したい
山本 海
「したい」
「うつくしいしたいがみたいな。」
木曜日の昼下がり、やや軽快なジャズが流れるカフェの一角で、僕と先輩はいつも会合を開く。始まりもわからないし終わりがあるのかすらもわからない会合は、先輩と出会ったときから続いているような気もする。なんの変哲も無いことを話しては、笑ったり、怒ったりする。そんなとき──会合が、僕はとても楽しかった。
今日もいつも通りだった。一週間の出来事を一通り話して、最近思うことを語らおうとしていたときだった。ぽつりと呟かれた先輩の言葉は、僕と先輩の間、より正確に言うと、ジンジャエールとエスプレッソの間に、収束した。だがそれはすぐに発散できるように振動している。まるで僕の心を見透かしているように、あるいは導いているように、昇華しないでいる。
熱く血が巡るのがわかる。声帯を震わせて声を発した。
「ちなみにしたいはししのうしろとからだだから。」
僕の声は空に消え、先輩の文章だけが残る。
しし、四肢。からだ、体。
肢体。
なぁんだ、肢体か。ホッとして息を吐く。
「紛らわしいこと言わないでくださいよ、先輩。」
「ごめんごめん。言った後に気づいたわ。」
僕の反応がおかしかったようでけらけらと笑う。笑ってる場合じゃないんですよ、ことの重大さに気付いてください。適当に話してるわけじゃないし、先輩にはきちんと自分の考えを示さないといけないと思っているんですから。僕の文句に先輩はまた腹を抱えた。
危なかった。
「僕も美しい死体が見たいです。」
最初の子音さえ消えた文章は、相当物騒であると思う。だがこの想いは日常の中で脳の半分を占めているのだ。
死体が見たい。
より限定すると、好きなひとが寝てるみたいに死んでいるのを見たい。
これが僕の、性癖である。
気付いたのは中学二年の頃だろうか。
そのときの僕の好きなひとはよく寝るひとだった。伏せられたまつげに曲げられた肘、閉じた唇。どきどきしたが、すぐにその熱は冷めた。なぜだろう。そのとき考えたがわからなかった。
それからそのひととの間に何の進展もなく中学校を卒業し、高校に入学した。ようやく自分の性癖に気付いたのは高一の三学期だった。そしてまた、ひとを好きになった。そのひとは誰に対してでも優しくて、人間的に「できて」いた。最初は恋愛対象としてみていたわけではなかった。
ただ、たまたま一緒に乗っていた電車の中で、達観したような目をしていたそのひとに惹かれた。まるで、これから起きる未来や最終的な終わりの死を知っているようだった。このひととなら、この性癖も変わるかもしれない。そんな希望を持った。
変わらなかったけれど。
その気持ちは段々と肥大していった。僕は死体が見たい。寝ているようで死んでいる、暖かそうで冷たい、呼吸をしていない人間であった何かを見たい。
そして身体に触れ、死を実感したい。これから腐ることのみを変化の過程とする僕の好きなひとを見ていたい。
あわよくば、一緒になりたい。
そのひとと繋がった最後の人になりたい。そのひとの最後を全て奪い去りたい。
最初が無理なのはわかっているから。
冷たい身体を僕に預けて、聞こえることのない嬌声を発し続けてほしい。
これが僕の願望だ。
「だからさ、やっぱり君が適任だと思うんだよね。」
額を人差し指で押される。先輩は僕が話を聞いていなかったことに気がついていなかったのだろう。びっくりしている僕を見て、呆れた顔をした。
「もう単刀直入に言おう。君の肢体を見せてくれない?」
このひとは何を言っているんだ。
「いやね、君の身体は理想的なんだよ。手足長くて、程よく筋肉がついてる。見る機会がないかずっとうかがってたけど、もう会って七年だし。そろそろ本性を出しても問題ないでしょ?」
本性。そうか。
「確かに問題ないですね。」
「お、君にしては物分かりがいいじゃん。」
先輩が立ち上がる。それにつられて僕も立ち上がる。
僕のジンジャーエールと先輩のエスプレッソがのったトレイを返し、自動ドアを抜けた。
湿っぽい熱気がエアコンの効いたカフェにいた僕たちを襲う。身体をゆっくりと咀嚼されているようだ。早くあのひんやりとした空気に包まれたい。
「そういや、見るってどこで見るんですか?」
「ンな野暮なこと聞くなよぉ。」
さてはて、着いたのはホテルだった。
「じゃあ脱いで。」
いつもの興奮した先輩よりずっとずっとぎらぎらした目が光る。僕のこと、心ではそう見ていたんだ。
「あの、先輩。脱ぐって、どこまで?」
僕もこれまでになくどきどきしている。これまでしたことのないことをするからだろうか。
「シモの下着までは脱がんでいい。」
シモとか真剣な顔して言うな。
先輩の指示に従って、「シモの下着」以外を脱いでいく。脱ぎきって先輩を見ると、すきなひとを偶然見つけて驚きと嬉しさが混ざった顔をしているヒロインみたいになっていた。
「…さいこー。」
「あの、写真は」
「わかってるよ。撮るわけないじゃん。現になにも持ってないし、てか君が全部取ったじゃん。」
「隠してるかもしれないじゃないですか。」
「信用ないなぁ。」
恍惚とした顔で近づいてくる。
「触っていい?」
「見たいって言ったの、どこの誰ですか。」
「見るだけなんて言ってないからノーカンノーカン。」
ぺたり。ぺたり。生暖かい手が僕を触る。
「先輩?」
「なに?」
「僕も、お願いしていいですか?」
「いいよ。」
「なんでも?」
「その覚悟ができてんだからここいんだよ。」
じゃあ。
僕の大好きな先輩。僕だけのものになって。
その誰にでも向ける笑顔を最後に向けるのは僕で、体を預けるのも僕が最後。
最初は、一個だけ奪う。その他は全部最後だろうから、いいよね。
先輩の「死」ください。
『────夜のニュースをお伝えします。東京、鶯谷にあるホテルで、20代─性の遺体が発見されました。ホテルの従業員によると、チェックアウトの電話にも応じず時間が大幅にすぎていたため様子を見に行ったところ、被害者に容疑者が覆い被さるように寝ていたとのこと。このとき既に被害者は亡くなっていたと思われます。捜査関係者からの話によると、容疑者は「きちんと許可はもらって殺した」「そう聞かれると思ったからきちんと録音しておいた」と供述していたものの、録音音声からは悲鳴のような叫び声しか聞こえない、とのことです。次のニュースです────』
「怖いですね、先輩。」
「結局許可を取ってないなんて。それはただの人殺しじゃん。」
「それはそうと、僕らの愛の巣窟が人でごった返してますよ。先輩。」
「なんででしょうね。」
したい 山本 海 @in-your-body
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