6

 月が出ている。珍しく両方の月が満月を迎え、今夜はことさらに明るい。

 数日前に恵みの雨をもたらした雨雲はもはや影も形もなく、くっきりと澄み渡った夜空にはふたつの大きさの違う月が浮かんでいた。

 特に赤みが強い二の月は総督館の塔に半ば隠れ、今ハロルドを照らしているのは冴え冴えとした銀色の一の月だった。

 庭の手入れは行き届いているが、帝都とは植栽が違う。

 奔放に枝を広げる茂みは潮風に強いバラか。野生種に近いので棘が大きく、背中を押し付けては服も肌も傷を負ってしまうだろうに、騎士たちは真っ青な顔をしながらジリジリと後ずさろうとしている。

 彼らが地面に押さえつけているのは、黒い装束の侵入者たちだ。

 優秀な竜騎士たちは軽々と彼らを制圧し、そのほとんどを命を刈ることなく捕えてしまった。

 さすがに現役の竜騎士たちだ、おそらくは政務の片手間に鍛錬をするハロルドより腕が立つのだろう。

 しかしそれでも、侵入者を押さえつけるその顔はひどく強張っていて、こちらが歩を進めるたびに身体が逃げようとしている。

 むしろその黒装束たちを楯にしようとする者までいる始末で、ハロルドは抜身の剣を片手に首を傾けた。

 忠実なる騎士たちを手に掛けるわけがないではないか。多少は、こいつらを近づけたことに腹を立ててはいるが。

「自殺しないよう拘束してから個別に収容しておけ。情報を取りたい」

 背後から聞こえるロバート・ハーデスの声は、取ってつけたように事務的だった。

 ハロルドは顔をしかめた。抵抗するなら殺してやろうと思っていたのに。できるだけ長く苦しむように、腸を裂いて、眼窩に切っ先を突き立てて。

 連中からいい情報が取れる可能性は低い。見るからに使い捨ての、腕もそこそこにすぎない男たちだからだ。

 ならば殺してもいいではないか。メルシェイラに恐ろしい思いをさせた、ただひとつそれだけの理由で十分だ。

 ゆっくりと長剣の先を上に向ける。

「……っ」

 最も近くにいた襲撃者の覆面を軽くなぞると、後ろ手に拘束された男がゴクリとつばを飲み込む音がした。

 鋭く砥がれた切っ先で、薄い布をひっかけて下におろす。

 若くもなく特徴も薄いその鼻先に、すうっと赤い筋が浮かんだ。

「……言い遺す言葉があるなら聞こう」

「ま、待ってくれ! いや待ってくださいっ」

 真冬なのに、ボタボタと汗が滴り落ちる。男を押さえつけている騎士が、ねじり上げた腕に力を込めるのがわかった。

 やはりプロの暗殺者とは程遠い、自覚も自負もない輩だ。拷問の専門家にかけずとも、簡単に知っていることを吐くだろう。

 たいした情報は得られないだろうが。

「その必要があるとは思わないな。生かされる価値がお前にあると?」

 そのまま切っ先を頸動脈に押し付けると、骨ばった喉ぼとけが大きく上下した。

「こちらの利になる情報を持っているなら、早めに白状するがいい」

 急所を突けば即死してしまうので、切り返した剣の先を鳩尾あたりまで下げる。

「腹を裂かれた人間がどれだけ生きていけるか知っているか?」

 薄く笑うと、目の前の男だけではなく、多方向から「ひっ」と息を飲む声が聞こえた。

「楽に死なせてくれなどと泣き言は聞かせてくれるな」

「い、言います! 何でも言いますからっ」

「ぬるいな。もっと粘ってくれ」

 ハロルドは防具の隙間に剣を差し込み、ぐっと圧を掛けた。

「こうなることを覚悟してここへ来たのだろう?」

「ぐぅああああっ!!」

 切っ先が衣服の布を裂き、冷えたバターのような感触のものに食い込む。

「その程度の腕、その程度の人数で、皇帝である我が命を狙ってくるなど片腹痛い」

「ちがっ、ち、ちが……っ」

 もちろん狙いはメルシェイラだろう。最悪命はとれずとも、精神的な脅迫として。

 ハロルドにとっては、自身を狙われるよりも腹立たしいものだということは理解していないようだが。

「さあ、あとほんの少しでお前は死ぬ。切っ先が腸に当たっているのがわかるだろう? ゆっくり裂いてやろうか」

「あ、あああああ……」

「遺言があるなら聞こう。早く楽になりたいだろう?」

 剣先から男の激しい心臓の鼓動が伝わってくる。あと少し、小指の先ほど切っ先をねじ込むだけで、男はジワジワと死んでいく。

「たす、たすけてくださ」

 メルシェイラにあんなにも恐ろしい思いをさせたのに、無様に震えて命乞いをする様が不快だった。

「お前は命の対価に何を差し出す?」

「……う、うう」

「さあ、言ってみよ。価値あるものであったなら、生き永らえるかもしれないぞ」

 結局男はそれ以上なにも言えなかった。そもそも、何の情報も持っていなかったのだろう。

 時間切れだとハロルドが長剣を引き抜くと、ぶしゅっと鮮血が腹部から溢れ、血なまぐさい臭いが美しい夜に充満した。

 まだ死んではいない。命が絶えるまでに小一時間はかかるだろう。高価なポーションか回復魔法があれば助かるだろうが、こんな男の為に手を差し伸べる者はいまい。

 後ろ手に拘束していた騎士が手を離すと、男は突かれた腹を両手で抑え、芋虫のように地面でもがいた。

 ハロルドはそれを冷たい目で見降ろしてから、かたずを飲んで見守っている周囲に視線を這わせる。

「さて、次は誰だ?」

 侵入者はもとより、騎士たちまでもが真っ青な顔をして固まっている。

 この程度の流血など慣れているだろうに。

「……怖ぇぇ」

 虫の声もないほどに静まり返っているので、茂みの向こう側から聞こえたその声ははっきりと耳に届いた。

「黙れ!」

 低めの女の声と、打擲する鈍い音。

 ハロルドがそちらの方向を見ても、人のいる気配は感じ取れなかった。

 明るい月夜とはいえ、木立の影は深い闇に沈んでいる。

「何者だ」

 低い声で問うと、しばらくの間の後、がさりと茂みが揺れた。

 現れたのは、暗がりに紛れるにはあまりにも一般的な服装をした、三人の男女だった。

「……お前たちか」

 シルエットだけで、その正体を察して顔をしかめる。

 一人は黒髪の大男。ひとりは肉感的な体格の女性。もうひとりは、顎を手で抑えて身もだえしている細身の若い男。

「申し訳ございません」

 その謝罪は、どういう意味か。侵入者への尋問を邪魔した事か? 不作法にも声を発した事か?

 ハロルドは、地面に片膝をついて頭を低く下げる黒髪の男を冷たい目で見降ろした。

 咄嗟に、メルシェイラを抱きしめていたことを思い出したからだ。

「陛下、こちらのことはお任せください」

 わざとらしい咳払いの後、ロバートが言った。

「なにがしか知っていることがあるなら吐かせます」

 血まみれの腹を抱えて地面で唸っている男に視線を戻す。

 まだやり足りない気持ちはあったが、用事があってここにいるのだろう三人のほうが緊急だった。

 ひとつ頷いて、剣から血のりを払う。

 黒づくめの襲撃者たちだけではなく、味方のはずの騎士たちまで安堵の息をついたのが不服だった。

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