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 パチパチと焚火が躍る。

 いつもならば仲間とともに夕食を掻き込んでいる楽しい時間のはずだが、ロバートの真横には陛下。その背後には無表情な近衛騎士が二人立っている。

 この焚火の周りだけ妙に人が少なく、会話もなかった。

 食後の酒の一杯でもひっかけたい気分だったが、陛下にその気配がないので、ロバートも神妙な面持ちで焚火番をしながら側に控えている。

 陛下はエルブランの街で受け取った手紙を片手で持ち、また最初から読み返していた。

 幾度読んでも内容は変わらないだろうに、何回も。

 よほど難解か重要なことが記されているのだろう、難しい顔をして文面を読む眉間には深いしわがある。

 ちらちらと陛下のご機嫌とは程遠い顔を横目で見ながら、焚火に木切れをくべる。

 揺れる炎に照らされたその顔は、遠目での印象よりも男性的だった。

 こんなふうに近くで侍ったことがないので知らなかったが、皇族というよりも、同じ騎士のとしての雰囲気のほうが強い。

 恵まれた体躯といい、甘さのない厳しい表情といい、身分がなければ純粋に同僚として接することに違和感はなかっただろう。

「……言いたいことがあるなら言え」

 眉間には皺、小さく聞こえる舌打ち。

「ジロジロと見過ぎだ」

 不機嫌そうに吐き捨てられたが、それを不愉快には感じなかった。

 さっと逸らされた視線の数は、近くにいる部下の人数と同じぐらいにあって、その数にあきれもしたが、ほかならぬ己自身もその中に含まれる。

 見られているのが商売のような身分であろうとも、嫌なものは嫌なのだと気づき、少し驚いた。

「すいません」

 かくいうロバート自身は、見られていようがあまり気にならないタイプだ。それは生まれついての貴族であればあるほど顕著な特徴で、嫌がるどころか常に人の気を引いていないと嫌だと感じる者も多い。

「ご不快でしたか」

 次の幹部の定時連絡会では、あからさまに陛下に視線を向けるなと伝えておかねばなるまい。

「……それは癖か?」

「はい?」

 ロバートは、陛下の質問の意図を測りかねて首を傾けた。

「耳に触れるのは癖か?」

 繰り返し問われて、己が伝達石のはまったイヤーカフに指先を当てていることに気づく。

「……そうかもしれません」

「メルシェイラにも同じ癖がある」

「はあ」

 お互いの顔もろくに認識していないが、兄妹である。似た癖の一つや二つ、あるのかもしれない。血の不思議というやつだ。

「……あれの事は詳しいのか?」

 あれってどれ? とは質問し返さない。前後の流れから言っても末の妹のことに違いない。

「いえ、年が離れておりますので、それほどは」

 会話したことすらありませんと言いそうになって、気づく。

 メルシェイラは養女として後宮に上がった。ロバートとは血のつながった兄妹だと知られていないのだ。

 もしかして、と冷たい汗をかく。

 癖が移るほどに身近な男女だと思われているのではあるまいな。

 この国で、身近な男女といえば親兄弟。せいぜい従兄までで、それ以外になると特別な関係にあるとみなされる。つまりは、肉体関係にあるのではないかと邪推されるのだ。

「ちちち、違いますよ! あの子は妹で、そんな……」

 父親が養女と偽ったこと暴露してしまいそうになり、慌てて言葉を濁し、大きく首を振る。

「誓ってやましいことはありません!」

「そんなことはわかっている」

 じろり、と見返された青緑色の視線は鋭く、言葉ほどにはどうでもいいと思っていないことがうかがえる。 

「……気に入らないだけだ」

 焦って否定の言葉を重ねようとしたロバートだが、不意に、近衛騎士が剣の柄に手をやったのに気づいた。

「あのう」

 おずおずとした女性の声が背後から聞こえた。

「お茶を入れたのですが、いかがですか?」

 立っていたのは、泣きながら竜籠に入れられていた助手の女だった。

 焚火の明かりにチロチロと浮かび上がる顔立ちは整っていて、まだ若い。彼女の目がまずはロバートを、次いで陛下を見つめる。

 濡れたようなその目の色は、それなりの身分の者にはなじみ深いものだ。

 この手のお誘いはよくあることで、申し出があったら普通につまみ食いして、翌朝には何事もなかったかのように振るまってもどこからも苦情は出ない。

 愛人にする必要もないし、金銭の介入も不要。食事をして用を足して眠るのと同列に、性欲の発散をお手伝いしますよ、という事だ。

 なかなか可愛らしい女性だったので、陛下が望まれるのであれば、と顔色を窺ってみたが、欠片も興味を惹かれた様子はない。むしろ眉間の皺が少し深くなったような気がする。

 それもそうだ、後宮にはあまたの美女がひしめいており、より取り見取りに相手を見繕えるのだ。

 暗殺や病気や望まぬ妊娠など、わざわざ安全面に不安がある相手で発散する必要はあるまい。 

「……いらん」

 案の定、まともに彼女の顔を見もせず、陛下は拒絶した。

「下がれ」

 そんなふうに邪険にされるとは思ってもいなかったのか、女性は紅を引かれた唇をポカンと開けた。

 剣の柄に手を置いていた近衛騎士が、立ち尽くしている女性と陛下との間に割って入る。先ほどまでの無表情とは打って変わって、彼女の肩に手を置くその顔には当たり障りのない微笑みが浮かんでいる。

「申し訳ありません、お嬢さん。ハーデス将軍閣下と大切なお話をしておりますので」

 大切な? 確かに大切な末の妹の話だ。

「……あの、お茶だけでも」

「はい。頂きます」

 近衛騎士の一人が、にっこりしながら彼女の手から盆を受け取った。賭けてもいいが、あのお茶を陛下が口にすることはないのだろう。

「あっ、あの」

 もう一人が、くるり、と彼女の身体の向きを変えさせて背中を押す。

 彼女がこちらを見る目は、男なら庇護欲を抱き声を掛けたくなるようなものだった。何か言いたげな、虐められた小動物を思わせるような……。

「まだ何か?」

 しかし近衛騎士の鉄壁の微笑みは揺らがない。

 あきらめた風に去っていく彼女の、それでもまだ未練ありげな流し目に感心するべきか、手慣れた風にはねつけた近衛騎士たちを褒めたたえるべきか。

 普通の感性の男であれば、閨のお誘いはまだしも、焚火の隣の席ぐらいは空けたかもしれない。

 しかし陛下も近衛騎士たちも、一考の余地もないどころか、付け入る隙すら与えなかった。

 この国の皇帝陛下が余多の女性を後宮に抱え、夜な夜な通っているのは有名な話だ。それなのに未だ後継者になり得る子供が居らず、もしかすると自分にもチャンスが、と考える者も多いのだろう。

 ふと、汚水まみれになっていた幼い妹の顔を思い出す。

 大人になれば顔立ちも変わると言うが、ガリガリに痩せ顔色も悪かった彼女が、長じで絶世の美女になるなど想像もつかない。

 ベールで顔以外の部分を覆っていたので分からなかったが、瞳と同じく髪の色も黒いらしい。

 ふと、姪の金髪を黒髪黒目に置き換えて想像していることに気づき、顔をしかめる。

 その容姿すら知らない事実に、改めて自己嫌悪を抱かずにはいられなかった。

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