5

 幌越しにダンが声を掛けてきたのは、延々と続く沈黙に耐えかねて、泣きが入る寸前だった。

 詰めていた息を勢いよく吐いたメイラを見て、幌をめくったダンが鋭い視線を荷台の奥へと向ける。スカーが何かやらかしたと思ったのだろう。

「ちがうわよ、おとうさん」

 メイラは何事もなかったかのように笑みを浮かべ、ダンに設定を思い出させた。

「今日は寒いわね」

 その顔に過った狼狽に、もちろん気づかない振りをする。

「海の上はもっと冷えるんでしょう?」

 久々に使う街言葉は、主に平民の間で使われる砕けた喋り方だ。文章に起こせば細かい綴りが違い、実際に発音も微妙に違う。

 修道院で預かる子供たちには、それらの違いを教養の一環として教えている。いずれ商家や貴族の養子、あるいは使用人として働くにも困らないようにという配慮からだ。

「ああ、たくさん着こむといい」

 ダンは咳払いをしてから、荷台の上のメイラへと手を差し伸べた。

 職務柄身分を偽る事など慣れているはずなのに、仮初の父親としての態度がぎこちなさ過ぎる。

「あまり身体が丈夫じゃないんだ。温かくしないと」

 大根役者もかくやの棒読みの台詞に、どう突っ込みを入れようかと思案していると、冬用のマントの上から分厚いブランケットをかぶせられ、それごと抱きかけられて降ろされた。

「ここは冷える。早く船に移ろう」 

「……へぇ、ダンカン・ヘイズの意外なる一面だね!!」

 メイラの足が石畳の地面につく寸前、ダンの背後から威勢のいい女の声がした。

「あんたはきっと独り者で、そのうちマローといい仲になるんじゃないかとおもってたんだけどね!」

 マローの名前を聞いて、どきりと心臓の鼓動が大きくなった。

 忘れていたわけではない。しかし、無事を確認するのが怖くて、ずっと聞けなかったのだ。

 よろめきそうになったのを、ダンの腕が支えてくれた。

「あいつは所用で遅れているが、そのうち追いつく」

「なんだい、つまらない。からかってやろうと思ってたのに」

 ダンの言葉が本当ならばどんなにいいだろう。

 メイラは、彼女たちの無事を確かめようとしなかった己の覚悟の足りなさに奥歯を噛み締めた。

 知己らしき二人が、スカーの故郷までの船旅について相談している。……主に、船旅中の防寒や飲食についてだ。

 彼女の好奇の目を遮ってくれているダンの巨躯の影で、メイラはなんとか平静を取り戻そうとした。

 しばらく呼吸を整えてから、きゅっとそのマントの背中を引っ張る。

「おとうさん、この方は?」

「メルベル、彼女はグレイス。今回の旅に同行してくれる」

「同行?」

「野郎ばっかりの船にあんたみたいなかわいい子を乗せたら、どんな間違いが起こるかしれない。あたしの船を選んで正解だよ」

 メイラは改めてまじまじと、マロー並みに体格の良いその女性を見上げた。

 最初冒険者だと思ったのは、見るからに鍛えられた肉体の持ち主だからだ。しかし、日焼けした肌と潮風で痛んだ髪は、典型的な船乗りの特徴だった。

「商船の方ですか?」

「そう! チャーリーソン商会のグレイスだよ。よろしくね」

 思いのほか大手の商会の名前が出てきて、メイラは目を見開いた。ぬっと差し出された手におずおずと掌を重ねると、力強く握り返される。意外なほどその手は温かく、強すぎない力が安心感をもたらしてくれた。

「いやあ! 本当にかわいい子だねぇ」

 グレイスはこんがりと日焼けした顔に眩しいほどの満面の笑みを浮かべた。

「父親に似なくてよかったね」

 褐色の肌に、褪せた赤毛。きらきらと輝く双眸は鮮やかに青い。

 グレイスはここよりずっと西方の大陸人の特徴を備え、エキゾチックな顔立ちと骨太の体格をしている。どちらかというとスレンダーで、短髪だということもあり、喋らなければ男性だと間違える人も多そうだ。

