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 もはや己の感覚のほうがおかしいのではと思い始めた。

 足もとに続く赤い絨毯。壁を彩る金彩の装飾。あの柱に埋められているのは宝石ではあるまいか。

 ドアノブも手すりも窓枠すらも、どう見ても木製ではなく真鍮ですらない。

 案内の女官の先導を受けながら、メイラはその背後で小さく唇をかみしめた。

 下町では寒さに震え、命を失うものもいる。

 三日も四日も食べ物にありつけず、泥水をすすり雑草を食べる子供も多い。

 そんな恵まれない者たちが存在するなど、こんなところに半日いるだけで夢だと思ってしまいそうだ。

壁の模様に金を張るなど無駄ではないか。

 天井付近の、よほど視力が良いものにしか見えない位置に宝石を埋め込むなど、本当に必要なことなのか?

 メイラは次第にしかめっ面になりそうになる顔を伏せ、赤を基調とする第一妃の宮を進んだ。

 後宮は純然たる階級社会である。

 親の身分ももちろん影響するし、それ以上に後宮の席次が大きくものをいう。

 メイラはハーデス公爵の養女として後宮入りしたので、それほど下位なわけではないが、正式に妻と呼ばれる存在ではない。

 そう呼ばれるにはまず陛下の複数回に及ぶお渡りを経て、側妃と呼ばれる階位に格上げされなければならない。

 更には国の情勢とか、陛下の寵愛とかを鑑みて、神々の名のもとに皇妃と呼ばれる妻となる。

 現在、皇帝ハロルド陛下の妻は三人。

 第一皇妃のエリザベス様。

 第二皇妃のミッシェル様。

 半年前にお輿入れされたのが、第三皇妃のユライア様だ。

 そしてメイラは父により、懐妊なさっている第二皇妃にお仕えするようにと言われている。

 とはいえ、この後宮の女主人は第一妃のエリザベス様。彼女に最初にあいさつに出向くのは儀礼的な行事であるらしい。

 メイラは、街に出回っている三人の皇妃たちの姿絵を思い起こした。

 特に年若い少女たちはそういうものが好きなので、目にする機会は幾度となくあった。

 第一妃は猫目が蠱惑的な金髪のゴージャス美女。第二妃は触れると溶けそうなほどの白金髪に白い肌のたおやかな美女。第三妃は燃えるような赤毛に美しいヒスイ色の目をした美少女だ。

「こちらです、メルシェイラさま」

 先を行く女官が立ち止まり、ひときわ豪華な扉を指し示した。

 メイラは背筋を伸ばし、まっすぐに前を向く。

 後宮は古い建物だが、内装は皇妃が入内されるたびに整えられる。

 つまりは、この豪華すぎる第一皇妃の宮は、彼女のためにあつらえられたものなのだ。

―――贅沢は敵。

 隣国の元王女だからといって、民からの血税を湯水のごとくに浪費していいわけがない。

 会う前から先入観をもつべきではないと思うのに、どうにも不快感がぬぐえない。

 ゆっくりと扉が左右に開く。

 重そうな扉を押しているのは、四人の女性近衛騎士たちだ。

 後宮は女性しか入れないので騎士もすべて女性なのだが、女性用の鎧を着ているとはいえ皆男性のように背が高く、筋骨たくましい。

 ようやく開いた扉に刻まれた華美なレリーフと、そこに使われた金銀宝石。

 平民の生涯賃金何人分になるのだろうと想像して、額に血管が浮きそうになった。

 百五十二人いる聖人の名前を暗唱することでなんとか憤懣を抑え込み、導かれるままに室内に入る。

 薄暗い廊下から、まばゆいばかりに光差す広間に移動して、視界がかすんだ。

 やがて目が慣れてくると、そのまばゆさが日光だけのものではないと知れた。

―――あ、悪趣味な……

 黄金と純白の漆喰とタイルが複雑に組み合わさった壁は目への暴力といってもいい派手さだ。

 あきらかに宝石を利用しているシャンデリアは、キラキラと常に瞬き。

 床には切れ目のない毛足の長い絨毯。

 調度品にはふんだんに黄金を利用し、大きな窓にかかっている分厚いカーテンは深紅に金の刺繍と縁取りがなされている。

 まさに贅の極みというべき内装。

「メルシェイラ・ハーデスか」

 あまりにも目に優しくないキラキラとした内装に、怒りを通り越して呆れの境地に至っていたメイラだが、さすがにフルネームで名前を呼ばれて我に返った。

「はい。はじめてお目にかかります、第一皇妃殿下」

「見事な黒髪ね」

 この部屋の主と思しき人物の姿は、逆光になっていてよく見えない。

 室内にいるのはメイドらしきホワイトブリムを付けた女性が四人に、シンプルな女官の装いの二人、上座である窓際にいるのは、シルエット的にはドレスを身にまとっている五人だ。

 その中央でソファーに上半身を預けてくつろいでいるのが、おそらくは第一皇妃のエリザベスだろう。

「ですが平凡顔ですわ」

「そうですわね、木人形のように貧相ですし」

「コレで陛下の寵を得ようと思うなど、ハーデス公も何をお考えなのでしょうか」

「まあ、正直にそんなことをおしゃってはお気の毒ですわ」

 おほほほほほ……

 パカンと口を開けずにいられた自分を褒めたい。

 メイラは己がごく平凡な、特筆する所のない女であるとよくわかっている。顔立ちは地味だし、幼少期からの粗食のおかげで体格も良くない。唯一他人と違っているのが目と髪の色で、明らかに父親の血なのでそれも好きではない。

 だが、貶されるほどの容姿ではないし、そもそもこの手のことは本人を前にして言うべき台詞ではないはずだ。

「……まあ、励むがよい」

 エリザベス殿下は傅く女たちを諫める気もない様子で、鷹揚に手を振った。

 美しく整えられたというよりは、武器にしたいのかと言いたいぐらいに伸ばされた爪で、メイドの差し出すお菓子を摘まむ。

「陛下は貧相な胸はお好みではないようだがの」

 貧乳ではない。美乳である。

 巨大すぎる脂肪は邪魔そうだとしか思ったことがないので、負け惜しみではなくそう思っている。

 しかし真正直にそれを口にするほど空気が読めないわけではなく、メイラは黙って頭を下げた。

 やがてキラキラしい室内にも目が慣れてきて、ようやく細かいところまで見えてきた。

 下げた頭をほんの少しだけ持ち上げて、エリザベス第一皇妃殿下の方を向く。

 礼儀上直視はしないが、ひときわゴージャスな装いの女性に向かってニコリ……と、誰にもはがされたことのない鉄壁の作り笑いを浮かべた。

「こちらこそ、至らぬところは多々ありますが、宜しくご指導くださいませ」

 垣間見た第一皇妃殿下は、確かに豪奢な金髪に豊かな胸の持ち主だった。

 きつい目つきも、アーモンド形と言えなくもない。

―――だけど色々と盛ってるのね。

 要するに、絵姿と比べてみると数段に劣る容姿だということだ。

 メイラは納得して、もう一度深々と頭を下げた。

 この程度の女が第一皇妃か。

 そう思って落胆したが、今更だった。

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