第16話 つぶれたハンバーグ

「今日は、ハンバーグだ」

 雅男はお酒を飲まなくなったし、おつまみみたいなものじゃなくしっかり食べられるものがいいだろうと私はそれに決めた。

 買い物から帰り、早速料理にとりかかった。腕によりをかけてハンバーグを料理の本を見ながらではあるが、丁寧に作っていった。

「あ、お帰り」

 丁度出来上がった料理をテーブルに並べた頃に、雅男の帰って来た音がした。

「あっ」

 リビングに入って来た雅男はまた酔っぱらっていた。

「雅男・・」

 しかもまたベロンベロンに酔っぱらっている。

「雅男、大丈夫?」

 私はソファに倒れるように横になる雅男をゆすった。

「ん・・、んんん・・」

「大丈夫?雅男」

 雅男はゆっくりと目を開けた。

「なんだその目は」

「えっ」

 私と目が合ったとたん、突然雅男は私を鋭く睨んだ。

「なんだって言ってんだよ」

 雅男の形相がまた鬼のように変わっている。

「雅男、また酔ってるの」

「ああ、酔ってるよ」

 雅男の目は完全にすわっていた。

「酔って悪いか。そんな法律でもあるっていうのか」

「えっ」

 雅男の支離滅裂な剣幕に、私はただおろおろするばかりだった。

「その目だ」

「えっ」

「お前の・・、お前のその目が、その目が気に入らないんだよ」

 雅男はものすごい形相で睨みつけながら、私の目を指さした。

「その目だ」

 雅男の目が、ギラリと光った。私の背中に戦慄が走った。あの時の・・。あの時の目だ。以前はたかれた時のショックがよみがえった。

「ちょっと、最近飲み過ぎじゃない」

 私は、雅男の剣幕をいなすように穏やかな笑顔をつくった。

「あ?今度は説教か?偉くなったな」

「そんなつもりじゃ・・・」

 しかし、まったく取りつく島もない。

「じゃあ、どんなつもりなんだよ」

「どうしちゃったの。雅男最近変だよ」

「俺は何も変わっちゃいねぇよ。変わったのはお前だ」

 そう叫ぶと雅男は、立ち上がり夕食の用意のできたテーブルまでよろよろと歩いて行った。

「なんだこれ」

 雅男がテーブルを見下ろす。

「えっ、ハンバーグだけど・・」

「こんなもん食えるか」

 雅男は突然そう叫ぶと、ハンバーグの盛られた皿を思いっきり投げつけて来た。私はとっさに頭を下げそれをかわしたが、投げられた皿は、私のすぐ後ろで壁にぶつかって、砕けた。ハンバーグだけがただの肉の塊りになり赤黒いソースもろとも壁にへばりついてずるずると壁紙を下った。

「・・・」 

 私はその肉の塊りを茫然と見つめた。

「何とか言え。あっ?」

 私が振り返り、叫ぶ雅男を見ると雅男が怒りに満ち満ちたものすごい形相で私を睨みつけている。私は恐怖で、ただそんな雅男を黙って見つめる事しかできなかった。

「そんな目で見るな」

「えっ」

「そんな目で見るんじゃねぇ」

 そう言われても、私には何を言われているのか、どうしていいのか分からない。私はただ恐怖に固まるしかなかった。

「そんな目で見るんじゃねぇ」

 だが、雅男の剣幕は収まらず、そう叫びながら私に近づいて来た。そして、頭の後ろで結んでポニーテールにしている私の髪を掴んで、力の限りそのまま後ろの壁に突き飛ばした。私は壁にぶつかり、倒れた。

「そんな目で見るなって言ってるだろ」

 雅男は更に、倒れる私の頬をはった。そして、再び髪の毛を掴むと、私の頭を壁にガンガンと何度もぶつけた。

「やめて、雅男。やめて」

 私はただ泣き叫ぶことしかできなかった。恐怖と悲しみと、そして体なのか心なのかどちらに感じているのか分からない強烈な痛みとをぐちゃぐちゃの頭で感じながら―――。


「ごめん、ごめん、痛かった?ごめん」

 朝になると、雅男は昨日とは別人のようにやさしくなっていた。

「ごめん、ほんとごめん。俺はどうかしてたんだ」

 雅男は私の前で土下座した。

「ううん、いいよ、大丈夫」

 私は慌てて雅男を起こした。私の中でまだ昨日のショックが消えてはいなかった。でも、目の前の懸命に謝る雅男を見ると私の心は反射的に雅男を許していた。

「本当にごめん、俺どうかしてたんだ。酔っぱらって俺は・、最低だ」

 起き上がった雅男は私をやさしく抱きしめてくれた。

「ほんと、ごめん」

「大丈夫。平気だよ」

「酒もやめるよ。今回は絶対にやめる」

 やっぱり、昨日の雅男はどこかおかしかったんだ。お酒にも酔っていたし、何か嫌な事があって、それでイラついていただけなんだ。私はそう思い、少し安心した。


「お前大丈夫か」

「えっ」

 マコ姐さんが隣りの私の顔をまじまじと見つめる。私たちはいつものようにビルの屋上でたばこを吸っていた。

「大丈夫ですよ」

「ほんとか」

「ほんとですよ」 

「男に殴られたんだろう」

「違いますよ」

 マコ姐さんは私の顔をねとーっとした疑いの目で見つめた。私はその視線から逃れるように視線を反らした。

「あたしに嘘は通じねぇぞ」

 朝、鏡で何度も確認し、顔は傷も腫れもなかったはずだし、頭の傷は見えないはず。私はマコ姐さんの鋭さに内心、うすら寒さに似た驚きを感じていた。

「別れろ」

「えっ」

「悪いことは言わない。別れろ。今の男と」

「・・・」

「女を殴る男と一緒にいても、絶対幸せになんかなれねぇぞ」

「大丈夫ですよ。今朝だって、ちゃんと謝ってくれたし」

「やっぱ殴られたんだな」

「うっ」

 マコ姐さんは勝ち誇った顔をした。

「男はそうなんだよ。いつもそうするんだよ。怒りが覚めたら急にやさしくなって、謝るんだ。土下座とかしてな。だけど、結局、また殴るんだよ。悪い事は言わない。今すぐ別れろ」

「・・・」

「悪い事は言わない別れろ。お前のためだ」

「いくらマコねえさんでも、そんな言い方酷いですよ」

 私はマコ姐さんに食って掛かった。

「マコ姐さんは雅男のやさしさを知らないんです。雅男は本当はすごくやさしいんです」

「・・・」

「雅男はやさしいんです。ただちょっと、機嫌が悪かっただけなんです。嫌なことがあって、仕事で色々あって、大変なんです」

「まっ、いいけどな」

 私の剣幕に少し驚いたマコ姐さんだったが、少し笑うと、そう言ってたばこをゆっくりとふかした。

「あたしも昔は散々男に殴られたなぁ」

 マコ姐さんは遠い目をしてたそがれた。

「そんな愛もいいかもな」

「・・・」

「でもな」

「はい」

「愛し合うのもいいけど」

「はい」

「殺されんなよ」

「・・・」

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