第6話 成長中ぐろーいんぐ


 一試合目の反省をする間も無く二試合目が始まる。前回の試合の間にあらかじめスタメンは考えており、以下の通りとなっている。


一番キャッチャー神崎司

二番ショート黒瀬白雪

三番ライト佐々木梨々香

四番センター大星飛鳥

五番ファースト諏訪亜澄

六番サード椎名瑞姫

七番レフト豊川黒絵

八番ピッチャー小瀬川心

九番セカンド水瀬鈴里


 レフトの黒絵は肩が良いが守備自体は不安が残るもののライトの梨々香は特別上手くも下手でもない。しかし二人とも守備範囲は狭いため、そこをセンターの飛鳥で補う形となっているため、飛鳥には負担を強いることにはなってしまう。


 心を八番に置いているのはピッチングに集中してもらうため。もちろん打撃に期待をしないというわけではないが、少しでも負担を減らせたらという思いだ。


 あとは選球眼があるという理由で司が一番に入っているが、他は打順を下げている心を除けばいつも通りと言える。


 今後の試合展開次第ではあるが、どのタイミングで誰と誰を代えるというのもある程度シミュレーション済みではあるので、何らかの理由がなければ大幅に予定を変更するつもりはない。心は最低ラインのイニングや球数制限が課せられているとはいえ、調子次第では続投という可能性もある。


 一回表は明鈴高校の攻撃から始まる。一番の司がバッターボックスに入り、内角低めに決まったストレート、初球を見送る。結果はストライクだが、初球から難しい球を狙っていく必要はない。相手のピッチャーはエースの柳生、出来る限りボールは見ていきたいし、出来る限り投げさせて早めに交代させたい。


 二球目も内角低め、しかし今度はボールゾーンに逃げていくシュート。それも見送り結果はボールだ。


 三球目内角高めのストレートを打ちにいきファウル。その後もストライクゾーンやギリギリのコースの球はカットしていき、ボール球は見極める。フルカウントまでもつれ込み、九球粘った末にセカンドゴロに倒れた。結果としてはアウトに変わりないため出塁して欲しかった気持ちはあるが、相手エースのボールを見るという点では上々だ。


 次は二番の白雪の打順。巧がここで白雪に求めるのは出塁だ。初めての試合の際にも本人に伝えているが、一番打者が出塁した場面ならば送りバントや進塁打などランナーを進めるバッティングでも文句はない。しかし、一番が凡退した場合進塁目的の打者が二番となればツーアウトで三番打者を迎えることになってしまう可能性が高い。この状況はまさに打てる二番打者としてのいい練習にもなる機会だ。


 ここでは巧からのサインはなく、白雪がどのように出塁を試みるのか自由に打たせてみる。


 初球はボール球を見送り、二球目は白雪らしからぬ全力スイングで、レフト線から大きく外れてファウルとなる。飛距離的にはフェアゾーンに入ったところでライナーになる程度だが、ある程度の飛距離はあると相手は警戒して内野陣は一、二歩程度だが少しばかり後ろに下がった。それでも少し前進気味に守っていたため定位置に戻っただけだが。


 三球目は左打席の白雪から見れば逃げていくシュート、外角ギリギリのボール球。手が出なかったのかわかっていて見逃したのか、後者であればものすごい選球眼だ。


 四球目、今度もまた変化球、しかしこの試合初めて見せるカーブだ。明らかにストレートより遅い球速と流れるようなボールの軌道、外角の真ん中辺りに向かっているボールだが恐らく真ん中低め辺りを通過するだろう。


 ゆっくりとした軌道のボールがマウンドとホームの中間を過ぎる直前、白雪は動いた。


 向かってくるボールに対してバントの構え、自分が生きるためのセーフティーバントだ。ゆっくりと曲がってくるカーブに対して合わせるようにバットを動かし、三塁線に転がす。勢いを殺したいいバントだ。


