修道女、夢と現実の狭間に惑う
1
少し体調がよくなって来たところで、今後の予定が知らされた。
あの日の誘拐はなかったことにされ、メイラは陛下の名代として、ハーデス初代公爵の慰霊祭に参列する、その公務のために後宮を出たことにされていた。
帝都からハーデス公爵領まで、ゆっくりと馬車で移動したとして十二日。逗留に一週間前後。移動で体調を崩したことにされているので、その分五日を加算。つまり後宮への帰還日は、おおよそ四十日後の予定だ。
救出されるまでに時間がかかっていたとしても、十分に誤魔化しがきく余裕をもった日程だった。
おそらくは、ネメシス憲兵師団長閣下あたりの発案なのだろう。メイラが誘拐されたと判断されて、その日のうちに公務として後宮を出ることが公表されたらしい。
不在を誤魔化すために、早々に身代わりが立てられ、翌日には出立の儀式まで執り行われた。後宮近衛と女官たちで構成されたその一行は、方々の街から歓待を受けつつ、陸路を公爵領にむけてゆっくりと進んでいたようだ。
サッハートとは微妙に方向が違っていたのだが、南方軍の領域内にさしかかったところで、宰相とその息子である総督に狙われ、危ういところを職務中だった異母兄に救われたという設定。
ショックで臥せっている寵妃を見舞うために陛下がわざわざ御出でになり、風光明媚なサッハートで休養するように命じられ……とういう、まるで物語のような筋書きだ。
今のところはメイラにとって都合がいい内容だが、これがたとえば、レイプされて殺害されて遺棄されていたとしても、話のつじつまは合うように作られているところが恐ろしい。最悪、帰郷の途中で襲われ、亡くなったということにされたのだろう。
気づいていなかったのだが、昨夜のうちにメイラの身代わりを務めた女官と後宮近衛の一行がサッハートに到着していた。
ゆっくり馬車で移動をしたとして、帝都からこの街まで約四~五日ほどだろうか。大人数での移動ともなれば、六日後の到着も遅すぎるものではない。
昼食後に、部屋についている騎士が男性から女性に代わり、涙目になった彼女から改めて挨拶を受けた。
あの朝、小神殿まで護衛してくれていた女性騎士だった。
皆に怪我はなかったのか、無事だったのか問うと、涙目のまま「大丈夫でした」と告げられたが、もしかすると殉死したり負傷したりした者もいたのかもしれない。
ひどく胸が痛んだが、聞いておかなければならないと問い詰めようとして、いつの間にかいた長身の女官に止められた。
「それが後宮近衛の職務です。今御方様がここでご無事に生きておられるのは結果論です。彼女たちは失態を犯しました。いまだ騎士の任を解かれないだけでも有難いと思わなければ」
「ルシエラ?!」
「はい、御方様」
気配もなく天蓋布の向こう側から現れたのは、ルシエラ・マイン一等女官だった。相変らずの冷え冷えとした美貌で、きっちりとした女官としての礼を取る。
その隣には、後宮近衛の騎士と同様に、真っ赤な目をした二等女官のマロニアがいた。彼女は何故か見慣れた女官の服装ではなく、彼女の年齢にはそぐわないひらひら成分の多いドレスを着ている。
そこでマロニアがメイラの身代わりを勤めたのだと知らされた。
「……まあ」
私服はそんな感じなのかと思ってしまったのが申し訳ない。
「迷惑をかけるわ」
「迷惑なのはあの狸どもですので、御方様の謝罪は必要ありません」
相変わらずの冷ややかな口調。冷たい美貌。
「御方様に謝罪されてしまうと、我々の不甲斐なさがより身につまされます」
メイラは、普段よりもなお一層冷淡なルシエラの口調に目を丸くした。
あせったようなマロニアがフォローしたそうな顔をしたが、言われるまでもなく、ルシエラがものすごく心配していたのだということに気づいていた。
女王様気質のツンツンに隙は全くないが、握りしめた手が白い。
「……そう」
扱いが難しいなと思いつつ、メイラは小さく笑った。
「では、無事に再会できたことを喜びましょう」
「はい」
ユリたちメイドを含め、室内にいた者たちが一斉に深々と頭を下げる。
メイラは、複雑な思いを顔に出さないようにしながら鷹揚に頷いた。
きちんとした職業人であり、その仕事に邁進している彼女たちに比べて、なんと非力で仕え甲斐のない主人なのだろう。
いまだにベッドから降りられない己が気恥ずかしく、いやそれは陛下に責任があるのだと思いなおし、自分なりにきちんとしなければと背筋を伸ばす。
「ハーデス公爵領への旅はここからだと十五日ほどかかるのかしら。初代様の慰霊祭に間に合うの?」
「サッハートから船での移動になります。風と潮の様子を見ながらという事ですが、ザガンまで五日。公都ディアンまで二日。合計一週間を予定しております」
来月初めに予定されている神事について聞いてみると、当たり前のようにスラスラと返事が返ってきた。
港町ザガン。メイラが育った修道院から五十キロほどのところにある中規模の港町だ。今の季節は貿易船よりも漁船の入港が多く、荒くれの漁師たちであふれかえっているだろう。
久々に聞く馴染みの街の名前に、少し気分が浮上してきた。
もしかすると修道院に顔を出すことが出来るかもしれない。懐かしい子供たちの顔を思い浮かべると、自然と頬が緩んでくる。
「わかりました」
さも納得したように頷いたのだが、そのときのメイラはわかっていなかった。
己の立場が、これまでとは全く違うものになってしまったことを。
陛下に甘やかされているという実感はあれども、着ているものは夜着のみ。豪華な部屋の内装も、陛下とともに滞在中だからという程度にしか関心を持っていなかったのだ。
完全なるベッドの住人と化しているので、顔を合わせる者たちも最小限。外からの情報がほぼ入ってこないせいでもあった。
ほのぼのと顔見知りとの会話を楽しんでいるその部屋の外では、陛下のためと同等の護衛が常時控えるようになり、妾妃程度であれば十分な身の回りの品々を、急遽エルネスト侍従長の御眼鏡にかなう高級品にしつらえ直されていた。
もともと『高価なものとそうではないもの』程度の見る目しかないメイラだが、さすがに装飾品に使われている宝石のサイズが変われば気づく。布地に関しても、同じ絹でも産地による違いでピンからキリまであるのは知っている。
しかし現状、彼女が身にまとっているのは薄い夜着のみであり、陛下と同衾するベッドのシーツが最高級品なのはあたりまえだという認識はあれど、用意された室内履きに縫い付けられた宝石の存在には気づいていなかった。
現状彼女にはもっと気に掛かることがある。
次第に落ちていく夜の帳ばかりに目が行って落ち着かず、陛下のことを考えると食事もろくに喉を通らない。
周囲の皆が、それを微笑まし気に見ているのがまた浮足立つ理由のひとつだ。
なんとか食事を済ませ、数時間かけて風呂で磨かれ。例によって例のごとく、香の焚かれた寝室で、小奇麗にラッピングされた状態で待機している。
体力的にはほぼ回復していたが、気分はとにかく落ちづかず、疲れていた。
愛されることにのみ心が囚われ、己がずっと名前ではなく『御方様』と呼ばれ続けていることにすら、まったく気づいていなかったのだ。
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