第4話『変化』
六月も中旬、巧が監督になってから一カ月足らず。一度だけあった練習試合で快勝することはできたが、手応えはイマイチだ。やはり短期間で急成長するというのは難しい。合宿をしようにも六月中は祝日もなく、早くて夏休みに入ってからだ。
女子野球の人口も増えてきているため、県大会からとなっているが、それも七月の後半なので夏休みの最初しか余裕はない。全国大会は八月後半になるため、そこを突破すれば日程としても一ヶ月近くは余裕がある。
短期間で全体的な力をつけることは難しいとわかっているため、とりあえず各個人武器になるものを伸ばそうという方針だ。そのため、どのような練習メニューにしようか考えている。
「よう、巧。ハーレム計画の調子はどうだ?」
同じクラスで男子野球部の部員、森和人が考え事をしている巧に対してそう言った。巧は和人を一瞥すると、嫌そうな顔だけしてまた考え事を始める。
「おいおい、無視かよ」
「いきなりそんなこと言ってくるやつにまともな対応すると思うか?」
巧は不機嫌な声で和人に返す。
「まあまあ、それにしても男子野球部の誘いは断ったのに女子野球部の監督とはね」
何度目なのか、同じことを言われている。巧としてはどちらもやる気はなかったのだが。
「その話は何回も説明しただろ。成り行きだよ」
「それで、実際のところは? 誰か気になる子がいるとかだろ?」
このやり取りも何度目だろうか。男子も女子も恋愛話が好きなことは変わらない。特に和人は彼女が欲しいと何度も聞いているので、そういう思考に陥るのだろう。
「大星先輩も美人だし、一年の小瀬川も結構可愛いよな。志波もちょっとうるさいけどまあまあだし、同じクラスの神崎も地味だけど結構整ってるじゃん?」
司は同じクラスとして、他は良くも悪くも目立つメンバーなため、和人が詳しくてもおかしくない話だ。しかし、その話題には乗らない。
「ほら、もう授業始まるから席に戻れ」
「まだ休み時間始まったばかりなんだけど」
十分の休み時間の中、まだ八分近く残っている。まだ余裕があるのはわかっていたが、この話を早く切り上げたいと思い、巧はそう言ったのだが和人には通用しない。
実際、女子ばかりのところに男子が一人だけという状況でドキドキしないほど巧は無頓着ではない。もちろん練習が始まればそんなことを考える余裕はないのだが、それでもふとしたことで意識することはある。
「この話を続けるなら俺は一切返事しないぞ」
意識的に意識しないようにしていることだ。そこはあまり触れられたくない。
「ちぇーっ、面白くないなー」
どちらにしてもこれ以上の話は出ない。巧も思春期だ、ドキドキする場面はあっても明確に誰かに恋愛感情を抱いているわけではない。小中学生の頃も似たような感情を抱くことはあったが、結局は良き友人ということで明確に誰かを好きになったことはない。
このまま和人とどうでもいい無駄話をしているうちに休み時間は終わり、結局考えはまとまらないままでいた。
放課後の練習、基礎練習とシートノックに費やした。各個人の武器を伸ばすとは言ったが、基礎自体は疎かにするつもりはない。一定の守備が出来なければそもそも話にならないからだ。
今日の練習は早めに切り上げ、数人が残ってちょっとした報告会があった。全体に伝える前に話し合うことがあればここで話し合い、あとは各個人に出している欠点や課題がどの程度クリアできているかを共有する場だ。
メンバーとしては巧はもちろん、キャプテンで外野手の代表の飛鳥、内野手の代表で二年生の七海、投手捕手のバッテリー代表で一年生の司。上手くポジション代表と各学年が揃っているためこのメンバーで話をすることを、巧が入部してすぐに決めた。これで二回目だ。
最初に発言したのは顧問の先生。丸岡ひより先生。中高生のころはバスケをしていたが、野球に関してはからっきしの初心者。普段のふわふわした雰囲気からバスケをしていたということも想像できない。
「私からの報告は練習試合が決まったことです」
飛鳥から「おお〜」と声が漏れる。ここ数十年ほどで高校の女子野球部もある程度増えたが、それでもあまり多くないため練習試合は貴重だ。
「それでそれで、相手はどこ?」
