第43話 病院のベッドの上で
「・・・」
目を開けると、真っ白い見慣れない天井が見えた。
「・・・」
一瞬自分が誰なのか分からなかった。どこの誰で、今がいつなのか、ここはどこなのか、時間と空間がはっきりせず、私は不安と混乱の中を漂った。
「意識、戻ったか」
隣りから声がして、私はそちらを向いた。
「あ、マコ姐さん」
それがマコ姐さんだと認識する前に、すでにそう声が出ていた。
「私・・」
しかし、やはり私が誰なのかよく分からなかった。頭がぼーっとして、なんだか世界がはっきりしなかった。私は再び真っ白い天井をぼーっと見つめた。
「・・・」
その時、おぼろに雅男の顔が浮かんだ。
「雅男・・」
「なんか食べたいもんあるか」
マコ姐さんが私に訊く。目が覚めてから半日も経つと、私は完全に覚醒し、意識もはっきりとしていた。
「う~ん、なんだろう。あらめて聞かれると思いつかないな」
「じゃあ、とりあえず定番のリンゴを剥いてやるよ」
「えっ、リンゴ剥けるんですか」
私は驚いてマコ姐さんを見る。
「お前あたしをバカにしてんのか」
「そうじゃないですけど、この前、目玉焼きも作れないって言ってたから・・」
「うん、まあ確かに目玉焼きは作れない。その他の料理も全然だめだ。でも、リンゴは剥ける」
そう言ってマコ姐さんは、リンゴと果物ナイフをバックから取り出すと、リンゴを剝きだした。
「あっ、うまいですね」
サクサクと流れるような手裁きだ。
「そうよ、練習したからね。彼氏のために」
「彼氏のため」
「そう、昔の彼氏がさ、またバカな奴でさ、バイクでしょっちゅう事故るんだよ。まあ、それだけで大体どんな男か想像できるだろ」
「はい・・」
「その彼氏のためにさ、一生懸命練習したんだよ。健気な若き日のあたしは。ほら、よくテレビドラマなんかで、見舞いに行ったやさしい彼女が、病気の彼氏のためにリンゴ剥くシーンとかあるだろ。当時まだ乙女だったあたしはあれに憧れちまってな」
「なるほど」
「まあ、生来の死ぬほどの不器用さで、無駄になったリンゴの数は計り知れなかったけど、まあ、その甲斐はあったな。まさかこんなところでそれが役立つとは思わなかったけど」
そう言っている間に、もう皮は剥き終わっていた。剥かれた皮は全てが途切れることなく繋がっていた。
「すごい」
「少しは見直しただろ」
マコ姐さんはドヤ顔で私を見た。そして、さらにバックから取り出した小さなお皿の上で、これまた器用にマコ姐さんはリンゴを切っていく。
「うまいか」
「はい、おいしいです」
きれいに八等分に切られたリンゴを私はかじる。人に切ってもらったリンゴはなぜか普段食べるリンゴの何倍もおいしかった。
「雅男どうしてるんだろう」
その時、急に雅男のことが気になった。雅男に対して、怒りも憎しみも何も感じなかった。むしろ、不思議と真逆の感情が私の中にあった。こんなことになりながら、私は雅男のことを心配していた。
「早く帰って・・、私も雅男に・・」
「ダメだ」
そう言いかけた時、突然マコ姐さんが叫んだ。
「もうダメだ」
「えっ」
私はマコ姐さんを見る。いつにない真剣な顔でマコ姐さんは私を見ていた。
「お前マジで殺されちまうぞ」
マコ姐さんが言った。
「・・・」
「あたしはもう、お前をあの部屋には帰さない」
マコ姐さんは、今まで見たことのない険しい顔をしていた。
「私・・」
「お前マジで死ぬぞ」
「・・・」
「このままだったらマジでお前は死ぬ。だから、私はお前を殺させない。だから、お前を家に帰さない」
「・・・」
私は何も答えなかった。答えられなかった。マコ姐さんの言っていることは分かった。こんな状況で雅男を心配している自分もなんだか変だと思った。でも、この時、私は自分でも自分がよく分からなかった。
「・・・」
ただ、私は気になっていた。あの殴る前の「お前なんだよ」と叫んだ雅男のあの凄まじい形相が・・。
あの雅男の凄まじい形相が、目覚めてからずっと脳裏に写真立てを固定されたように離れなかった。
「私・・」
私が、雅男を責めている。よりちゃんもそう言っていた。
「私が雅男を苦しめている・・」
私は一人呟いた。
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