「乱暴に触るな」

 憲兵隊員というよりも生粋の冒険者といった風のダンが、フレンドリーにメイラの肩を叩こうとしたグレイスの腕を振り払った。

「母親に似て繊細な子なんだ」

「なんだい、ずいぶんとまた過保護じゃないか」

 気を悪くした様子もなく、なお一層楽し気に青い目をきらめかせたグレイスに、メイラの中にあったいくばくかの警戒心がようやくほぐれてくる。

「父がすいません。ご迷惑をおかけします」

「……いい子じゃないか! 今度一緒に食事でもどうだい? デザートにおいしいケーキが出る店があるんだが」

「おい! うちの娘に余計なちょっかいを掛けないでくれ」

「女同士なんだから構わないじゃないか。過保護を通り越して過干渉じゃないの? オトウサン」

「……なんだと?」

 明らかにグレイスは揶揄っているだけだが、ダンのほうは額に血管を浮かせている。

 こんなところで騒ぎを起こすのはまずい。

 メイラはもう一度、ダンのマントの背中部分を掴んで引っ張った。

「お気遣いありがとうございます。お食事、機会があったら是非。……おとうさんも、これからお世話になる方に喧嘩を売らないで!」

「はっは!」

 引っ張られてこちらを振り返り、困った様子で眦を下げるダンを見て、グレイスが呵々と笑う。

「形無しだねぇ。あのダンカン・ヘイズがねぇ!!」

「……黙れ」

「愛娘に頭が上がらないって?」

「おとうさん!」

 引っ張っていたマントごと、ぐいと前にもっていかれそうになって、慌てて握り直した。

「父がすいません。本当にすいません」

 かえってその低頭ぶりが良かったのかもしれない。それなりに人目のある場所だったのだが、身元を勘繰られるような視線は感じなかった。

「そっちが使用人かい? おいおいオトウサン。年頃の娘に男の使用人をつけるってどういう了見だよ」

 続いて荷台から降りてきたスカーを見て、グレイスが顔を顰めた。

「そいつは前に報酬品で押し付けられた奴隷だ。主人には逆らえん」

「はぁ? 最近の冒険者ってのは報酬に奴隷をもらうのかい?」

 メイラは、困惑の表情を隠しきれずに、足元で膝を折って控えるスカーを見下ろした。

「解放してやろうと言ったんだが、本人が嫌がる。ちなみに役所には届けてある」

「……へぇ」

 確かに、それ以外の説明はしにくい。

 平民の娘であっても、裕福な家庭であれば多くの使用人を抱えているものだが、さすがに年頃の娘には同性の付き人をつける。

 奴隷という設定は苦渋の選択だ。スカーが態度を改めないので、これ以外の設定は思いつかなかった。疑いの目を向けられるのは覚悟の上だ。

 隠密行動が得意なようなので、影共にしようとはじめは考えていたのだが、いくら親子を装っていても、男とふたりきりの旅路はさすがにまずい。

 結局、開放を拒む奴隷というコアな役割を無理やりに作った。この、屈辱的な扱いも本人的にはたいした問題ではないらしく、首を一度上下に振って了承した。

 メイラの言葉には一切否を言わないその態度が、ものすごく不安だ。

「そうだねぇ、あたしがもし奴隷落ちしたとしても、お嬢ちゃんみたいな優しい子に御主人になってほしいと思うだろうね」

 メイラの足元にうずくまりじっと彼女を見上げているスカーの姿に、何故かものすごく納得した様子のグレイス。

「それでも男はまずいよ。お嬢さんはそろそろお年頃なんだから、縁談にも障るだろう?」

「……いや、それは」

「まあ、可愛い娘を他所の男にやりたくないって気持ちもよくわかるけどね!」

 複雑な表情をしたダンの肩を、グレイスは豪快にバンバンと叩いた。

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