7
整髪料のついた赤毛を片手でつかみ、石壁に叩け付けた。
ドゴン、と地響きのような音がして、固い椅子に座らされている親子が身をすくませる。
「へ、陛下! 私はなにもっ」
「……黙れ」
ハロルドはそれなりに鍛えられた男の腹部を蹴飛ばした。
彼の名前はエドワルド・ロッソ。この地の副総督である。外国語が堪能でそれなりに有能だったので、そのうち中央に呼び戻そうと思っていたのだが、見込み違いだったようだ。
腹立ちまぎれにもう一度、肩のあたりを蹴りつける。
ロッソはくぐもった声で呻き、血のにじんだ唇を手で抑えた。
「メルシェイラに毒を飲ませたのはお前だな」
「ちっ、違います!!」
「あの手の強い薬は通常のルートでは手に入らない。お抱えの魔女を使わなかったことは誉めてやろう。しかし口の軽いバイヤーを相手にしたのがまずかったな」
ロッソの整った貌がぎょっとしたように強張り、とっさに宰相親子の方を見る。
「ダークサイドの人間は金で転ぶ。強い方に巻かれる」
ハロルドは、握りしめていた長剣で鞘ごとその横っ面を殴った。
若くはないが、鮮やかな赤茶色の髪と甘い顔立ちで女性からの人気が高く、心得た会話に好意が持てる男だった。如才なく副総督として立ち回り、従兄のフォルス・フィドールを補佐してくれると思っていた。
それなのに、結果はこうか。
そろって良からぬことを企て、危うくメルシェイラを失ってしまうところだった。
「ど、毒?」
思わず、といった感じでこぼれたフォルスの声に、父親は黙っていろとばかりに険しい視線を向ける。
ハロルドがジロリ、と睨むと、従兄は真っ青な顔をして首を振った。
「し、知りません。わたしはそんな、ただの堕胎薬だと聞かされて」
「……フォルス!」
宰相の制止もきかず、慌てた様子で言い訳をする。
「妾妃が外で子を孕むなど、陛下のお名前に傷がつくかと思い……」
「メルシェイラに薬を盛ったことを認めるのだな」
「ですからわたしはっ!!」
「たとえあれが孕んでいたとしても、それがわたしの子である可能性は考慮したか?」
「……っ」
「妹以外が産む子を排除しようとしたのではないのか?」
「ちが、違いますっ!!」
慌てて立ち上がろうとしたその肩を、護衛のように背後に立っていたが実際は監視役の騎士が抑える。
「あの薬は堕胎薬というよりも毒物だ。お前はメルシェイラを危うく殺すところだった」
「陛下、何か誤解があるようですので申し上げます」
「息子のために言い訳か?」
「陛下!」
ハロルドは、窘めるような叔父の声色に不快の表情を浮かべた。これまでであれば聞く耳を持ったであろう彼のそんな顔つきに、ネイサン・フィドールは衝撃を受けた様子で息を飲む。
「身持ちの悪い娘が産んだ何処の種とも知れぬ子が、皇帝の血筋に連なるのは認められないとでも言いたいのだろう?」
鼻を鳴らしてから、ゆっくりと長剣の鯉口を切る。
「何度も言うがあれは乙女だ。その腹に居るはずもない子を殺すために毒を盛るなど、許されることではない」
真っ青になったフォルスが大きく左右に首を振る。
さすがに父親の方は平静を装っているが、顔面から血の気が失せているのは同様だ。
「あなたとハーデス公は政敵同士だ。その娘を排除しようとしたのだと誰もが考えるだろう」
ハロルドは長い剣を先まで抜ききり、切っ先を叔父と従兄の方へと向けた。
「何より、わたしの寵愛深い妃に手を掛けて、ただで済むと思っていたのか?」
第七諜報小隊が直接知らせてきたのは、ノーマークだった副総督への注意喚起だった。
宰相親子とその腹心たちは拘束していたのだが、対立関係にあった彼にはこれまで通りの通常勤務を命じていた。
危ういところだった。下手をすればまた彼女が狙われたかもしれない。
「陛下」
いつの間にか部屋に入ってきていたエルネストが、従兄の馬鹿面に我慢ならず剣を振り上げようとする寸前に声を発した。
「ロッソ副総督とフォルス・フィドール総督は、よく意見の相違で揉めていたと聞きます。表面上は上手くいってはいないように装って、内々で手を結んでいた可能性はもちろんありますが、フォルス卿を嵌めようとしたのかもしれません。もう少し詳しく調べる必要があるかと」
「あのう、それからもう一つ気になることがあるんですが」
いつのまにか侍従服を着てエルネストの背後に控えていた男が、軽く片手を上げながら参戦してきた。周囲の「なんだこいつ」と言いたげな視線などものともせず、こてりと首を傾けてこちらを見ている。
ハロルドはぎゅっと長剣の柄を握りしめた。
「お妃さまは教会の地下で拘束されていました。先ほど襲ってきたのはそこで枢機卿の護衛を名乗っていた連中です。あいつらがお守りにしているものがあるんですが、今見てきた副総督の部屋にも同じものが」
大抵はユリウスと呼ばれている目つきの悪い青年が、誰も何もしゃべらない重い空気をものともせずに頭を揺らした。
どういうことだ? 襲撃者とつながっていたのは副総督のほうなのか?