 ボールがバットに当たった瞬間、ボールが転がるのを確認する前に白雪は走り出す。良いスタートだ。


「サード!」


 ピッチャーはバント警戒をしておらず、すぐには動けない。そのため、サードに指示が飛ぶ。


 しかし、サードは定位置を守っていたにも関わらず、素早い打球処理でそのまま一塁に送球する。白雪も負けじと一塁に全力疾走、ほぼ同時くらいのタイミングだ。


「アウト!」


 判定は奇しくもアウト。これは白雪が悪かったというよりも相手の守備を褒めるべきだろう。


「惜しかったな」


 戻ってきた白雪に巧は声をかける。アウトとなった手前、手放しで賞賛することはできないが出塁を試みる方法としては悪くない選択だ。


「でもアウトはアウト。惜しいじゃダメだから、次は確実に決める」


「そうだな。この悔しさをバネにしろ」


 白雪の課題はバント。いや、それにのみならず出塁する方法を模索すること。ヒッティングにしろセーフティーバントにしろ、選球眼を磨くことだ。


 白雪の打席が終わると、続けて三番の梨々香の打順となる。梨々香を三番に置いたのは打撃が良いからというのもあるが、それだけではない。


 ハッキリと言うと、今まで梨々香を代打や途中交代としての起用が多かった理由は集中力が持続しないからだ。


 代打としての成績はかなり良いが、一試合をフルで出場した場合、一本ヒットが出るかノーヒットで終わっている。まだ試合数自体が少ないこともあって確実なことは言えないが、昨年の記録を見てもマルチヒット……一試合に二本のヒットを放つことはほとんどなかった。


 梨々香の今回の課題は打席を重ねること。途中交代は考えているため打席数も二、三打席程だろうが、数多く立たせるためということも上位打線で起用した一因だ。


 初球から思い切ったスイング。内角高めに合わせようとするが、タイミングが合わずレフト線に大きく切れるファウルとなる。


 二球目は外角低めのボールゾーンからストライクゾーンに入ってくるシュートを見送りストライク。ギリギリいっぱいだったことで判断が難しかったのか、ギリギリのコースだから手を出さなかったのか、手が出なかったはわからない。


 三球目、ど真ん中の絶好球。これには梨々香も合わせてスイングする。しかし、ボールはバッターの手前で鋭く落ち、バットから逃げるようにボールはキャッチャーのミットに収まった。


 空振りの三振。しかも三球での三振。


 今日初めて見せるフォークボールに梨々香は手も足も出なかった。そもそもフォークはデータにもなかった。去年の大会などの動画を見て分析もしていたが、フォークを投げたことはない。恐らく最近覚えたのか、いまいちだったものを強化してきたか。落差がすごいと言うほどではないが、ストレート狙いの打者から空振りを取ることは簡単なほどの落差とキレがあった。


 結局、この回は三人で終わった。司は粘ったものの三人で十六球、一人当たり約五球。球数を多く投げさせたかったが、そこまで多くはない。


 変わって心の投球。三番に入っている相手エース、柳生にはツーベースヒットを打たれたものの、それまで二人を打ち取っていたため、ピンチの状況でも焦らずに四番打者を打ち取った。こちらも十七球と少し球数は重なったが、危なげなく一回裏を凌いだ。


 交代できるタイミングは四イニングもしくは六十球、あと三イニングか四十三球だ。このままいけば四回途中で四回が終わるタイミングでの交代となるだろう。


 二回表、明鈴高校の攻撃は四番の飛鳥からの打順だ。明鈴高校で一番の打者は飛鳥、初対決とはいえ期待はできる。


 初球、外角低めの際どいストレートは見逃してボール。審判によってはストライクを取ってもおかしくないコースとはいえ自信を持って見送った。


 二球目は内角低めに食い込んでくるカーブ。これはバットに掠っただけのファウルチップとなり、キャッチャーのミットに収まった。ファウルチップはストライク扱いのため、捕球されたところでアウトにはならず飛鳥の打席は続行される。


