6
離宮に戻ったのは、日が傾き夕暮れに差し掛かる時刻だった。
昼からずっと散策し、初めての夫婦らしい午後を過ごせたが、その間ずっと邪魔者が追いかけてくるのには参った。
箱入りのお嬢様方にしてはなりふり構わぬ攻勢で、押せ押せのそのパワーは恐ろしいほどだ。
確かにメイラは平凡顔の元平民だが、ハーデス公爵家の認知された娘であり、一応は陛下の妻なのだ。いくら簡単に排除できそうとはいえ、夫婦で寄り添っている最中にここまで遠慮なく迫ってくるなど正気を疑う。
護衛が遠ざけてくれていたので、直接言葉を交わすほどの接触は一度もなかったが、行く先々で
派手なドレス姿のお嬢さん方と出くわし、そのたびに陛下の機嫌がどんどんと悪くなっていく。
無理もない。こうやって半日一緒に行動していると、身につまされてそのご苦労がよくわかる。
メイラが陛下の立場だったら、半日もかからず立派な女嫌いになっていただろう。
そろそろ離宮に着くかと馬車の外を見た瞬間に、陛下の顔がまたもうんざりと顰められた。
その手が視界を塞ぐようにカーテンを引いたが、ちらりと見えた派手な色合いは若いお嬢さん方のドレスだろう。
ここまで来ると、厄介を通り越して迷惑、むしろ陛下の心証を悪くしているのに彼女たちは気づかないのだろうか。
「あの! 陛下!!」
馬車の外から聞こえる可愛らしく弾む声の主は、きっとメイラよりも美しく育ちの良い血統書付きの淑女のはずなのだが。
「わたくしは!」
「陛下! どうかわたくしと!」
門が開くまで一時停止した馬車の外が、一気に騒がしくなった。
きゃあきゃあと甲高い声で騒ぐ様は、若い女性らしくはあるのだが、淑女としてはちょっとどうなのだろう。
「陛下の行く手を遮るなど許されません。お下がりください」
「そんな、騎士様。わたくしたちは陛下と」
「お下がりください」
複数の騎士たちがやんわりと諫める声が聞こえる。
しかし、我を通すことに慣れたお嬢様方は引こうとしない。
直接見えていないので状況は定かではないが、そこかしこからかみ合わない問答が聞こえてきて、理不尽にまくしたてられている騎士たちが気の毒になってくるほどだ。
重い音を立てて門が開き、ようやく敷地内に入れるのかと思っていると、あろうことか一部のお嬢様方が馬車の進路を遮るという暴挙に出た。
集団の力は強い。一人ではとてもできないことをやすやすとやってのけ、しかも己の非などまったく考えもしない。
騎士たちの制止を振り切り更に馬車に近づいてきて、状況が状況でなければ憐れを誘う声色で陛下をお呼びするのだ。
傍らで、深い溜息が聞こえた。
見上げると、陛下の眉間の皺がものすごい事になっている。
メイラは思わず手を伸ばし、その深い皺を伸ばすように指で撫でた。
「……すまぬ」
「まあ、すまぬなどとおっしゃらないで下さい」
ふと、初めて召された夜にひどく疲れて見えたことを思い出す。
励ますように微笑みかけると、皺を撫でていた手をそっと握られた。
「大元の見当はついている。明日には残らず追い払うからどうか許してくれ」
「許すなどと……大元ですか?」
謝罪されるようなことではないと首を振ろうとして、陛下の苦々し気な表情に言葉を詰まらせる。
「ネメシスだ」
とっさには理解できなかった。どうしてここであの恐ろしい憲兵師団長閣下の名前が出てくるのだと首を傾げ、まじまじと夫の顔を見上げる。
「噂をばら撒いたのだと思う。私がまた後宮に妃を増やす心づもりでいると」
「……まあ」
「もちろんそんなつもりは全くない。むしろ減らしてほしいほどだ」
夫に己以外の妻がいる事など今更だが、増えると聞けばいい気はしない。しかし、眉間の子の深い皺を見るに、本音は言葉通りなのだろう。
「あいつは常に策略を巡らせていなければ落ち着けない気質なのだ。そなたを守るために万全の体制を敷けと命じたのに、どうしてこうなるのか」
そっぽを向いた顔でブツブツと呟く様を見るに、こういうことが初めてではないのがわかる。
陛下に対してそのような行為が許されるのかと怒りすら覚えたが、ふとルシエラの顔を思い浮かべ、仮に彼女の男性版がネメシス閣下だと思えば……なんとなくその心情を理解できる気がした。
メイラは陛下の顔をじっと見つめ、もう一度その深い眉間の皺を撫でた。
「……もしかして、早朝からルシエラの顔を見ていないのは」
「マイン一等女官は現在この地方に展開している影者たちの総指揮をとっている」
聞きたくなかった情報だ。
「あれは前からネメシスの命令しか聞かず、有能ではあるが使いにくかったのだ。……そなたには随分と懐いているようだが」
「……そうでしょうか」
「気に入らなければ仕えている相手でも容赦なく引きずり落とし、一番最近だと犯罪奴隷にまで没落させていたな」
もっと聞きたくなかった情報だ。
「国家の飼い犬には向かぬ質なのだと思っていたが、なかなかどうして、そなたとはうまくいっているようでよかった。この調子で上手に飼ってやってくれ」
犬、と聞けば、リヒター提督を思い出す。
提督の頭を踏んで見下ろしていたルシエラは、なるほど飼い主というよりは群れのリーダーなのかもしれない。
え、ちょっとまって。その理屈で言うならば、群れの手綱を握っているのがメイラという事なのか? いやいや、そんなものは任せられても困る。
最近よく耳にするフレーズなので軽くスルーしそうになったが、そもそも人間の事を「犬」扱いする状況に慣れてしまってはダメだと思う。
「犬などとおっしゃらないでくださいませ」
つい、子供が下品な言葉を零した時のように窘めてしまい、一瞬ひやりとしたが、陛下はメイラの手に軽く唇を落としながら眦を下げて笑った。
「そう怒るな」
「怒ってなどおりません」
「頬が膨れているではないか」
節の高い指が、軽くメイラの頬を突く。
プスリ、と唇から空気が抜ける音がして、メイラは恥ずかしくなってそっぽを向いた。
それから更にけっこう長い時間待たされて、ようやく馬車は離宮内に入ることが出来た。
その間ずっとお嬢様方の頭が痛くなるような懇願を聞かされ続け、陛下だけではなくメイラの眉間にも皺が寄る。
門扉が閉まってもまだ聞こえてくるその声に、ため息をつくことしかできなかった。
噂ひとつでこの状況……さすが大帝国の皇帝陛下だというべきか、ルシエラたちの情報操作のすごさに感心するべきか。
やがて馬車から降りたその先で、一等女官のお仕着せをきた彼女はしれっとした顔をして立っていた。
「おかえりなさいませ、陛下。御方さま」
普段通りの玲瓏たる美貌に、じっと非難の目を向ける。
しかしルシエラはまったく心当たりがないという風に、軽く小首を傾げ無罪アピールをしてくる。
少し前までなら疑って申し訳ないと思ったかもしれないが、すでにもうメイラにはわかっていた。
有能な憲兵士官である彼女が、おとなしくしているわけがないのだ。
「どうかなさいましたか?」
言いたいことは山ほどあったが、零れるのはため息ばかり。
言うべき文句は何一つ出てこなかった。
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