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「ダン!!」

 かなり遠方から声を掛けられたのは、厳重に防寒されたメイラがグレイスの手を掴んで商船への送迎ボートに乗り込む寸前だった。

 先に乗り込んでいたスカーがマントの内側にそっと手を突っ込む。

 桟橋で後ろからメイラを支えていたダンが、とっさにその巨躯で彼女を隠すように身体の向きを変えた。

「おや、テラちゃんだ」

 港のずいぶんと離れた場所で手を振っている豆粒ほどの人の顔など、メイラには判別できない。

しかしさすがは船乗り、目を眇める様子もなく遠くのその人物がわかったようで、警戒する二人に気づかない様子でこちらも大きく手を振り返した。

 突堤の入り口に立つその人物は、どうやら女性のようだった。

 長いスカートを捲るようにして両手に持ち、ものすごいスピードで走ってくる。

「……っ」

 テトラ、テトラだ!!

 思わずその名前を呼びそうになったところで、ダンがメイラの肘に触れた手に力を込めた。

「可愛い顔した子なのに、相変わらずお転婆だねぇ」

 いえ、そもそも女装した男子です。

 真正直に心に過った突っ込みを飲み込み、突進してくる街娘姿のテトラを万感の思いで迎えた。

 脹脛が見えるほどにドレスを捲り、街中を全速力で走るなど、今どき幼女でもしないだろうはしたなさだが、そんなことをしても美女にしか見えないのが凄い。

「メルベル!!」

 ものすごい形相で走り寄ってきたテトラが、はあはあと肩を上下させながら涙ぐんだ顔でメイラに飛びついた。

「……おい!」

「ひどいわ、ダン!! 身体の弱いメルベルを今の時期に海にだなんて」

「いや、それよりもお前その格好は」

 テトラが男性だと知っているダンは、メイラに縋りつく『スレンダー美女』を引き離そうとした。

 それを誤魔化すために、服装を指摘したのは間違いではない。何しろ彼女は、外出用のかっちりとしたワンピースドレスを身に着けていたからだ。

 コートの前のボタンは全開になっていて、その下から見えるのは一般的な商家の娘が例えば隣町まで出かける際に着るような旅装だ。

「もちろん私も行くわよ!!」

 メイラから引き離されまいとぎゅうぎゅうと腕に力を込める。

 涙目に上気させた頬……特に体格のいいグレイスがそばに居るだけに、傍目には少し気が強い女性に見えるのだろう。

 密着しているメイラには、女性にしては硬い身体だとわかるが、外見だけなら至近距離で見ていても性差が曖昧だ。

「そんな、急には無理だろう。金もかかるし」

「大丈夫!!」

 テトラは芝居だとは到底思えない仕草で息を整え、メイラを抱きしめたままダンを見上げた。

「マローからお小遣いをもらってきたから」

 すでにボートへの渡しの上に立っているグレイスには見えないだろう。

 しかし、抱き着かれているメイラには、彼のその目が鋭くダンを睨むのがわかった。

「皆心配しているし、怒ってる」

 その『皆』という部分にかけられたプレッシャーに、ダンは顔をしかめ、メイラは身震いした。

「ち、違うのよ。わたしがお願いしたのよ」

 やはり国を出ようだなどと、安易に認められるわけがないのだ。特に、メイラの身の安全を陛下に託された者たちにとっては。

「どうしても、行かなくてはいけないの」

 しかし譲れないものもある。メイラが静かな決意を込めてそういうと、テトラはじっと彼女を見下ろしてから長い溜息をついた。

「……わかってるわよ」

「心配かけてごめんなさい」

「本当にね」

 長い指が、帽子の端から零れたメイラの髪を撫でた。

 やはり男性には到底見えない、美しく整えられた指だ。

 しかし、頬に触れた指先は硬く、武器を使う者なのだとわかる。

「……というわけだから、もう一人いいかしら?」

「こっちとしてはたいした手間もないから構わないよ。水も食料も余力があるしね」

 不安定な踏板の上で話が終わるのを待っていたグレイスが、一段上の高さに立っているのに同じ目線のテトラに笑いかけた。

「久しぶりだねぇ。商家で手伝いしてるって聞いてたけど」

「ええまあ」

「今夜久々に一杯どうだい?」

「船では晩酌しないんじゃなかったの?」

「冬は身体が冷えるからね」

 メイラは、その時グレイスが浮かべた表情にぎょっとした。

 まるで、大きな動物が好物を前に舌なめずりをしているかのような顔つきだったのだ。

 そんな彼女から目を逸らし、もう一度テトラを見上げる。伏せられた彼の目が、思案気にグレイスを見ている。

 な、なんだろうこの雰囲気は。普通の男女であれば、気があるそぶりだと見えなくもないのだが。

 片方が女装した男子、片方が男にも見える女性……頭が混乱してきた。

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