 三球目は外角高めに外してくるボール球。明らかなボールということもあって飛鳥は見送り、これでカウントはツーボールワンストライクと飛鳥に有利なカウントとなっている。


 四球目、外角にきた球を飛鳥は綺麗にレフト前に弾き返す。これは先ほど梨々香から三振を奪ったフォークボールだが、それを難なくヒットとし、出塁した。飛鳥は一塁上で、『どんな球だろうが自分には通用しない』と言いたげな表情でニヤッと笑う。


 ランナーを出そうが相手ピッチャーは冷静だ。いや、もしかしたら動揺しているのかもしれないが、それを表情に出さないだけかもしれない。相手に隙を作らないのは流石は名門校のエースと言える。


「亜澄さん」


 ネクストバッターズサークルから打席に向かおうとする亜澄に、巧は声をかける。


「どうかした?」


「場合によっては動くからサインは見ていてください。とりあえず最初は自由に打ってもらっていいので」


「うん、わかった」


 巧の言葉に亜澄は頷く。


 選択肢はいくつかある。盗塁やエンドラン、流石に五番で打撃に期待できる亜澄にバントのサインは出さないが、ノーアウトで出たランナーを活かしたい。


 初球はもちろん自由に打てのサイン。とりあえずランナーが出た場面なので意味もなくサインを送る。ランナーがいない場面でも送ってはいるが、基本的には自由に打てが多い。打席前に亜澄に声をかけたのも、自由に打て以外も出すぞと伝えておきたかったからだ。


 初球。外角低めにきたボールだが、際どいコースだ。亜澄はそれを見送る。ボールはゆっくりと曲がり、外角低めのストライクゾーンからボールゾーンに逃げていくカーブ、それはワンバウンドしてキャッチャーの手元に収まるが結果はボールだ。


 二球目は外角低めへのストレート。これを亜澄はまた見送ってストライク。ここでは待てのサインを送ったため、巧の判断ミスだ。来る球を事前に察知出来る訳はないため結果論となるが。


 三球目、ここで巧はサインを送る。もちろんここで動くためだ。ピッチャーが投球動作に入った瞬間、一塁ランナーの飛鳥はスタートを切る。良いスタートだ。


 ピッチャーから放たれたボールはゆっくりと曲がりながら打者の手元に届く。しかし、それも叶わない。巧のサインはエンドラン、亜澄もボールに反応してバットを振る。カキンという軽快な金属音とともにボールは宙を舞う。だが打球はライト線ギリギリのところに落ち、ファウルとなった。


 フェアゾーンに落ちていれば飛鳥は確実に三塁まで行っていただろうが、たらればの話を言っていても結果は変わらない。次の一球に集中する。


 次もエンドランという手はあるが、二球連続となると相手は警戒してくるだろう。かと言って盗塁も三振の可能性があるためリスクが高い。ここは自由に打たせるのが一番だ。


 相手ピッチャーは牽制を一球挟んでからの第四球。外角高めのストレート。これは亜澄にとっての絶好球だ。しかし、ストレートに押し負けたのか、打ち損じたのか、ショートへの深い当たりとなりセカンドはフォースアウト。ゲッツーは免れたものの、ランナーが入れ替わるだけとなった。


 六番の瑞姫の打席、当たれば飛ぶが、現状ではミート力の低さから打率は低い。少なくとも亜澄のようにある程度は打てるパワーヒッターになって欲しいところだが、今のところはまだ程遠いため、クリーンナップを任せるまでの期待はできない。


 そんな瑞姫は五球目の内角を抉りながらもストライクゾーンに入ってくるカーブを見逃し三振。ノーアウトでランナー一塁とチャンスに繋げられる場面だったのが、一気にツーアウトランナー一塁となんとも言えない状況となる。


