第2話 『真紅の女主人亭』その5
「それではまずはする事は」
「シオンの身体を綺麗にしましょう」
それからは問答無用だった。
問答無用はそれ以前からだったが。
『真紅の女主人』亭には離れがある。
宮殿風の本館とは少し似つかわしくない、丸太を組んで作った小屋だ。
屋根には立派な煙突。
その煙突は石造りの頑丈な窯に繋がっている。
密閉された室内で、窯の中では薪が赤々と燃え。
窯を取り囲むように階段状に作られた室内。
下には分厚い布が敷き詰められていた。
「いやぁ。生き返るな」
「やっぱ、お風呂はサイコーよね」
『真紅の女主人』亭自慢のサウナ小屋。
仕事を終えた従業員も経営者も、時には常連客も、裸で語らい冷えたレモネードを飲む。
たっぷり汗をかいてから香油とブラシで垢を擦り落として、仕上げは併設した水風呂で身を清める。
一度入れば癖になるとの評判だ。
「ボクの故郷の村にも共同のサウナ小屋があったんですが。古くてボロボロで。中々暖かくならなくて」
肌も露わな四人の美女。
それに囲まれて、シオンも汗を流していた。
殴られた頭の傷は、ミケラが一撫ですると夢のように消えていた。
肩の刀傷だけが、いつまでも痛み疼いていた。
「ここはいつでも使っていいからな、シオン」
レオナは最上段に陣取って、豊満な姿態を横たえて。
「清潔にするのは良い事ですわ」
「汗と共に日々の疲れも流せるのですわ」
ドナとミケラは石窯のすぐ前で、胡座をかいて汗を流し。
「今の時間は従業員も仕事中だから、空いてていいのよねー」
ラフィは扉の傍でひっきりなしにレモネードを飲んでいる。
全員が薄布を一枚羽織っただけの姿だった。
その薄布も、汗でびったりと肌に張り付いている。
健全な少年には目の毒過ぎた。
それ故シオンの顔には分厚い目隠しがかけられている。
シオン自身が望んだ事だ。
「シオン。目隠し暑くないか?」
「少し暑いですけど、流石に外す訳にもいきませんよ」
「外したら、ラフィ直々にぶっ殺しだからねー」
「アタシは別に構わんぞ」
「わたくし達も構いませんわ。ね、お姉さま」
「むしろ見ていただきたいくらい。ね、お姐さま」
「ラフィは構うの。あ、シオンおかわりお願い」
ラフィは空になった盃を掲げる。
シオンはそれを受け取って、目隠しをしたまま端の樽からレモネードを注いで戻す。
「頼んどいてなんだけど、よくコケないねシオン」
「まあ、足元の感覚と。後は気配と言いますか……」
言いながら、シオンはひょいひょいと段差を超えてラフィの元へと盃を届ける。
動きは多少はおぼつかないが、それでも大きな段差やラフィの居場所はちゃんと把握出来ているようだった。
「ま、ラフィなら目隠ししても見えてるのと同じくらいには動けるけどね」
「それは凄いですね」
「まーねー。ラフィってば天才だから」
「ドナとミケラに散々仕込まれたからな。アタシも出来るぞ」
「レオナは鼻が利きますものね」
「仕込むのも大変楽でしたわね」
「その割に、今も鼻隠し付けてるしー」
見てるだけで暑苦しいんだよね。とラフィは指を差す。
確かに。ほとんど裸なくらいに薄布をはだけさせたレオナだが、顔にはいつもの黒布がかかっている。
「アタシからすりゃ、鼻の穴おっぴろげてるお前らが信じられん」
「別におっぴろげてはないじゃーん」
「見えるようにしているだけで恥ずかしいと思わんのか。はしたない」
「レオナにはしたないとか言われたー」
きゃいきゃいと騒ぎながらラフィはぐびりとレモネードを飲み干す。
そしてシオンにおかわりを注文する。
「あんま飲むと太るぞ」
「ラフィは太らない体質だもーん」
「そういう奴からデブになるんだよ」
「その点、レオナは大変ですわよね」
「その点、レオナは努力してますわよね」
「そこの二人うるさいぞ」
笑う四人にシオンもつられて微笑んだ。
言いたいことを言い合って、それでもそれが心地よい。
そんな空気を感じたのは、村を出て以来の事だった。
「さてとシオン。いい汗かいた事だし、ちょっと垢擦り手伝ってくれ」
「自分でやりゃいーじゃーん」
「レオナは可愛い少年が好きですからね」
「レオナは甲斐甲斐しい少年が好きですからね」
「いやらしい言い方するんじゃない。まるでアタシが男囲ってるみたいじゃないか」
「ラフィには、今この瞬間が囲ってるように見えるんだけど」
「わたくしにも見えますわよ」
「わたくしにも見えますわね」
あははと笑ってシオンはブラシを手に取った。
それから、熱気に満ちた室内にぐるりと首を巡らせて。くん、と空気の匂いを嗅ぎ取った。
【術技:知覚強化(嗅覚)】。
冒険者の間ではかなりマイナーな【術技】だった。
冒険者の感覚では【術技】の習得で基礎能力の向上をさせる事は珍しい。
技術の習得は【術技】の習得によって行うのが一般的であるし、それに必要とされる身体能力は、【術技】によって一時的に付与される事がほとんどだからだ。
例えば、【術技:連撃】は連続で剣を振るうに必要な筋力を【術技】自体が与えてくれる。
【術技:不意打ち感知】があれば、知覚した音や気配が何かと意識するまでもなく、襲撃者の存在を【術技】自体が判断してくれる。
さらに、効果を限定した【術技】ならば習得は容易くなる。
何より、習得したその時から使いこなす事が出来る。
毎日のようにダンジョンに潜らなくてはならない冒険者にとっては重要な利点だ。
しかし、シオンは考えた。
考えなえればならなかった。
そうでなければ、ルークの横に続く事が出来なかったから。
いくつもの【術技】を習得する事は彼には出来ない。
金も才能も時間も足りない。
それら全てを、知覚の強化と、それを使いこなす事によって代用出来るなら。
それなら、なんとかルークに追いすがる事も出来るのではないか、と。
現に今、目隠しをされた状態でも四人の居場所は手に取るようにわかる。
ラフィの柔らかい匂いも。
ドナとミケラの香木のような匂いも。
レオナの少し獣じみた甘い……。
「ちょっと待て」
シオンの動きをレオナが制する。
彼女の匂いの塊が、片手らしきものを自分に向けている。それくらいまで、シオンは感じとる事が出来た。
「今、何やった?」
「【術技】で皆さんの位置を……」
「嗅いだよね」
「嗅ぎましたわね」
「嗅ぎましたものね」
ラフィとドナ、ミケラが白い視線をシオンに向ける。
そしてレオナはと言うと。
「お、おま……やめ……。そういうの、ダメ。ダメだぞ! やめろ! 近づくな! い……いやらしいっっっっ!」
顔を真っ赤にしたかと思うと、逃げるようにサウナ室から飛び出した。
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