第2話 『真紅の女主人亭』その4
「シオンといいます。改めまして、よろしくお願いします。レオナさん、ドナさん、ミケラさん。それと、ラフィさん」
ソファから立ち上がり、ぺこりとシオンは頭を下げる。
その姿に、ほほう、と四人は歓心の声を上げる。
「まあ、任せろ。坊……シオンをひとかどの戦士に育ててみせよう」
少しどころでなく顔を赤らめてレオナが言う。
彼女は少年が好きだった。
健気な少年が何より好きだった。
当人は自重しているつもりだが、仲間は皆知っていた。
「ところで。ボクは貴方達の仲間に入る事を、まだ承知はしていません」
「えー。そこから?」
ラフィ唇を尖らせる。
「そこからです。すみません」
しかし、シオンは退く気は無かった。
すまなそうにしながらも、前を向き、胸を張る。
「ラフィが決めたからじゃダメ?」
「申し訳ありません。ダメです」
「なんでさ?」
「ボクが納得出来ていないからです」
言ってシオンは左肩に手を当てる。
傷跡が熱く疼いていた。
「納得はそんなに重要か?」
レオナが黒布に隠された唇を吊り上げる。
牙を剥くような微笑みで。しかし目元は優しげだ。
「重要、だと思います。そこを大切にしないと、きっとボクは何度も同じことをするだろうから」
決然とシオンは言い放つ。
『進む道無き』シオンが前に向かうそのためには、漫然と進む事はもう出来ない。
今度こそ、行先を見つめて、心を向けて進むのだ。
そう決めたのだから。
「まあまあ」
「あらあら」
真っ直ぐに前を見る。その視界が左右から、白いキラキラに覆い尽くされる。
「なんと可愛らしいのかしら」
「なんと気高いのかしら」
ドナとミケラだった。
シオンはしっかりと前を向いていた。
ドナとミケラの二人も、ちゃんと視界の中にいた。
にも関わらず、二人がシオンの真横に移動した事を。
二人が左右からシオンを抱きしめた事を。
視界が白に埋まるまで、シオンは気付く事が出来なかった。
「ねえお姉さま。わたくし、この子を気に入ってしまいましたわ」
「ねえお姐さま。わたくし、この子が欲しいですわ」
長身の二人が、シオンを左右から抱きしめる。
そのままひょいと抱き上げた。
シオンの両足が軽々と宙に浮き、そのままだらりと吊り下げられた。
「「このままずっと、離さないでいたいくらい」」
シオンを包む柔らかい感触と、香木のような芳しい匂い。
四つの腕が、優しく、強く、シオンの身体を絡め取る。
「納得ねえ。それじゃあこうしよう。その二人の手から自力で逃げてみろ。出来れば自由にすればいい」
腕を組み、面白そうにレオナが言った。
シオンに絡みつくのはたおやかな腕。まだ歳若いシオンの腕よりさらに細い。
力仕事などした事が無いような腕。力づくでも外す事は容易く思える。
「出来ないならば、貴方には自由を得る力が無いと言うこと」
「出来ないならば、貴方を自由にする力がわたくし達にはあると言うこと」
シオンは腕に力を込める。
しかし腕は曲がらない、動かない。
まるで力が吸われたように、身体の自由が奪われていた。
「そして、その力をお前に与えてやろう」
脚に力を込める。
同じく動かない。力が入らない。
「その全てを」
「隠す事も余す事も無く」
強い力で抑えられている訳でも、関節を極められている訳でもない。
ただ、細い手の中に包まれると。どうやって力を入れていたのか、それがどうにも思い出せなくなる。
分かった事はそれだけだ。
「……これは……参りました。どうやっても動きそうにありません」
「降参と言うことでいいな?」
立ち上がるレオナ。
毛の長い絨毯を踏みしめて、抱き上げられるシオンの前まで歩み寄る。
白い細い腕がうねうね動き、シオンの全身を撫で回している。
思わず、それに参加しようとレオナは両手を前に出し。
「レオナー。手がやらしいよー」
ラフィの呆れた声に止められた。
「なんだその、いやらしいって」
「レオナの手付きがいやらしいんだってば。下心丸出しじゃん」
「……ぐぬぅ……」
ぐうの音も出ないレオナ。
ドナとミケラの手は変わらずうねうね蠢いている。
シオンは柔らかい拘束の中、身をよじる。
「ドナさん、ミケラさん。一つ教えていただいていいですか?」
そして、二人の手の中で首を傾げてから尋ねた。
「はいはい」
「なんなりと」
「お二人は、ボクの力の起こりを止めている。そういう事なのですか?」
ラフィとレオナの動きが止まる。
抱き締めるドナとミケラの目が光る。
「飛び立つ小鳥の足元の、蹴り出す力を落として止める」
「さすれば、小鳥は永遠に飛び立つ事は叶わない」
「「これはそれと同じ事」」
「気付いたとは大したものだな」
「ラフィ、あの修行嫌いなのよねー。かったるいしキリが無いし」
シオンを抱き締めるドナとミケラに、ラフィとレオナの手も加わる。
ドナとミケラの香木のような香りが。
レオナの艶やかな香水の香りを。
ラフィの優しい土と太陽の香りが。
むせ返る程の芳しい香りが、シオンの鼻孔をくすぐった。
「これはもうシオン。お前の意向は関係無くなったな」
「ほらね。ラフィの目は間違いないって言ったでしょ」
「貴方の才が華開くその時まで、わたくしたちは手を離しませんわ」
「わたくしたちの技と術を余すところなく学ぶまで、わたくしたちは手を離しませんわ」
「「「「例えシオンが望まなくとも」」」」」
四人の声が重なって。
「……観念します。非才の身ですが全力で学ばせていただきますので、よろしくお願いします。皆さん」
シオンはようやく納得した。
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