飛鳥は興味津々で食いついている。前々から知っていたが、飛鳥は生粋の野球好き。どんなに地味な練習やキツイ練習でも文句を言わずに楽しそうにする。練習試合があると知って楽しみで仕方ないのだろう。
「慌てない慌てない……。相手校は伊賀皇桜学園。県内では名門校だよ」
名門校と聞いて飛鳥のテンションはさらに上がる。しかし、巧、司、七海の三人は静かに息を飲んだ。
伊賀皇桜学園といえば名門も名門。ここ数年ではほぼ全国大会にすすんでいる。全国大会でも優勝はないものの、そこそこの成績を残しており、現状三重県内では最強の高校だ。
「でも一個条件があってね……」
先生の表情が若干曇る。
「二試合するのに、片方は心ちゃんの先発でもう片方は野手として五イニング以上。先発の方は球数制限があればこっちの条件を考慮してくれるらしいけど、心ちゃんの負担が大きいかなって」
初監督の際は心や飛鳥に頼り切ることが多かったが、以前の試合では個人の負担を考えて途中交代もさせて休ませていた。夏の大会もあるため無理はさせたくない場面だが、名門校との練習試合というのは大きい。
「一応保留扱いで断ってもいいって言われたんだけど、了承する場合は球数も事前に報告して欲しいって」
一応相手側も不安が大きいということはわかっているようで、多少の考慮はしてくれているところは名門校らしいとも言えよう。しかし、これは心のデータを取るための練習試合だ。
「野球はあんまりわからないし、監督は巧くんだからここは巧くんに任せるよ。先生としてはどうなんだって話だけど……」
全体に報告する前にこの場で一度話をしているのは巧に意見を求めることが理由だろう。
「試合はいつなんですか?」
「七月の上旬、大会の三週間ちょっと前だね」
エース候補の心の負担を考えれば断ってもいい話だ。しかし、練習試合というのは魅力的だ。心に意見を求めれば恐らく出ると言い張るだろうから無意味だ。
「そうですね……」
試合は受ける。しかし、どの程度心に投げさせるかということを考える。少しの間の沈黙に、全員の視線が巧に刺さる。
「四イニング、もしくは六十球以上。状況次第にはなりますが、どちらかを越えたら降板可能っていう条件でお願いします」
この辺りが妥協点だ。球数が少なすぎれば向こうの方から断られる可能性が高い。先発投手で勝ち投手の権利を得られるのは七イニングの女子野球では四イニングだ。そこまで投げれば少なくとも文句は言われまい。
「了解。じゃあ、その条件で伝えておくね」
一旦話が終わり、次の話題に移り変わる。各部員の課題は多少潰していっているものの、やはり多いことは変わらなかった。
「巧くん、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
話し合いも終わり、帰ろうとしているところを飛鳥に呼び止められる。巧はそれに了承し、学校近くの公園に移動する。完全下校ももうすぐなので、学校前で話し込むわけにはいかないからだ。
「それで、話ってなんですか?」
公園のベンチに座り、巧の方から話を切り出す。
「巧くんってさ、私のこと普段なんて呼んでる?」
「え? 大星先輩とかキャプテンとかですけど」
関係ない話だと思いながら、一応飛鳥の質問に答える。部活内では基本的にキャプテンと呼び、学校内や練習外では大星先輩と呼んでいる。ちょっとした切り替えのつもりだ。
「それなんだよ!」
いきなり大声を出す飛鳥に巧はびくりと驚き、「何がですか?」と聞き返す。
「なんか巧くん私にだけよそよそしくない?」
「そうですか?」
一応今までの飛鳥に対しての対応を思い出してみる。ハッキリと言うべきことは言っているし、練習メニューも他の部員と同じようで差別しているわけではない。
「心のことはなんて呼んでる?」
「心ですね」
「太陽は?」
「太陽」
「七海は?」
「七海さん」
一応先輩にはさん付けしているが、要望があったため名前で呼んでいる。つまり飛鳥が言いたいのはそこかと巧は合点いく。
「飛鳥さんって呼べばいいんですか?」
「そうだけどなんか違う……」
これでも飛鳥はまだ不満らしい。
確か呼び方を変えた際に、その場に飛鳥がいなかったため、飛鳥以外は名前呼びになっていた。それでも監督と選手という立場上、巧としては一線を引いているつもりだ。
