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「申し訳ございません、メルシェイラさま。第二皇妃殿下はお加減が麗しくなく、ご挨拶は日を改めましてということで」

 エリザベス皇妃に続いて、ミッシェル皇妃にあいさつに行こうとしたのだが、第二皇妃宮の前で衛兵に止められてしまった。

 先ぶれの女官がアポイントはあると申し入れてくれたが、木で鼻をくくったような返答が続くだけだ。

 焦げ茶色の髪の女官は、更に苦情を言おうと口をひらきかけ、女衛兵たちの槍が軽く左右に交差されるのを見て黙る。

 父がミッシェル妃殿下のスケープゴートになるようにと命じてきたということは、それ相応の何かがあるということだ。肝心かなめの御方に会えないようでは、話にならない。 

 だがしかし、真正直にその指示に従う謂れはないような気もする。状況ひとつ話してもらえていないので、どういう行動が正解かも定かではない訳だし。

 メイラは女官の腕にそっと手を置いて、半歩前に進み出た。

「まぁ、それは心配です。悪阻は人によっては重いようですし、無理をしてはいけません」

 無表情な衛兵たちを見上げて、小さく首を傾ける。

―――三年契約の仕事だしね。

 もともと気の進まない話だった。妾妃としてはもとより、女官や侍女として永久就職するわけでもないので、とりあえず形だけ取り繕って、約束の三年を乗り切ればいいと割り切る。

「あとでお見舞いの品をお届けします。お大事にとお伝え頂けますか?」

 メイラは丁寧に礼を取って、衛兵の前を辞した。

 女官はいまだ不満そうだが、軽く促すと黙って引き下がってくれた。

「……よろしかったのですか?」

 彼女の言いたいことはわかる。

 こういう所なのでなおのこと、慣例は大切なのだろう。後々挨拶ひとつまともにしてこなかったと非難されるリスクは確かにある。

「お加減が悪いのにお尋ねするほうが非礼でしょう?」

「ですが」

「だったら……そうね。気の利いたお見舞いとご挨拶の品を選りすぐりましょう。アドバイスして下さる?」

 女官は眉間に皺をよせ、不愉快にそう唇を引き結んだ。

 もしかしたら、そこまで助けてやる義理はないと思われたのかもしれない。

「何がいいかしら」

「……そうですね」

 悪阻で体調が悪いなら、においの強い花や菓子類はきっと駄目だ。ベビー用品なども時期尚早だろうし、何か第二皇妃の気が晴れるような、彼女の好みのものはないだろうか。

「果物などなら好んでお召し上がりになると伺いましたが」

 果物。悪阻にはすっぱいものがいいという。柑橘系で酸味のある物がいいかもしれない。

「そうねぇ。取り寄せてみようかしら」

 その後もあれやこれやと質問をし、後宮へ商人を呼び寄せる方法まで聞き出して、己の部屋にもどるまでにはすっかり会話が弾むようになっていた。

 彼女が男爵家の令嬢で、婚約者はいないが親にしきりに見合いを勧められているという話まで。

 本人には喋り過ぎているという自覚がないのか、むしろまだ語り足りないという表情をしている。

「ありがとうマロニア」

 部屋の前に到着して、二級女官マロニア・スーランドは、さきほどまでより柔らかな表情で礼を取った。

「…‥それではわたくしはこれで」

 メイラは傍らで頭を下げているユリを振り返り、小声で「あれ」を持ってくるようにと伝える。

 彼女は心得たようにもう一段頭を低くして、すぐに部屋から小さな布包みを持参する。

「いえ、頂くわけには」

 規則なのだと彼女は辞退しようとしたが、中身はマカロン。確かに滅多に手に入らない希少品だが、子供の駄賃程度のお礼品だ。

「おとうさまが沢山入れすぎて困っていたの。もらって?」

 実際はメイラがサスランに用意するよう指示したものだ。

 自分で食べたいということではなく、こうやってちいさな謝意を伝えるために。

 相手も金額のかさばる物なら身構えるが、菓子なら受け取ってくれる。

 サスランのチョイスはさすがで、「それほど高額ではなく、日持ちがして、ちょっと珍しい菓子」というリクエストに過不足なく応えてくれた。

 マロニアは戸惑いながらも布袋の中を覗き込んでみて、嬉しそうな表情になった。

「それでは遠慮なく頂きます。ありがとうございます」

「またいろいろ教えてね」

 メイラは頭を下げてから立ち去るマロニアを、通路の角を曲がって見えなくなるまで見送った。

 後宮は女の世界だ。そこは理屈とは別のもので動いている。

 何も陛下の寵を競うだけの場所ではない。妃たちの下にはその何十倍もの女たちが働いており、その女だけの世界には風というものがあるのだ。

 風を味方につければ、荒れる海も容易く渡れる。

 しかしその対処を誤れば、嵐に見舞われ転覆する船に乗せられてしまうかもしれない。

 女の世界は、見た目よりずっと厳しいものなのだ。

 マロニアの背中が見えなくなってから、メイラは控える侍女たちに向き直った。

「荷物は片付いた?」

「はい、メルシェイラさま。運び入れました分は。残りの荷物は後日と聞いております」

「ではお茶にしましょう」

「かしこまりました」

 扉を開けたのはユリより少し年下に見える金髪の侍女フラン。父がつけてくれたひとりで、気が強そうな青い目をしている。

「紅茶になさいますか?」

 そう訪ねてきたのは、濃い茶色の髪を左右に分けて可愛らしく飾り編み込みにしている侍女シェリーメイ。こちらも父に命じられてメイラに付いている。

 故郷より十日の道のりを共に来たのはこの三人の侍女たちで、ほかには後宮の部屋付きメイドが四人。

 彼女たちは常時この人数でいるわけではなく、ほぼ三交代制のシフトを組んでメイラの身の回りの世話をしてくれている。

 今日は初日なので、顔合わせを兼ねて集合している訳だ。

「そうね。シェリーの入れる紅茶は香りが良くて好きよ」

「まあ、ありがとうございます」

「どうすればそんなに上手に入れられるのかしら。何度教えてもらってもうまくいかないのよねぇ」

 たとえメイラのことをどういう風に聞いていようとも、一度として顔にそれを出さない彼女たちはプロである。

 であるなら、こちらもそれに応えなければ。

 メイラはにっこりと、どんな悋気なマダムからでも寄付金をせしめてきた邪気のない笑顔を浮かべた。

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