修道女、手厳しい洗礼を受ける
1
そして朝日が昇り切るより早く、部屋に戻ってこれた。
ずっとフードを深くかぶっていたので、どの道を通ってきたのかはわからない。
おそらくは使用人用の通路なのだろうが、途中誰とも出会うことはなかった。
大きな扉ではなく、やはり使用人用の勝手口から与えられたエリアへ入ると、土間のある狭い空間にきっちりと身なりを整えたいつもの侍女たちが待っていた。
「お帰りなさいませ。湯あみの用意は整っております」
拍子抜けしたような安堵感とともに、三人の侍女たちの出迎えを受ける。
フードを上げると、何故か彼女たちは息を飲んだような顔をして、慌てた様子で近づいてきた。
「……メルシェイラさま」
ユリの手がメイラの肩を抱く。
そうされてようやく、自分が震えていたことに気づいた。
帰路の半分ほどまでユリウスとテトラムが送り届けてくれたが、途中からは後宮近衛の女性騎士に託された。見知らぬ彼女はテトラムとよく似た髪色をしており、血縁者なのだと思う。
いたわるようにゆっくりと歩いてくれたが、見覚えのある建物を目にした瞬間から貧血を起こしたように頭がふらふらして、まっすぐに歩けなくなった。
戻ってこれたという安心感から、緊張が緩んだのだろう。
「それでは私はこれで」
焦げ茶の髪をきっちりと編み込みにした近衛騎士が、女性にしては低めの声でそう言った。
「妾妃さまのご安寧とご長寿を心よりお祈り申し上げます」
別れの言葉の常套句をそつなくこなし、綺麗な騎士の礼を取る。
通常であれば後は何も言わずに立ち去るものだが、彼女は頭を下げたまましばらく黙り、何故か伺い見るような表情でメイラを見ていた。
厳しい顔をしたユリが、メイラをかばうように前に出る。
「足元には十分にお気を付けを」
女騎士は、周囲には聞き取れないほどの小声でそう言った。
ユリの眉間に皺が寄り、フランもまたメイラと騎士との間に身体を割り込ませる。
彼女たちの失礼な態度をたしなめるべきだったのかもしれないが、近衛騎士は気にした様子もなく顔を上げ、打って変わった笑顔とともにもう一度丁寧な礼を取り踵を返した。
パタンと木戸が閉まり、フランが素早くかんぬきを掛ける。
近衛騎士の立ち去る長靴の音が遠ざかり、やがて聞こえなくなって、メイラは無意識のうちに詰めていた息を細く長く吐き出した。
「さあこちらに。まずは御召し物を」
ユリに支えられながら浴室の続きの間まで連れて行かれ、若干くたびれた感のあるグレーのフード付きコートを脱がされた。
次いで薄い割には重さのある上衣を取られ、跪いたフランが腰布に手を掛ける。
「ま、待って」
あまりにも色々ありすぎた昨夜の記憶が蘇り、思わずフランの手を止めさせた。
「……ひとりで湯あみをしたいの。お願い」
これまでも何度か頼んだことがあるが、傅かれることに慣れるべきだと諭され、自身では下の大事なところを洗うことしか許してもらえなかった。
だが今回は、何かを慮ってくれたようだ。
気分が悪くなったら言うようにと何度も言い聞かされ、適度に湯気の立ちこめる浴室でようやく一人きりになることができた。
身体を洗い、湯船に身を沈めて、改めて昨日の夜のことを思い起こす。
恥ずかしかった。恐ろしかった。
老女の手が秘所を探ってきたときのことを思い出し、身震いする。
確かに必要なことなのかもしれないが、あまりにも女性の尊厳を踏みにじる行為だ。もう二度と、あんなことはされたくない。
揺れる湯越しにささやかな胸を見下ろして、そこに触れた陛下の大きな手を思い出す。
あの方には特に恐ろしい思いをさせられたわけではない。確かに目を見張るような偉丈夫で、メイラなどその腕の一振りで殺せてしまえそうな逞しい男性ではあったが。
ただ、一緒のベッドで眠った仲だという親しみのようなものがあり、不敬ではあろうが頑張ってほしいと思うのだ。
あの隈はいただけない。せっかくの端正なお顔が台無しである。
できるなら陛下には、皇妃さまたちとの間に一日も早く和子様をもうけられ、連日の荒淫という苦行から脱出してほしい。
おそらくは世継ぎと、そのあと二・三人の皇子皇女が誕生すれば、妃の数も減らされるだろう。
閨事にそれほど執着があるようにも見えなかったし、連日ベッドのはしごをしなくてはならないということはなくなるはずだ。
メイラは、四肢の隅々にまで湯のぬくもりが伝わってくる気がして、ゆったりと全身から力を抜いた。
ともあれ、これでとりあえずの責務は済ませた。妾妃の役割としてはどうかとおもうが、三年間後宮に居座る足掛かりはできただろう。
あとはミッシェル第二皇妃の信頼を得て、その御子を守る盾にならなければ……。
「メルシェイラさま、メルシェイラさま?」
浴室の外から何度か呼びかけられた気もするが、身体は動かなかった。
覚えていないのだが、眠ってしまったらしく、次に気づいたときには昼を通り越して周囲は薄暗くなっていた。
「……メルシェイラさま、お加減はいかがですか?」
いつの間にか自室のベッドの上にいた。
聞いたところによると、侍女とメイド総出で浴槽から運んでくれたらしい。
申し訳ないことをしてしまった。
メイラは教区の老人の介護をしたことがあるので、浴槽内から濡れた人間一人を運び出す大変さはわかっている。
使用人とはいえ未婚のお嬢さんがたに、素っ裸のまま運ばれたのかと思うと恥ずかしくて申し訳なくてたまらない。
どうして起きなかったのだ。
陛下と同衾した時といい、いつの間にこんなに寝汚くなってしまったのだろう。
「お疲れだったのですよ。ごゆっくりお休みください」
いたわるようなユリの口調に、やはり誤解があるように思う。
帰れなくなるほど夜伽が激しいものだったと思っているのではないだろうか。
否定したかったが、それを口に出すのは憚られた。
肉体的には情交の跡などあるはずもないのだし、言わずとも察してほしい。
「そうです、忘れるところでした。陛下から贈り物が届いております」
ユリが何故か険のある口調でそんなことを言うので、思わず突っこみを入れそうになった。
皇帝陛下からの贈り物に物申すなど、誰かに聞かれれば不敬罪を問われかねない。
「男性ものの白い夜着です。……皆様には宝飾品や花やドレスなどのようですのに」
メイラは、悔し気にそんなことを言うユリに首を傾げた。
そもそも陛下の寵愛を得たいわけではないので、あまり高価すぎる贈り物を拝領しても困っていただろう。
……そうか、ユリは知らないのか。
不意に、彼女には何も話していないことを思い出した。
しかし今さら、「陛下の寵はむしろいりません」などと言えるわけもなく。
どうにか察してもらおうと言葉を探したが、彼女が続き部屋から戻ってきたときに両手に掲げ持っていたものが気になって、また説明は後回しになってしまった。
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