5
修道院の内部は荒らされた状態のままだったが、孤児院の方には片付けた形跡があった。
隙間風を防ぐために割れた窓に板を張り、煤けた床は一応拭いてある。
拙い部分があるところを見ると、子供たちが懸命に作業をしたのだろう。
ルシエラの言うとおり、すでにもう安全な場所に避難しているのか、彼らが残っている様子はなかった。
無事な顔を見たわけではないので心配だったが、それを確認したいと言えば、また迷惑をかけてしまうのだろう。
三歳のミッシェルがどうなったのか、調べてもらう前からヒステリックに問い詰めてしまいそうで……メイラはぎゅっと口を閉ざし、こぼれそうになる泣き言を堪えた。
ささやかな広間にたどり着いたところ、台所でゴトリと音がした。
メイラはマローの腕に縋りついたまま、胸を押さえて息を詰めた。
「あ、どうも。ご無事で」
襲撃者と似たような、砂色のトーガを身体に巻き付けた男が、盆の上に湯気の立つ飲み物を乗せて現れた。
髪色は濃茶。肌は浅黒く、それも襲撃者たちと似た雰囲気だ。
油断なく女騎士たちが身構えたが、マローはまったく無警戒で、むしろ気を抜いた様子で「はあ」と長くため息をついた。
「紛らわしい恰好をするな。切り捨てられても文句は言えないぞ」
「いや、いざとなったら紛れ込もうかと思って」
聞き覚えのある声だった。
どこで聞いたのかと思い出そうとして、一重で薄いその目と視線が合った。
にっこり、と笑顔を向けられた。
「……あ」
ユリウスだ。
以前会ったどの時とも印象が違う。
今回はどこから見ても砂漠の遊牧民の民族衣装で、人種からして違って見える。
「子どもたちは?」
ルシエラが真っ先にその事を質問してくれたのが意外だった。彼女はもっと違う事を優先しそうなタイプなのに。
「海です」
「ああ、間に合ったのか」
「ええ」
「何処にいる?」
「すぐそこに」
マローが訪ね、ユリウスは薄く笑いながらクイと顎を上げた。
メイラは、騎士たちが一層身を強張らせ、剣の柄を握りしめるのをぼんやりと見ていた。
気配などなかった。
もちろん、そんなものを察知できるスキルは持ち合わせていないが、寸前まではそこに誰もいなかったと断言してもいい。
広間は二間続きになっていて、増築の関係上、階段数段ぶんの段差がある。
その下の方、普段は子供たちがツリーを飾りつけしたり、冬の内職をしたりする土間のほうに、いつのまにか数人の黒いマントの男たちがいた。
「……なんで土下座」
ユリウスが訝し気にそう言うのも無理はない。
振り向いたときには、騎士の礼の姿勢で片膝付きだったのに、メイラがはっきりとその姿を認識した瞬間に、先頭の男だけ起坐の姿勢になり、両手を前について頭を低く下げたのだ。
それだけで、男が誰だか見当がついてしまった。
「……ヒリター提督?」
服装は見慣れた白い軍服ではない。勲章も階級章もなく、海軍の軍服ですらなかった。
それでも、土下座のその姿勢だけで誰だか判別できてしまう事実がちょっと、いやかなり不本意だ。
「ご無事で何よりでございます、御方さま」
直答したのは提督ではなく、その斜め後方に片膝をついている巨漢だった。
「ディオン大佐」
顔に目立つ傷跡があり、ただでさえ恐ろし気な面相の彼が軍服を着ていなければ、まるで海賊いや山賊のようだと思ったのは秘密である。
「どうしてここに……」
「リゼルへの襲撃が海からだと聞き、念のために海軍に協力を要請しておきました」
ルシエラの淡々とした答えに、小首を傾げる。
リヒター提督が所属する海軍は、皇帝陛下直属だ。そしてここはハーデス公爵領、自前の海軍を保有しているので、提督が動く必要はなかったはずだ。
「犬を呼びつけるのは飼い主の特権です」
また犬呼び!!
さらりと失礼なことを言うマローを睨み、提督たちが怒りはしないかと心配するが、まったくそんなことはなかった。
なお一層低く頭を垂れる男たちに、とうとう諦観の念を抱き始めている自身に気づき、慌てて首を振る。
どうして周囲の誰もこのことに疑問を抱かないのだろう。
どうしてユリウスまでもが、納得したように頷くのだろう。
「子どもたちと修道院長のバーラ殿は、入り江からボートで避難しました。すでにリアリード号に到着していると思います」
訥々とした口調で説明するのは、やはりディオン大佐。
頑なに口を開かない提督が、こちらに不満を抱いているのかと言えば違うのだ。
何か個人的な縛りでもあるのだろう。今にも首を絞められて息絶える羊のような目をして、ひたすらに床を見据えている。
もういいから! 反省しているのはわかったから!!
提督を許すというよりも、メイラ自身の精神的安寧の為に。
「子どもたちの中に、ミッシェルという子はいたか?」
大の大人を土下座させているという状況に耐え兼ね、悲鳴を上げそうになった寸前、マローが当然のように尊大に顎を上げながら言った。
「ミッシェル? 何歳ぐらいの女の子で?」
「男の子よ。三歳。ふわふわくせ毛の金髪に、青い目をしているわ」
「ああ、ずっとニコニコしてたソバカスのあの子かな」
「それはアネッタ、女の子よ。年齢より小柄で、病弱で、泣き虫な子なの」
「うーん」
メイラのすがるような眼差しに、ユリウスが首をひねった。
お願い、お願いと両手を握り合わせる。
「ちょっとわかりませんね」
あやふやな回答に、目の前がまっくらになった。
ユリウスが覚えていないわけがないのだ。彼の記憶にないのなら、少なくともボートで脱出した中にミッシェルはいないということだ。
ふらついた身体を、がしりとマローが支える。
「……提督!」
壁の向こう側から、押し殺した男の声がした。
「来ました」
「方々、到着して早々ではありますが、付いてきていただけますでしょうか。退路が遮断されたので、予備の迂回路を取ります」
「遮断されたとは?」
「敵の数が思いのほか多く」
ルシエラがチッと舌打ちした。
「御方さまを危険にさらすぐらいなら、このままこの建物内に籠った方がいいのでは。すでにもう公爵閣下に連絡がいっているでしょうから、時を待たず軍が派遣されてくるかと思います」
麗人の舌打ちに動揺したのはメイラだけだった。
キンバリーの冷静な台詞に、ルシエラが不機嫌そうに顔をしかめる。
「敵がそれを予期していないとでも? 一気に襲い掛かってくる可能性が高い」
ルシエラがそう言い終わるより先に、パリンと残っていたガラスが割れた。
「火矢を射てきています!!」
屋内に飛び込んできた矢の先端には布が巻かれていた。かろうじてその火は消えていたが、次々に窓に当たる矢の先には赤い火が燃えている。
ボロボロのカーテンに火の粉が散って、一気に燃え上がった。
空気まで乾燥したこの地方では、炎の足はすさまじく早い。初動で消火に当たれないどころか、次々火矢を射られる状況では、延焼をとどめることは難しいだろう。
「……こちらへ」
大佐に促され、メイラをかっさらう様に抱きかかたマローが小走りに奥へと進んだ。
メイラはその肩越しに、大切な我が家に燃え広がる炎を呆然と見つめた。
見開いたきり瞬きを忘れた瞼が、眼球に張り付いたように痛む。
涙は出なかった。
ただ、悲しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます