7
離宮のエントランスに入ったところに、見覚えのある男女が控えていた。
二人はそろって真っ青な顔をして、同じように小刻みに震えている。
ああ、だからこそ伯爵夫人はティーナを目の敵にしているのか。
メイラは二人を並べて見て初めて、事情を知らなければ誰もが誤解してしまうだろうと納得した。
血のつながりはないはずなのに、ふたりはどう見ても兄妹なのだ。表情だけではなく、容姿までも似ている気がする。
夫人がティーナを、夫が外で作った子供だと信じ込んでも無理はなかった。
「ティーナ! 無事だったのね」
どういう落としどころになっているのかはわからないが、彼女を無事にあそこから連れ出せたことに安堵した。
「……はっ、はい!」
ギルドで伯爵夫人に叱責されていた時よりも顔色が悪いのは、きっとこの寒さのせいだろう。
メイラは氷のように冷たくなっている彼女の手をぎゅっと握った。
「これからの事は、後で話し合いましょう。大丈夫よ。力になるわ」
まるで生まれたての仔馬のように震えている彼女を見ていると、なんとかして力になってあげたいと思う。
たとえば最終的に修道女になるとしても、メイラには猊下という超強力な縁故がある。鄙びて厳しい監獄のようなところではなく、比較的緩く安全な修道院をセレクトできる。
もし神の僕への道を選ばなくても、今よりは心の休まる環境で暮らせるようにしてあげよう。
要するにメイラは長女気質で、年下の守ってあげなくてはならない存在にめっぽう弱いのだ。
陛下の手が、メイラの腰に触れた。
子供相手でも飛び上って怒るほどそこに触れられるのが苦手だったが、最近なんだか慣れてきた気がする。
振り返り、見上げると、ティーナの義兄を含め華奢で小柄な三人とはまるで違う、頑丈な太い骨と硬い筋肉をお持ちの陛下が微笑み返してくれる。
「ここは冷える。話は後で」
その巨躯に見合った低い声に、じんわりと頬に熱が灯った。
す、素敵な声だと思ってもいいではないか!! 夫なのだから。
同じ人間でも違う鋳型で作られたとしか思えない陛下のお言葉に、伯爵家の兄妹も顕著な反応を見せた。
身分上陛下からの許可がなければ口を開くことも許されないが、今にもその場で膝をつき延々と謝罪の言葉を垂れ流しそうな表情になっている。
青ざめた二人をなんとか安心させようと言葉を選んでいるうちに、抱き上げられはしなかったが、ひょいと腰を掴まれて移動させられた。
たしかにエントランスに暖房設備はない。いつから待たせてしまったのかわからないが、丈夫そうには見えない義兄妹をこれ以上ここに居させるのは酷だろう。
「彼らに部屋を用意してやれ。温かい食事もな」
凍り付いたように礼を取り続けていた二人が、陛下が背中を向けるとあからさますぎるほどの安堵の表情を浮かべた。
ああ、陛下の御前だから緊張していたのか。
半ば強引に移動させられながら、努めてにこやかな表情を作って手を振る。
陛下はお優しい方だから大丈夫。
ふたりになんとかそれを伝えたかったが、あっという間に扉に遮られ見えなくなってしまった。
「……ああいういかにも貴公子という男が好みか?」
「はい?」
自力で歩いているというよりも、運ばれているとしか言えない状況だったので、密着している陛下の声をしっかりと聞き取れなかった。
「そういえば、ネメシスにも好意的な目を向けていたな」
「ネメシス閣下が何か?」
その名前を聞けば警戒してしまうのも仕方がないと思う。
「あの男はあれで愛妻家だぞ。頑として奥方を外に出そうとはしないが」
「……?」
どうして閣下の奥方の話になっているのか理解できずに、首を傾ける。
陛下は太い溜息を付き、広めの廊下の真ん中で立ち止まった。
「……ハロルドさま?」
「いや、済まない。なんでもない」
再び歩き始めた陛下の左右で、普段は無表情な近衛騎士たちが微妙な顔をしているのに気づいた。
何なのだろう。
やがて少し離れた位置にある両開きのドアが静かに開く。煌々とあかりをともされ、モスグリーンを主調とした内装の部屋が出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、陛下、御方さま」
メイラのメイドたちと陛下の侍従たちが、左右に分かれて一列に並び、一糸乱れぬ息の合った挨拶をした。
「外はお寒かったでしょう。湯殿の用意をしております」
ユリがメイラのコートを、男性侍従が陛下の黒いマントを脱がせる。
「先にお食事になさいますか?」
その男性侍従が尋ねたのは陛下にだと思っていたので、何故かメイラの方を見ていた彼としばらくじっと見つめ合ってしまった。
背後から、分厚く大きな手が視界を塞ぐ。
「……あの兄妹にも何か運んでやれ」
「はい、陛下」
視界が塞がれて見えないが、侍従が小さく笑い、陛下が憮然としているのが伝わってきた。
何か失礼な事でもしてしまったのだろうか?
淑女生活の短いメイラは、何が侍従を笑わせ、何が陛下に不興だったのかわからず不安になる。
しかし塞がれていた手が外され、そのままスルリと頬を撫でられて……。見上げた顔はとても優しく、どうやら怒っているわけではなさそうだ。
「失礼いたします、陛下、御方さま」
恥を忍んで何が問題だったのか聞こうと思ったところで、ルシエラの淡々とした声がした。
「お留守中のことでご報告があります」
むしろ、貴女が何をやっているのか事細かに報告して……いや、やっぱりそれはナシ。
陛下が居なければルシエラを叱責し、問い詰め、結果余計なことを知ってしまったかもしれない。危なかった。
「それはいま必要な事か? メルシェイラは疲れている」
「別に後でも構いませんが、本日中にお話しておくべきかと」
「では後で」
「食事中に出来るような話ではございませんので、お邪魔だとは思いますが、お休みの前にお伺いします。お邪魔だとは思いますが」
何故同じことを二回言った。
ルシエラにしては珍しいダメ押しの台詞に顔を顰めそうになったところで、その背後の二等女官のマロニアが必死で無表情を保っていることに気づいた。しかしその耳たぶが真っ赤で、よくよく見ようとすれば視線を逸らされる。
「……話せ」
しばらく二人は睨み合って、やがて折れたのはなんと陛下のほうだった。
ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえそうなルシエラの表情に、陛下を怒らせてしまうのではないかと心配になったが、忌々しそうな表情ではあるが黙って話を聞く体勢に入っている。
とっさに、ろくでもなさそうなルシエラの話など聞きたくないと思った。
しかし逃げ出す算段をつける前に、商家のお嬢さん風のワンピース姿のまま抱え上げられ、最寄りのソファーへと運ばれた。
そして、問答無用に夫の膝の上へ。
部屋にはメイド、侍従、近衛騎士らの少なく見積もっても十人以上の人間がいるが、もちろん誰もその事について触れない。
その状態で聞かされた話は、本能が感じ取った通りに腹立たしく、胸が痛く、ろくでもないものだった。
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