 しかし、次の打席は前の試合で当たりのある黒絵。ここを繋げればチャンスで本来なら上位打順で打っている心を迎えることになるが、残念ながら二球目で凡退。レフトへの大きな当たりだったが、上方向に飛びすぎたため楽々と相手レフトはそれを捕球してスリーアウトで攻守交代となった。


 次の回は心から始まる打順。守備の準備をする心に対して、巧は少しばかり声をかける。


「この回凌げば次はお前からだ。一番打者ではないが、そのつもりで次の打席に立ってチャンスを作るぞ」


「うん」


 そっけない返事だったが、むしろそれで心は平常運転というのがわかる。援護がないものの、自分でチャンスを作るという気合いを感じる。


 ピッチャーが打席に立てない訳じゃない。自分で自分を援護することもできるのだ。


 そして迎えた心の投球。先頭打者は際どいコースが決まらずに四球を与えてしまうが、そこからゲッツーと三振。結果的には三人で二回裏を守り切った。十二球と前回よりも少ない球数で一イニングを投げ、これで合計二十九球。調子も上がっているように見えるため、四回以降も続投を考えても良いかもしれない。


 三回表の攻撃、心からの打順だ。心が打席に向かっている最中、守備から戻ってきた亜澄が巧の前に立つ。


「どうかしました?」


 何か言いたげだが、言いにくいといった表情。口を開いて良いのかわからないという煮え切らない態度だったため、先に巧の方から問いかけた。


「……選手の私が言っていいことかわからないけど、お願いがあります」


 普段は年下ということもあって亜澄は巧に対してタメ口なのだが、この時は敬語。神妙な面持ちだったため、巧は黙って亜澄の言葉の続きを待った。


「この試合、フルイニングで出たい」


 亜澄は途中交代の予定だった。それは本人には伝えてないが、巧は二試合ともフルイニング出場をさせないため、全試合でフル出場していた亜澄は察していたのだろう。


 心や飛鳥、太陽など、フルイニングで出たいと言われることは度々あったが、他の選手の経験のためにもそれは断固却下してきた。もちろん個々の負担も考えての話だが。


 しかし、亜澄からこんなことを言われることは初めてだ。ただ試合に出たいからというだけの理由でもないだろう。


「とりあえず、理由を聞いてもいいですか?」


 巧は即答で却下はしなかった。もちろん理由によっては却下もするが、まずは何故そう考えているのかを聞かなければわからない。


 相手チームの五番でファーストの和氣美波は亜澄の中学時代のチームメイト。先ほど和氣が四球で出塁した際に会話をした時の話だ。




「美波、久しぶりだね」


「……そうね」


 美波はぶっきらぼうに亜澄の言葉に返す。試合中ということもあって話しかけるものではない。美波も集中しているのだろうと、亜澄はミットを叩いて守備に集中する。


 そんな時、今度は美波の方が口を開いた。


「あなた、弱くなったね」


「え?」


 突然のことに亜澄は頭の中にハテナを浮かべる。それでも構わずに美波は続けた。


「あなたが四番で私が五番、中学時代はずっとあなたに勝てなかった。打撃に関してはあなたに勝てると思わなかった」


 守備面で言えば美波が勝っていたため、亜澄が外野に回ることが多かったが、亜澄と美波の二人が出場する試合は決まって亜澄が四番で美波が五番。彼女の言う通りだ。


「中学の時のあなたはすごかった。私には打てない球でもあなたは打てたし、自分より上の存在で、仲間で、ライバルだと思ってた」


 美波の声は淡々としているようで怒気を孕んでいる。何に怒っているのかわからないが、次の言葉で亜澄はハッキリと理解した。


「私を失望させないで」


 その言葉は亜澄の心にズシンと重くのしかかる。失望もなにも、美波のために亜澄は野球をやっているわけではない。しかし、美波が言っていることはそういうことではない。


 高校の先輩はみんな自分よりも上手かった。中学時代もそうだったとはいえ、三年生の頃には主力でチームの中心だった。勝手に自信を失くし、自分の限界を決めつけていたことに、亜澄は自覚してしまった。だから……。