「私って最高学年じゃん?」
「そうですね」
「それに三年生って一人しかいないじゃん?」
「そうですね」
「だから私が何か言ったら結構意見が通っちゃうんだよね」
それの何が不満なのか。部活の上下関係というのは複雑で、仲が良くとも先輩の言うことを聞くことは珍しくないことを巧はよく知っている。
「それが呼び方と何か関係あるんですか?」
名前呼びの話をしていたはずが、少し話題が逸れている気がする。巧はそこを指摘した。
「巧くんも私の言うことって結構聞いてくれるじゃん?」
巧の問いかけに返答は返ってこなかった。そんなことはあったかな、と思い返してみれば、練習試合の際の選手交代で飛鳥の意見を尊重することもあったことを思い出した。巧も多少反論はするが、飛鳥が納得しなければ飛鳥の意見が通ることもあった。
「確かにそうですね」
巧は先ほどの飛鳥の言葉を肯定した。
「だから私が無茶苦茶を言った時に巧くんがストッパーになって欲しいの」
飛鳥は、「私、熱くなりやすいから」と付け足した。普段は良いキャプテンだが、確かに試合中にヒートアップして周りが見えなくなることもたまにある。その際は巧が周りの補助をするために立ち回っていた。
「だから私と巧くんは対等になりたい。キャプテンだからとか三年生だからとかじゃなくて、一人の選手として。飛鳥って呼んでタメ口にして欲しい」
随分と話が飛躍している気がする。それは今までの呼び方や敬語でも出来るはずだ。その考えを察してか、飛鳥は続けて言った。
「まずはそういうところから変えていきたいなって思って」
確かに敬語のままだと多少の遠慮は残る気がするため、飛鳥の言うことも一理ある。
「でも、現状がそんなに不満ですか? 意見通るって悪くない話だとは思うんですけど」
「うーん……。自分からあんまり言いたい話じゃないんだけど、私以外三年生がいない理由って知ってる?」
「少しだけですけど」
三年生が飛鳥以外いないということは最初は不思議に思っていたことだったが、野球をする女子はあまり多くないため、ただ入部しなかったと思っていた。最近になって具体的な話は知らないとはいえ、飛鳥が他の部員と喧嘩になって二年生になった途中くらいには他の現三年生が辞めていったという話を聞いた。
「私は自分に酔ってたんだよ。気をつけてはいるけど熱くなっちゃうと自分以外が見えなくなっちゃう。だから今の一、二年生のことも傷つけちゃわないかって心配で」
頭に血が上ってしまった人間が自分で意識的に冷静になることはできない。
自分を止められる人が必要だご、かと言ってこんなことを後輩で同じ選手に頼むこともできない。後輩でも監督という少し違う立場の巧なら確かに可能な話だ。
「でも、先生じゃダメなんですか?」
最高学年とはいえ、先生は大人で顧問という野球初心者ということを除けば飛鳥よりも上の立場だ。
「去年に最後の一人が辞めるときも喧嘩してね。確かに私が言い過ぎてたけど、その子自身にもさぼったりとか問題があったから先生も止められなくて。プレー中だったら尚のこと、野球のことはわからない先生にはどっちが正しいかわからないって」
必死に止めていたが、結局は止めきれなかった。先生が片方に肩入れすることも出来ず、無闇に飛鳥を叱責することも出来ない。その場では飛鳥が正しかったかもしれないし、もう一人が正しかったかもしれない。それは先生にはわからなかったという話らしい。
過去の話はわからない。飛鳥から聞いたところで飛鳥の主観だ。現三年生の辞めていった人たちにその話を蒸し返すことも出来ない。それにそちらもそちらで主観が混ざる。
とりあえず、昔の話より今や未来の話だ。
「わかりました。自分がどこまで出来るかはわからないですけど、可能な限りやってみます」
「ありがとね」
「まあ、これからもよろしくお願いします。……いや、よろしく、飛鳥」
「うん、よろしく。監督」
飛鳥はそう言うとニッコリと笑う。
巧は少し気恥ずかしくなり目を逸らすと、いつものように飛鳥がからかってきた。
夏の大会も徐々に近づいてくる。そして、約三週間後には練習試合もある。今自分に出来ることをやっていくだけだ。
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