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 父は何とも気まずいこの状況を見るなり、何を思ったのか顔を顰めた。

 メイラにもわかるほどの怒気をスカーに向け、付いてきていた異母兄ロバートに視線を向ける。

 今日もまた武骨で質素な竜騎士の身なりをした異母兄は、おとなしく床の上で転がっているスカーに近づき、ぐいとその黒い髪を掴んだ。

「春でもないのに虫が多すぎる」

 縁遠いメイラにもわかるほど、異母兄の顔色は悪く、疲労がたまっているように見える。

「駆除する方の身にもなってくれ」

 ぶつぶつと呟く様子から見るに、メイラのことでいろいろと迷惑をかけてしまっているのだろう。

「その者はメルシェイラの知人のようだ」

 陛下の言葉に、異母兄はますます顔を顰める。

「例の、昔の恋人云々とかいう……」

「違うそうだ」

 メイラが異母兄のことろあまりよく知らないように、異母兄もメイラのことをほとんど何も知らないだろう。いやむしろ、良くない噂ばかりを耳にしているはずだ。

 陛下がそっとメイラの頬を撫でる。

 今更心無い噂などどうということはないが、そのせいで色々と誤解を受けていると思えば悲しくもなる。

 慮ってくれる陛下に、大丈夫だと微笑みを返し、その温かな手をそっと握った。

「どこぞの慮外者がまたそぞろ浅知恵を働かせたのだろう」

「わかりました。死なない程度に情報を引き出すのであれば、そちらの女官殿にお任せした方がよろしいでしょうか。異端審議官の手に渡れば、また細切れにされ……」

「ロバート・ハーデス翼竜将軍」

 ルシエラが極めてまっとうそうな口調で異母兄の名前を呼んだので、続く言葉は聞こえなかったが……ものすごく物騒なことを聞いた気がする。

「そちらの男は引き取ります」

 異母兄は頷き、掴んでいた髪を離した。

 ドゴンと痛そうな音とともに、スカーが後頭部を床にぶつける。

 スカーはうめき声ひとつあげない。生きているのか心配になるほどだ。

 黒い湖の夢に関わることなので、できれば猊下にお話しておきたいのだが、異端審議官とやらの手に渡すのは良くない気がする。

「スカー。あなたが何者で、どういう理由でわたくしのところへ潜んできたのか聞かせてください」

 これまでどんなに締め上げられようが、切っ先を急所に突き付けられようが、身動きどころか息すら乱さなかったスカーが、メルシェイラのその言葉を聞くなり急に息を吹き返したかのように顔をこちらに向けた。

 人形がいきなり動き出したかのような、正直恐怖すら抱かせる唐突さだった。

 メイラは呼吸を整え、すでにもう激しく脈打っている胸を片手で押さえる。

「あなたは……生贄にされそうになっていた子で間違いないわね?」

「はい、夜の乙女」

 厳密な意味ではまだ乙女だが、そう呼ばれるにはいろいろと障りがあるメイラの頬が軽くひきつった。

 数呼吸あけて気を取り直し、質問を続ける。

「あれは夢ではなかったの? 現実にあったことなの?」

「はい、夜の乙女」

 お願いだから、乙女乙女と連呼しないで欲しい。

「ではどうしてあなたは大人なの? どうしてわたくしのところへ潜んできたの?」

 未だ抜身の剣に囲まれたまま、スカーは恐れることなく身体を起こした。

 すかさず切っ先をねじ込もうとした騎士たちを制したのは、ルシエラだ。

 近衛騎士を制止するなど、あなた何者。思わず入れそうになった突っ込みは、さすがに空気を読んで飲み込んだ。

 ルシエラが何者なのかなど、わかりきったことではないか。

 ルシエラは、ルシエラ様だ。それ以外に言いようがない。

 スカーは騎士たちの警戒などものともせず、その場できっちりと起坐の姿勢を取って両手を床についた。

「乙女の御業は神の領域につき、下賤なしもべ程度では到底理解できるものではございません」

 ……しもべ? 犬に並んで聞きたくない言葉だ。

「貴女様は夢とお思いなのかもしれませんが、しもべにとっても夢のような出来事でございました。ですが、二十年前に確かに貴女様のご慈悲を賜り、しもべは生きていく赦しを得ました」

 この男、一人称が「しもべ」なの?

「長年夜の乙女を探してまいりましたが、よもやしもべよりもお若い方だとは思ってもおりませんでした。生業の為に貴女様の身辺を伺っておりましたところ、垣間見えたご尊顔にまさかと……」

 メイラは息が詰まって呼吸ができないような錯覚に陥りながら、必死で平常心を保とうとした。

 しもべってもしかして、メイラのしもべという意味か? 

「どうしても、確かめずには居られなかったのです」

 犬以上にいらない。

 絶対にいらない。

「ですが……ああ、長年の願いが叶いました。もう思い残すことはございません」

 スカーの声には独特の癖があった。おそらくは、他大陸の出身なのだろう。

 彼が長い間メイラを探していたのだと聞かされると、さすがに少々申し訳ない気もするが、そもそも夢の中で気ままに振るまっただけなのだ。神の御業というのも、メイラのものというより、おそらくダリウス神の気まぐれだろう。

 同じ巻き込まれた者として、メイラごときを見つけて思い残すことはないなどと、さすがに気が咎める。

「……ルシエラ」

「はい、御方さま」

「この者はあなたに預けます。聞き出すべきことを聞き出して、そのあとは好きにさせてあげて」

 できれば、故郷に帰ってくれるとありがたいのだが。

 ぱっと顔を上げたスカーの黒い目が、メイラを見て即座に伏せられる。

「多分、素直に話してくれると思うの。……そうよね? スカー」

「はい、夜の乙女」

 この男、ずっと乙女と呼ぶつもりだろうか。

 何と言ってやめさせようかと言葉を探していると、ルシエラがすかさずスカーを足で蹴飛ばした。行儀が悪いな。

「御方さまとお呼びしなさい」

 そうやって即座にメイラの意図を汲むあたり、ルシエラは他人の心の機微に鈍感なわけではない。

 ただ、その事について慮ろうとしないだけだ。

「御方さまの犬ならば、それなりの身の処し方を心得なさい。御方さまは乙女と呼ばれるのがお恥ずかしいようです」

 間違ってはいない。いないのだが……なんでも直球で口にするのはどうかと思う。

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