「だから私は、この試合で答えを見つけたい」


 この試合で自分になにが足りないのか、これからどうすれば自分は上手くなれるのか、それを見つけたいと亜澄は言いたいのだろう。


「わかりました」


 巧は話を聞いて、即答で承諾する。


「え……? いいの?」


 自分から頼んできておいてなんだと言いたいが、今までなにがあろうとも心達のフルイニング出場の熱望を却下し続けてきたため、そう思ってしまうのも仕方がない。


「予定は狂いますけど……。その代わり、何かを掴んできてください」


 試合でなにを得るのかは人それぞれだが、亜澄の問題点は亜澄にしか解決できない。それを試合中に明確にし、目の前にチャンスがあるのであればチームにとっても確実にプラスとなる。


 恐らくあと二、三打席しかない。その少ないチャンスで亜澄のなにが変わるのか、あるいは変わらないのか、どちらにしても楽しみで仕方がない。


 そんな話をしている中、心はセンター前にヒットを打ち、九番の鈴里の打席。初球は外したボール。エンドランも盗塁もあるため、警戒しているのか、高めの外角に外されるがあいにくサインはなにも送っていない。そして心はすぐに戻れる程のリードしか取っていない。


 それでも巧は動かずにはいられない。ノーアウト一塁を活かすにはランナーを送るだけでは物足りない。


 ピッチャーが投球動作に入った瞬間、心はスタートを切った。そして鈴里はスイングをするものの空振り、キャッチャーはセカンドに投げるが心が二塁に到着した後ワンテンポ遅れて送球が届いた。


 空振りはしたが、サイン自体は盗塁なのでなんら問題はない。盗塁を補助として空振りすることは良くあることだ。それのおかげもあってか、リードが小さかった心は盗塁に成功した。


 三球目はバント。バッティングはあまり期待できない鈴里だが、バントは別の話。守備と小技が得意なのが鈴里の長所だ。難しいコースの変化球を上手く決め、これでワンナウトランナー三塁の先制のチャンスだ。


「一点は確実に取るぞ。司、頼んだ」


「任せておいて」


 司は真剣な面持ちで打席に向かう。大事な場面で自分次第ではチャンスを棒に振る可能性もあると考えれば当たり前だ。


 初球から司は積極的にバットを振っていく。追い込まれてから厳しいコースにきてしまえばそちらの方が辛くなる。多少の厳しいコースであれば積極的に狙っていく。


 初球はファウル。二球目はボール。三球目もボール。いずれもコースギリギリの良いボールだ。相手ピッチャー、柳生の方も「負けない」と聞こえない程小さな声で呟いた。


 絶対に打ち取ってやるという気持ちと絶対に打ってやるという気持ちがぶつかり合う。


 お互い一歩も譲らない展開でフルカウントとなり七球目。外角低めにズバッと決まろうとするストレート。司もコースギリギリの球に反応してそれを打ち返す。


「ファウル!」


 あぁ……。熱い。


 自分はプレイしていないにも関わらず、自分が選手だった頃を思い出し、巧は無意識のうちに手をキツく握っていた。まだ中盤に差し掛かっている試合を決定づける場面でもない。それでも巧は心踊らずにはいられなかった。