「ついでに、毒をフォークに塗ったという奥さんの持ち物も怪しいですし、例のあの場所にもあったそうですよ」
意図的になのだろう、コミカルな表情でこちらを見ている影者に、つい苛立ってしまうのはいつものことだ。優秀な男だとは思うのだが、軽々しい態度と口調がすべてを台無しにしている。
「例のあの場所?」
「はい。例のあれの設置場所です」
水オーブのことか。
そういえばユクリノスでも、水源の近くに小神殿があった。まさかすべての一件に中央神殿が関わっているのか?
ハロルドは険しい顔をしてユリウスを見据えた。
その件はまだ機密事項で、情報は出回っていないはずなのだ。いくら優秀な影者だとはいえ、どこで拾ってきたのだろう。
「かなり気になりますので、そっちを優先的に調べる許可をください」
「……いいだろう」
「よかった。後それから、うちのマローがお妃さまの所にお見舞いに行きたいそうですが、許可頂けますか? 返したいものがあるそうで」
返したいもの?
「ついでに俺も謝りたいことがあるので、一緒に行きたいです」
「駄目だ」
マデリーン・ヘイスだけならまだしも、どうしてこのお調子者までメルシェイラに会わせなければならない。
「ええー、ちょっと会うぐらいいいじゃないですか」
「駄目だ」
「嫉妬深い男は嫌われますよ」
嫌われると聞いて少し心が動いたが、それ以上にユリウスの言動が不愉快だった。
「……いい加減にしろ」
怒りをあらわにするハロルドに物申せる人間は少ない。
図太さからそれを可能にしているユリウスだが、抜身の剣を向けられたらさすがにヤバイと思ったらしい。
「じ、じゃあ伝えて頂けますか?」
皇帝を伝言係にするなどいい度胸だ。
しかし彼女に会わせるつもりなどまったくなかったので、しぶしぶと頷く。
「……やむにやまれない状況だったからって、髪の毛切ってごめんね? って」
「なんだと」
「うわっ、し、仕方がなかったんですよぅ!」
何かを考えるまでもなく、ハロルドの剣はユリウスを袈裟切りにしていた。
致命傷を与えれたはずの間合いだったのに、けっこうな余裕をもって避けられてしまう。
「報告書読んでくださいって! 陛下!!」
「貴様か」
メルシェイラの美しい黒髪を無残に刈ったのは。
「黙ってそこに直れ!」
「嫌ですよ! じっとしてたら死んじゃうじゃないですか!!」
鋭いその太刀筋を難なく躱され続け、更に頭に血がのぼった。
狭くはないが室内、的は大きく動きも制限されている。確実に仕留められるはずなのに、ことごとく切っ先は空振りしてしまう。
「陛下、陛下、」
いつのまにか、エルネストを含む近衛騎士たちに両腕両足を掴まれていた。
「落ち着いてください。この男は有用です。まだ十分に使える道具です」
「ど、道具って……そりゃその通りだけど」
ユリウスはぶつぶつと文句を言いながら、助けてくれそうな大柄な騎士の背中に張り付いている。
止められるのは不快だったが、忠実な彼らまで巻き込むわけにはいかないので、しぶしぶと手から力を抜いた。
「……減俸」
「うぇっ!?」
「今後一年休暇なし」
「はああああっ?!」
「ついでにエルネスト、そいつの髪を摘まめないぐらいまで刈り取れ」
長剣を鞘に納めながら吐き捨てると、エルネストがこれ以上ないほどの笑顔で頷いた。
「御意」
「ままままま待って下さいよ! そんなことしたら潜入任務ができなくなりますって!!」
「疑われたら無様に殺されて死ね」
「ひでぇぇぇっ」
ハロルドは、ふん、と鼻を鳴らした。
こんなもので済ませる気はない。女の命ともいえる髪を切られて、メルシェイラがどんなに傷ついているか……想像しただけで胸が引き絞られるようだ。
「頭の天辺だけ刈り取るというのはいかがでしょう」
「侍従長まで!」
「よし、一年はその髪型でいるように」
「いやだぁぁぁぁっ」
わざとらしい泣き言が延々と聞こえてきたが、無視した。
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