手を伸ばす余裕がない。好きなことを仕事にしていることには違いない。不定期ながら幸福感はやってくる。でも、今は幸福感よりも仕事に追われている感覚の方が大きい。


「お前は偉いな」


 優しい言葉をかけて頭を撫でてくれるのはいつも現場で一緒になる他社の先輩方ばかりだ。下心のあるなしはこの際どうでもいい。かけられたその優しい言葉をお守りに、苦しくなると何度も頭の中で反芻する。仕事を辞めないのは、辞めても他に行くところがないからだ。大学を辞めてから、普通に生きるということへのコンプレックスは膨らみ続け、多少経験はつんだ今でも9時5時の、景色が変わらない仕事に就ける気がしない。能力がないならせめて人より時間を遣うしかない。そう自分に言い聞かせ続けて4年、同じビルで働く誰よりも抱えている仕事の本数は多い。かといってお金の不満がないわけではない。給料の手取りは最低賃金以下、アルバイトに精を出していた頃の半分だ。幸い仕事だけしかしていないから、生活費は最低限度。立て替えた経費が精算できればなんとかギリギリ生活ができている。


 今は正直、自分のことを考える余裕もない。生きているのか、いや、生きているのはわかっているにしても、なんのために生きているのか考えることが怖くてしかたがなかった。こんなことを言えば反論してくるもっとひどい状況の人はいるだろう。その人たちからすれば恵まれているこんな私でさえ、人はこうやって追い詰められるのかと、ふいに思ってしまうことがある。


 帰り道、耳を塞ぐイヤホンから深夜ラジオ。いつも笑わせてくれるパーソナリティーの声が、その日はなんだか苦しく聞こえて足が止まった。周囲は住宅街なのに人の気配もないほど静まり返り、灯りは街灯と、視線の先の満月だけ。私はあとどれくらいこの毎日を繰り返すのだろう。仕事ができることで有名な先輩の姿を思うと、10年後、20年後、今と変わらないかもしれない自分の姿にぞっとした。仕事をするとは、そういうことなのだろうか。終わらない毎日への違和感に気がついたのは、深夜2時を過ぎた頃。大好きなコーナーのタイトルコールが聞こえた。


 今、私は、笑えているだろうか。

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