 迎えた八球目。ど真ん中に向かってくるボール。緩いボールだ。


 司はそれを平然と見送った。


「ボール、フォアボール!」


 ボールは緩いカーブしていき、ど真ん中に向かってきたはずのボールもボールゾーンに逃げていった。変化が大きすぎるのが仇となった。


「よしっ!」


 司はバットを置いて一塁に向かう。一点は入らなかったものの、チャンスを広げる形となった。


「すいません、タイムお願いします」


 相手キャッチャーはたまらずタイムを取り、ピッチャーの元に向かう。柳生が動揺しているわけではないが、ここで間を取る方がいいと判断したのだろう。


 そのタイムの間にこちらも次の打者である白雪に声をかける。


「チャンスだな。この場面で白雪ならどんなバッティングをする?」


 自分から指示を出すわけではなく、あえて白雪の答えを聞く。こちらから何か言うよりも白雪の考えを聞きたい。


「転がして自分が生きる。それで一点。……だよね?」


「あぁ、そうだ」


 ホームに送球されればツーアウトランナー二塁一塁となるが、相手は中間守備、どちらかといえばゲッツーを狙ってくるだろう。そうなれば白雪か司がアウトにならなければ一点入る。


 キャッチャーが守備位置に戻るとすぐに試合は再開される。初球から外角低めギリギリのカーブ。これには手を出せないと見逃したが、奇しくもストライクとなってしまう。


 二球目は内角高めの釣り球。それに白雪は手を出してしまい空振り、あっさりとツーストライクと追い込まれてしまう。


 気を張りすぎだ。先ほどの会話の際には緊張は見られなかったが、実際に打席に立って体がこわばってしまっているのだろう。


「落ち着け!」


 巧の方から声をかけてみるが頷くだけで体に力が入っているのは見てわかる。


 三球目、外角低めに外してくるボールには流石に手を出さなかったが、それでもカウント的に厳しいことには変わらない。


 そして四球目。内角低めに向かう鋭いボール。際どいコースに白雪のバットは動く。


 鈍い金属音が鳴り響き、打球はホームベースの目の前でワンバウンドする。そして、ワンバウンドした後に高々とボールが宙を舞う。それを見て心はホームに突っ込んだ。柳生は捕球すると、ホームは無理と判断し、冷静にファーストに送球する。


「アウト!」


 バッターの白雪はアウトになったものの、三塁ランナーの心は生還、これで一点先制だ。そして尚もランナー二塁とチャンスは続いている。


「お疲れ」


 戻ってきた白雪にそう言うが、白雪自身は納得のいっていないようだ。


「一打席目も、二打席目も凡退。やっぱりヒットを打って決めたかった」


「言っておくが、十割打てる打者はいないぞ? 打てなかったことを悔やむのも良いが、今回は素直に喜んでおけ」


 自分にストイックなのはいいが、打てなかった打席で毎回悔やんでいては自分を追い詰めすぎて潰れてしまいかねない。そう思い巧はそう言った。


「それに、相手は名門校のエース。実力を見ても県内では一番のピッチャーだ。簡単に打てる相手じゃない。でもただ打ち取られるだけじゃなく、そのアウトをどう活かすかが大切なんだ。だから一打席目も二打席目も、間違った答えなんかじゃない」


 何も考えずにアウトになっているわけではない。アウトになれば悔しがって、次に繋げる努力をしている。そんな白雪を見て、巧は確実に成長すると確信している。


「積み重ねていくアウトの数だけ強くなればいい。三年の夏に後悔して泣きたくなければ、今のうちに泣けばいいさ」


 巧は何かしてあげられる訳じゃない。ただ一緒に横に立つことが精一杯出来ることだ。


「うん。うんっ!」


 目の端に涙を浮かべながら頷く白雪をただ見守ることしか巧にはできない。


 巧はベンチと打席にいるチームメイトを見回しながら呟いた。


「……どうせ泣くなら嬉しい涙の方がいいよな」


 打席に立つことも守備に就くことも、ピッチャーとして相手を打ち取ることもできない巧にできることは、ただ監督として選手たちに勝たせることしかできない。


 負けたくない。


 練習試合だろうが、夏の公式戦だろうが、勝って笑顔にさせたい。


 巧には勝利に導くために指揮をとることしかできなかった。

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