第14話

 メイラが目を覚ましたのは、日が昇ってすぐの早朝だった。

 羽毛布団の中は温かく、いまだかつて経験したことのない心地よさだ。

 いつまでもこのままでいたいと思ったが、じわじわと思い出してきた昨晩の記憶に眠気も覚めてくる。

 目を開ける前から、己が寝台にひとりだということはわかっていた。

 昨夜は確かにそこにあった存在を探してみたが、手に触れるのは滑らかなシーツばかり。

 メイラはゆっくりと目を開けた。無人の傍らに視線を向けて、長い溜息をこぼす。

 失態だった。

 あまりにも陛下が気持ちよさそうに眠っているので、同じように睡魔に負けてしまったのだ。

 閨での勤めを果たさなかっただけではなく、呑気に朝まで熟睡してしまった。

 確かに陛下に寝ろとは言った。しかしメイラは、朝までその眠りを見守るべきだった。

「お目覚めでしょうか」

 半身を起こしたメイラに、天蓋布の向こう側から声がかかる。

「朝食の用意を致しました。お召し上がりになってから戻られるように……と、陛下のお言葉です」

 低い位置から聞こえる声は男性のもので。

 メイラはその慇懃にも聞こえる丁寧な口調に、慌てて居住まいを正した。

「ベッドにお運びしましょうか? それともテーブルにご用意しましょうか?」

 侍女たちが相手でも、ベッドを出る前から世話を掛けることに慣れない。

 それは育ちが育ちだからだが、相手が男性であればなおの事恥ずかしく居たたまれなかった。

「テーブルに参ります」

「かしこまりました」

「ま、待ってください」

 薄い布がめくられる気配がしたので、メイラは慌ててはだけた胸元を合わせた。

 布団の中で夜着の裾を直し、手早く乱れた髪を整える。

「ど、どうぞ」

「……失礼いたします」

 天蓋布をめくったのは、淡い栗色の髪の侍従だった。

 まだ若い男性だったので、なおの事メイラは気恥ずかしくて顔をそむける。

「申し訳ございません。ここには侍女はおりませんので、男手になりますが」

 少し笑う気配がして、その侍従は手にしていたガラスの水盤を差し出してきた。

 侍女はいないのはどうしてだろうと思いつつも、質問するような気概もなく、あとから思えばかなりおっかなびっくりな挙動で顔を洗わせてもらう。

 跪いていた侍従は、メイラの濡れた手をそっと柔らかな布で拭った。

 更には顔まで拭こうとしてきたので、慌てて布を受け取る。

「お召し替えのお手伝いはさすがに出来かねますので、申し訳ございませんがお部屋に戻られるまでご辛抱ください」

「はい」

 もちろん、男性に着替えの手伝いをさせるわけにはいかない。

 メイラは彼の手を借りながらベッドを降りた。

 恭しく手のひらを差し出され、エスコートしてくれようとしているのだと気づくまで数秒。

 慌ててその手に指先を乗せると、またも小さく笑う気配がした。

「……申し訳ございません。妾妃さまがあまりにもお可愛らしいので」

「ユリウス」

 更に見えない位置から、低く咎めるような声が聞こえた。

「無礼な真似をするな」

 メイラは幾分顔が赤くなっていることを自覚しながらも、努めて表情を崩すまいとした。

 栗色の髪の侍従はよそに向かって咳払いをしてから、改めてメイラの手をしっかりと握る。

「ご案内致します」

 案内という距離でもなく、朝食は昨夜の長椅子の前に用意されていた。

 小さめだが造りのいい丸テーブルが運び込まれて、一人分の朝食が並んでいる。

 メイラは慣れないエスコートを受けながら長椅子に誘われ、ユリウスともう一人、黒に近い濃い茶色の髪の男性が脇に控えた。

「紅茶をお入れしましょう。こう見えても、テトラムの腕は陛下のお墨付きですよ」

 朝食はものすごく美味しそうだったが、はっきりいって、味は全く分からなかった。覚えていないと言ってもいいかもしれない。

 食後、茶色の髪の侍従が紅茶を入れてくれた。

 その温もりにほっとして、ようやく香りを楽しむ余裕が出てくる。

「妾妃さまにお話がございます」

 確かに香りがいいと感心しながらカップを傾けていると、食器を片付けている侍従テトラムが背中を向けるのを待って、ユリウスが話しかけてきた。

「これからのことです」

 言われている意味が分からず、メイラは目線より低い位置で控えた侍従の顔を見つめ返した。

「陛下は過去一度も、お妃さま方と朝まで過ごされたことはございません」

 それは、熟睡してしまったからだ。

「どなた様も深夜には戻されておりました」

 陛下とメイラとの間に閨事がなかったというのは彼らも承知のはずなので、朝まで眠ってしまったことを特別だという風に言われても困る。

 メイラは急にまた恥ずかしくなってしまった。

 目覚めてすぐに声がかかったことを思えば、こちらの寝顔を見守っていたのだろう。

 見知らぬ男性に寝姿をさらすなど、若いメイラにとって気恥ずかしいどころの騒ぎではない。

「おそらく、妾妃さまが昨夜お戻りでないことは、後宮中に知れ渡っていると思われます」

「……え?」

 恥ずかしさのあまり真っ赤になった頬に手を当てようとして、言い含めるようなユリウスの声に息を飲んだ。

 それは困る。

 非常に困る。

 メイラは後宮に入ったばかりの新参の妾妃である。

 確かに父は高位貴族だが、養女ということになっているし、そもそもミッシェル皇妃の腹の御子を守るために寄こされた囮の的だ。

 当のミッシェル皇妃に反目する気は毛頭ないのに、このままでは逆に目の敵にされかねない。

「できるだけ目立たないようにしたいので、裏道を使います。何かとご不便をおかけしますが、ご容赦ください」

 一応配慮はしてくれるようだが、女の世界はそんな甘いものではない。

 例えばメイラが夜遅くには戻っていたという態を装っても、立った噂はゼロにはできない。

 良くも悪くも女は感情の生き物なので、一度抱いた印象を払拭するのはかなり難しいのだ。

 メイラは音をたてないようにそっとカップを置いた。

 美味しいはずの紅茶の味も、感じなくなっていた。

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