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父たちがここに来たのは、謝罪と、陛下の帰城への相談だった。
謝罪の方は、昨日のありえない出来事についてだ。
父たちの方で噂の出どころを調べたらしく、やはり、父の第二正室の派閥だったそうだ。もともとはこんな騒ぎになる予定ではなく、美しいリリアーナ嬢であれば陛下の御目に留まると算段していたらしい。メイラに代わって彼女が妃になれば、あわよくば将来の皇帝の外戚だ。
それがどうしてこれだけの騒動になってしまったのかはいまだ調査中だというが、陛下が多くの妃を後宮に抱えているというのは有名な話なので、誰も疑問視せず噂だけが大きくなり、しかもそれを信じ込むお嬢さん方が大量にいたという事なのだろう。
父は第二正室と離縁した。夜会でぺちゃくちゃとお喋りをしていた、あの年齢不詳の美魔女だ。
継嗣の生母は療養中で表に出てこない第一正室だが、その長男リオネル公子を産んだのはたしか第二正室の従妹か姪だったと思う。
二番目の異母兄の生母が今回離縁した第二正室で、つまりはハーデス公爵家で現在最大の姻族派閥が消滅したということになる。
メイラは、長年連れ添ってきた妻のひとりを切り捨てざるを得なかった父の表情を伺った。
いつも通りの不機嫌そうな悪人面は、いつもとと同じようにものすごく怒っているように見える。
複数の妻を抱えている父の気持ちなど計りようがないが、辛くないはずはないだろう。
しかし、メイラに言えることは何もなかった。
「旅程は五日。夜間に翼竜を下ろし休める広い場所が近くにあり、陛下がお泊りになる為の館がある街をピックアップしておきました」
すっと事務的にテーブルの上に書類を置いた三番目の異母兄を見て、母親は誰だったかと記憶をたどるが……聞いた覚えがない。
陛下は無言で書類を受け取り、パラパラとめくった。二言三言質問し、あとは任せたと頷く。
陛下が出立の時刻に選んだのは二日後の早朝。異母兄とその大隊は護衛のために同行するのだそうだ。
メイラは、己の表情が強張らないようにするだけで精一杯だった。
ともにあれる時間のあまりの短さに、ぎゅうと胸が締まる。
スカーの事があったので、化粧はまだしておらず、どんなに努力しても顔色が悪いのは隠せていないだろう。
「メルシェイラ?」
父と異母兄の前で夫の膝の上という訳にもいかず、渋るのを宥めて隣に座っていたのだが、真正面にいる父たちより先に陛下がメイラのその異変に気付いた。
「気分が優れないなら横になれ」
「……いえ、大丈夫です」
ポンと太腿を叩く仕草は、まさかそこに頭を乗せろと?
いわゆる膝枕をして頂くには、陛下の脚はいささか高い。……いやそれ以前の問題で、父や異母兄の前でそんな真似はできない。
にっこりと笑顔を浮かべ、打ち合わせを続けてください、と言おうとしたのだが、それより先にバン!とありえない勢いでドアが開いた。
陛下がいることはわかっているはずなのに、まるで蹴破るような勢いだった。
「失礼いたします」
飛び込んできたその姿を見るなり、メイラの顔から更に一層血の気が引いた。
確かにルシエラは色々と問題を起こしてくれるが、最低限の礼儀はわきまえている。
そんな彼女がノックもしないほどに慌てているのは、きっと何かまた良くないことが起こったからだ。
陛下の腕が、メイラの腰に回された。
まさか彼女に任せたスカーが何かしたのだろうか。逃亡した? ……いや、仮にそうであったとしても、ルシエラがこれほどに慌てる理由にはならない。
「……なにがあった、マイン一等女官」
「取り急ぎ、ご報告いたします。スカーが雇われていたのはブロウネ共和国。旗印はガリオン皇子殿下。今頃簒奪の為の軍が帝都を囲んでいるとのことです」
勢いよく父と異母兄が向いのソファーから立ち上がった。
「昨夜の騒動も、あわよくば陛下を混乱に紛れて暗殺しようと狙ったものらしく、少なくとも五名の暗殺者が紛れていたようです」
今度は、控えていた近衛騎士たちが息を飲み帯剣をすぐに抜けるよう身構える。
「……なるほど」
当事者たる陛下は、総員血の気の失せた顔でいる中、普段通りの表情だった。
……いや、少し笑っているように見えたのは気のせいだろうか。
「メルシェイラ。ともに帝都まで戻ろうと思っていたのだが、そうもいっていられなくなった」
「陛下」
「……久々に戦場に呼ばれたようだ」
まさか翼竜の旅がメイラを同行させる予定だったとは思わなかった。そのことで驚くよりも、陛下が出陣するつもりでいるのに気づき、別の衝撃で身体が震えはじめる。
「公、後方支援の総括を任せる。帝都がそう簡単に落ちるとは思わぬが、万が一ということもある。伝達と補給の確保を早急にせよ。背後からの奇襲にも十分な注意を。私は転移門を使って前線へ行く。ロバート、翼竜師団に戻り総攻撃の体勢を取れ」
「御意」
ぴったり重なった声で返答した似ていない親子に頷き返してから、陛下は仁王立ちになった一等女官の方を向いた。
「ルシエラ・マイン」
「はい」
「権限はそなたにすべて預ける。メルシェイラの身の安全に全力を尽くせ」
「かしこまりました」
さすがに肩幅に開いていた足を閉じ、恭しく頭を下げたルシエラに、陛下は再び小さく頷く。
「メルシェイラ」
まだ二日あると思っていた。
短いが、その時間を大切にしようと考えていた。
「泣くな。……そなたの夫を信じよ」
「はい……はい」
戦いに出向く夫に、泣き顔など見せてはいけない。
そうわかっていても、二日どころかすぐにも別れが来るのだと理解できてしまえば、頬が濡れるのを止めることが出来ない。
血塗られた戦場に向かう愛する人を、向後の憂いがないように笑顔で送り出すべきなのに。
武運を祈り、帰りを信じて待つと答えるべきなのに。
「……もう行かれますか?」
「そうだな」
「御武運を」
陛下の両手が、そっとメイラの頬をつつんだ。
落ちてきた口づけは、涙の塩辛い味がした。
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